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音楽を聴きながら本が読めないので【読書日記】

3月11日(Monday)

円城塔『Self-Reference ENGINE』を読み終えた。分かったと言い切れるほど理解は出来ていないけど、分からないものが分からないまま繋がって物語となっていく感じがとても楽しかった。

様々な宇宙の彼女/彼ら。宇宙と宇宙の大戦争。私たちを構成物のひとつとする生物。とにかく様々な宇宙が重なり合って物語は複雑で難解で、その間を引きずり回される。だけど、その物語を挟んでいるのは、かつてこめかみに弾丸が埋まっていた発砲狂の少女リタと、かつて弾丸が埋まっていた彼女に恋をしていたジェイムズ、そしてその親友リチャードのボーイ・ミーツ・ガールな物語なのだ。

「ミスター」
瞬時の躊躇いを乗り越えて僕は叫ぶ。
「おかえり、ミスター。後は僕らがやる」

円城塔『Self-Reference ENGINE』

夜、頭の中がSF寄りの思考に支配されていたので、夫にそれっぽい話をする。私たちは私たちを構成するものとして分子を語るけど、宇宙が生き物なら私たちも宇宙にとっての分子なのか。あるいは分子の中にも構成する世界があるのか。進化とはどの時点で進化なのか。種の進化のためには絶滅が必要なのか。私たちは今本当に人類と呼ばれる種なのか。
そんな感じの話をつらつらと。



3月12日(Tuesday)

東直子『春原さんのリコーダー』を読んだ。柔らかくて、そのままゆるりと現実から足を踏み外したような気持ちになる東直子の歌がとても好きだ。

ずっと漠然となんか好きだなと思っていたのだけど、巻末の花山周子さんの解説で歌の入口と出口が違うという話をされていて、読みながら迷子になった気持ちになるのはこのせいだったのかもな、とひとりで納得する。

手を引いて世界のどこかに連れて来られたのに、そこでポイと放りだされる。目の前にあるものは確かに美しく、それなのに帰り方が分からない。

そんなこと気にしなくてもいいですよ星もいつかは壊れますから

東直子『春原さんのリコーダー』




3月13日(Wednesday)

夫が有給のためにカラオケに行く。夫が休みのたびに最近はカラオケに行っている気がする。

夫は音楽も歌うことが好きな人だけど、私は昔からあまり音楽を聴く習慣がなくて、いつまで経っても同じようなレパートリーしかない。毎日なにかしらの音楽を聴いている、それをモチベーションとしている人がまわりにも多くいるけれど、私はどうしても耳から何かの情報を入れながら別の作業をすることが好きではないので、日常のどのシーンで音楽を聴いたらいいのか分からないのである。

本を読みながら音楽が聴けないから。




3月14日(Thursday)

『掌の読書会 桜庭一樹と読む倉橋由美子』を読み終わる。倉橋由美子は代表作である『聖少女』と『大人のための残酷童話』しか読んだことがないのだけど、かなりかなり好きだと思っている。

中でも「人魚の涙」が本当に好きだ。人魚と王子様の肉体的な交わりの官能さ。そして、ついには半身と半身がくっついて魂で交わることになるなんて。男としての自覚を持ちながら、その象徴たる半身は奪われ女としての半身がそこにある。けれど、その存在は決して両性ではなく男と女。王子様は一生自身を慰めることは出来ず、己である女の奉仕者となるんですよ。初めて読んだ時はそれはそれはあわわわとなりました。

今回初めて読んだ中では「ある老人の図書館」がとても面白かった。どくろを巻いたヘビのような図書館。そこを端から読み進め、あるいは食べ尽くす性別不明の老人。

読んで読んで、いつしかそれが自分との境界を失って、そしていつか誰にも読まれることのない本になってしまって朽ちていくのはひとつの夢かもしれないな。

わたしを理解しない人こそ正しい人間であり、わたしがそうなろうとしてなれない種類の人間なのです。
完全に消滅すること、これがわたしの最大の希望です。

倉橋由美子「性と文学」




3月15日(Friday)

『高野聖』のような夢を見た。山の奥にある綺麗な屋敷。そこに住む女主人は道に迷った男を招いては食べてしまう人で、私はそれを知りながら家の世話をする女中だった。

そんな夢のせいかいつもより早く目が覚めて朝食の準備をする。起きてきた夫が今日はなんだか豪華だなあ、と呟いていた。

今日読み終わったのは江國香織『やわらかなレタス』。久しぶりの江國香織さんのエッセイ。食べ物に関する話が多くて、最近はダイエットのために夕食はサラダだけを食べているせいか凄くお腹がすいた。
私は食べることは好きだけど、食べ物に関するこだわりはない人間なので、こうして丁寧に食と向き合う文章を羨望に近い気持ちで読んでしまうところがある。

重松清『ゼツメツ少年』を読み始めたら止まらなくなって、明日は朝が早いのに読み切ってしまった。序盤は嫌な社会の色が濃くて「なるほど、こういう感じね」と思っていたのに、気がつけばゼツメツに瀕していた少年たちの現実とセンセイによる救済のフィクションが入り交じる構成に飲み込まれてしまう。

「ゼツメツ」は「絶滅」とぴたりと重なるものではない。学校にも家にも居場所がない少年少女。激しい生存競争。陸地に住む場所がないのなら種としての未来は望めない。だから、生きるために、かつてのクジラがそうしたように海を目指すしかなかった。

彼らか辿り着いたテーチス海で彼らに起きたことは先生が紡ぎ出した彼らのための世界なのかもしれない。だけど、それはやっぱりゼツメツしていく少年少女たちのための世界だから、綺麗で優しくていいのだ。




3月16日(Saturday)

夫の用事について行き、朝から久しぶりにコメダで過ごす。1時間ほど滞在し、図書館が開くのに合わせて移動する。

地元でない場所の図書館で時間を潰すとき、どの本を読むべきかとても悩む。せっかくならそこにある本が読みたいけど、読み切れないと悲しいから。なので今日は小説は避けて三冊を読んだ。

・染野太郎『人魚』
・益田ミリ『夜空の下で』
・熊谷はるか『JK、インドで常識ぶっ壊される』

お昼すぎ、夫と合流してラーメンを食べた。久しぶりのラーメン。書店に寄ってパラパラと捲った『SFマガジン』を買ってしまう。




3月17日(Sunday)

なんだかバタバタとした1日。バタバタしていたわりに何をしていたのかよく分からない。

そういえばこの間、喘息で息苦しさがあったときに初めてメプチンエアーを吸ってみた。使い方がよく分からず、説明書を見ながらなんとなくやっていたら中身が飛び散ってびっくりした。それでも吸えるだけは吸えたようで、そのあとぴたりと呼吸が楽になる。
これが効くってことはやっぱり本当に喘息なんだなと思いつつ、今後は持ち歩くべきなのか少し悩んでいる。

The TENの結果も確認。パリ五輪の標準記録は突破できなかったらしい。残念。

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