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好きな人の隣で今日も別の世界を見ている【読書日記】

2月19日(Monday)

昨夜、少し読み始めようかなと思って開いた万城目学『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』の読み心地がよくて、結局そのまま読み切ってしまった。

夫である老犬の言葉が分かるアカトラ猫のマドレーヌ夫人。なんて素敵な夫婦だろう。そして、かのこちゃんとすずちゃんの友情。ふんけーの友である二人の友情と「ござる」口調には思わず笑ってしまいながら温かな気持ちになった。だけど、年老いた愛犬の残された時間と両親の庇護下でなければ生きていけない子供の運命は薄々と予期できてしまう。

巻末の解説で作中でかのこちゃんとすずちゃんの乳歯が抜けるエピソードを大事なものとして描かれていることについて「子どもたちは、何かを失うことで成長していく」と書かれていて、なんだかとても感嘆してしまった。喪失の経験を成長に変えていける、あまりに強く、そして刹那すぎる時期よ。



2月20日(Tuesday)

前にフォロワーさんと話をしたことをきっかけに源氏物語を読みたいと思っていたのだけど、いきなり立ち向かうには気持ち的なハードルが高くて、とっかかりとして読み始めた俵万智『愛する源氏物語』を読み終えた。和歌に注目した源氏入門書って感じ。

私の本当に最低限レベルでの源氏知識をおさらいしつつ、新たな知識を入れ込んでいく。そして改めて和歌っていいなと思わせてもらえる。
五七五七七の31文字の中に包んだ人の想い。限られた文字の中だからこそ語ることが出来る気持ちがある。少ない文字だからこそ顕にされる人間の根底。そこにある雅さ。そして、この時代だからこその儚さ。

夕食を食べながら夫が最近の若い人はタイムパフォーマンスをめちゃくちゃ重視するらしいという話をする。最初は時間は大事だよねって感じで聞いていたけど、カラオケはサビだけとか、本は要約したものだけという話を聞いてびっくり。ファスト映画問題だったりYouTubeやTikTokのショート動画だったり、ひとつのことに長時間打ち込むという必要性や需要が減っているのは感じていたけど、いよいよ時代に置いていかれるかもしれないとひしひしと思い始めた。

私は本なんてすべての人が読む必要はない、読まない人の方が幸せなのだろうと思いがちなので(出版業界の売り上げ的なことへの意識とは別として)、その在り方を否定もしないし、その人たちはきっと私にとっての読書のように他にもっと大切なものがあって、そのための時間を必要としているのだと思う。だけど、そうしてタスクばかりが増えても、時間の総量は変わらないから早送りされる生活は倍速の録画みたいにすり減っていく気がする。

とてもじゃないけど、顔を見せてもらえるまで御簾越しにお喋りをしたり、和歌のやりとりなんてしてられないよな。



2月21日(Wednesday)

綿矢りさ『手のひらの京』を読了。凛に感情移入してしまい息苦しくなる。生まれ育った土地が好きでありながら、それでもそこに留まることは出来ないという衝動。ここから出なくては行けないと、姿の見えない何かにずっと急かされてきた。それとは反対に女の子なんだからを理由に家から出したくない両親との確執。

好き嫌いじゃない。旅立つときが来るんだ。これは自分ひとりの問題なんだ。

綿矢りさ『手のひらの京』

凛の両親は最後には理解してくれていたけど、私はすべて事後報告のような形で飛び立ってしまった。ここではないどこかへ行きたかった私は、今も結局ずっとどこかへ行きたいと思っている。

そんなことを考えてしまって少しだけ沈んでいたら、仕事帰りに夫が私の好きなヨーグルトを買ってきてくれたので単純にも元気になった。

寝る前に本の雑誌編集部編『絶景本棚』をパラパラとめくる。部屋を、家を、侵食し尽くす蔵書たちは確かに絶景で、憧れとか羨望といった気持ちが込み上げる。その一方で、最近は選び尽くした本だけを持って生きてきたいなという思いも強く、本たちとこれからどう関わっていこうかと少し悩む。引越しのたびに本というものがどれだけの重さを持っているのかと思い知らされ、しかもそれは年々重量を増していく。

空を飛ぶために鳥たちはその内臓を出来うる限りに軽くした。いつか飛び立つ日のために、私もこの背に乗せていけるものだけを大事にしよう。



2月22日(Thursday)

今日は寝具一式を洗濯するぞ!と朝から洗濯機を回したけど生憎の天気で乾きそうにない。夕方までに乾かなかったらコインランドリーに行こうと思っていたけど、予想通り乾いていなかった。乾燥機が終わるまでの待ち時間、ヒグチユウコ『いらないネコ』を読んだ。ニャンニャンニャンの日だし。私はアノマロカリスが大好きなのだけど、ニャンコが連れているアノマロも可愛くて大好き。最強の捕食者のエビ。可愛くてカッコイイ。

帰宅後、簡単に済ませるチャーハンを作る。

そして夜、川上未映子『あこがれ』を読み終えた。まるで鏡写しの存在みたいな麦くんとへガティー。大人になる前の子ども。だけど、ふたりは物心つく前からの喪失を知っていて、だからこそとても繊細で、他の子供たちよりもずっと大人びている。麦くんの恋という言葉を知らないままの初恋とへガティーのずっと内側にあった死んだ母への想い。そして、生きるということ儚さ。

麦くん、ヘガティー、そしてヘガティーのお父さんが映画を観る夜がとても羨ましい。様々な映画の銃撃戦の真似がとても上手いヘガティー。二人だけの合言葉の「アルパチーノ」。そのひとつひとつがあまりに愛おしくて、かけがえがない。

「ヘガティー」
「なに」
「肩くもう」
「肩?」わたしは麦くんにききかえした。
「そう、肩くもう」
「なんで肩くむの」
「肩くむとね、ちょっとらくになるんだよ」

川上未映子『あこがれ』

男の子と女の子であるふたりは、いつまでも今と同じ関係のままではいられないだろう。だから、抱き合うでも寄りかかるでもなく、同じくらいの背丈のふたりが肩をくんで、同じくらいちょっとらくになれるのは今だけなのだ。そう思うと、この瞬間があまりにキラキラとしていて泣きたくなってしまった。アルパチーノ。どうか、この思い出がいつまでもかけがえなく幸福なものでありますように。



2月23日(Friday)

村田沙耶香『となりの脳世界』の中で、一千万とか一億という数字をイメージするときに一円玉の総量で可視化して欲しいという話を読んだので夫に話す。私も数字は嫌いだけどそこまでの共感は得られなかったので、根っからの理系である夫はどう感じるだろうと気になったのである。

可視化は思わないけど、僕は頭の中に決まった数字の配列があって自分の年齢の位置からその数字を見るのだという話をしてくれる。「え、どういうこと?」と混乱したのだけど、彼曰く、すごろくのマス目のようなものらしく、例えば「自分は42歳です」と言われたときは、だいたい40の数字の列を探してそこから自分の位置との距離を考える。ナンバーフォームという共感覚らしい。

そのすごろくのマスを書いてもらったけど書きながら「あ、ちがうな。ここで曲がってる」などと言いながら書いていて、私にはないその数字の列が彼の頭にはあることが不思議でならなかった。

もう5年近く一緒にいるのに同じものを見ているようで、やっぱり私たちは別々の人間なんだと改めて実感する。



2月24日(Saturday)

ホグワーツレガシーが楽しくて毎日やっている。調度品が素敵でお城の中を巡るのがとても楽しい。お城っていいなあ、とウキウキしながら、ふと少し前に読んだばかりの東雅夫編『ゴシック文学入門』で取り上げられていた随筆の中に、感傷的な恋愛小説を恐怖小説に書き替える方法が書かれていたことを思い出した。

「家」のかわりに 「城館」、「城塞」を、
「緑陰の園亭」のかわりに 「洞窟」を、
「愛のため息」のかわりに 「苦痛の呻き」を、
「父親」のかわりに 「巨人」、「怪物」を、
(中略)
「口づけ」のかわりに 「傷」を、
「結婚」のかわりに 「真夜中の殺人」を

種村季弘『恐慌美考』より

夜、映画も観直そうかなと思い、とりあえず『ハリーポッターと賢者の石』を観た。随分と前に見た記憶のままなので忘れているところが多くあり、ホグズミード駅がそのままなこととか、禁書の棚とか、おそらくはゲームをプレイした人が感動するところを逆に映画で興奮してしまった。

ちなみに毎日進めているといいながら、好きになりすぎてしまったセバスチャンの行く末が不安で先を見ることを恐れて散策とサブクエストばかりこなしてしまっている。どうか彼に明るい未来を……。



2月25日(Sunday)

楽しみにしていた大阪マラソン。パリ五輪の代表枠がかかっているのでハイペースな試合になるだろうなと思いつつ、天気が悪いのでタイムは出ないのかなと思っていたけど平林くん凄かった。夫が平林くんに思い入れを持って応援しているので、始まる前からやってくれるはずと意気込んでいたけど見事な初マラソンだった。5分台も見えてたなー。
次の楽しみは東京マラソン。私の応援している山下くんが出るので期待大。

お昼すぎに夕食の買い物に出ようとしたら雪が降り始めていた。大粒の雪。これは積もるかな、と心配になりながら出かける。

暖かかったり寒かったり不安定な日々で足元が覚束無い。だけどやっぱり暖かい気はするので、今年は桜が咲くのも早いだろうか。ここ数年、ちゃんとしたお花見に行けていないので満開の桜を見たい気がしている。
来週にはもう3月。こんなことをぼんやりと考えている間に桜は咲いてしまうだろうな。

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