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読めども読めども飢える【読書日記】

4月1日(Monday)

4月が始まった。エイプリルフールだけど、この日の楽しみ方がアプリゲームのイベントくらいしかよく分からないなって毎年思っている気がする。

ちまちま読んでいたSFマガジンを読み終わった。特に面白かったのは榎田尤利『聖域』と尾上与一『テセウスを殺す』。すごく好んでそればかりを読むというわけではないのだけど、時折ふとBL作品を読みたくなるときがある。ただ、ジェンダー的な問題に大きく重点を置くものよりも、自由な恋愛の形として異性愛も同性愛も受け入れられている恋愛ユートピア的な作品が好きで、そうした世界とSFとの親和性が高いなぁ、と満足した。

この勢いで仕事帰りにこの間発売していたはずの『SFと少女小説』を買いたかったのだけど近所の書店で見つからず残念。



4月2日(Tuesday)

昨日、私が行った仕事にミスがあったことが判明する。上司から確認不足だと言われヘコむ。まだ教わったばかりのところで、ミスをした箇所が教え方が不足していたところではあったのだけど、それを分かると思って自分の判断で進めたのは私だった。

根本を理解しきれていないから、思い込みが生まれて、それがこうしたことに繋がる。システムをが分かっていないと正しい疑問も持てないのである。今までの仕事と違って、一つ一つの作業に重みがあるのでコツコツちゃんと確認していこう。

家に帰ってからもその出来事を引きずってしまって気が晴れないので、とっておきの積読にしてあった嶽本野ばら『鱗姫』を読む。退廃的でデカダンスな日々を送るお嬢様、龍烏楼子。彼女の身体に流れる龍烏家の秘密に関わる血。その身体の鱗。禁じられた兄妹愛。血にまみれた耽美なお話で大満足。

楼子さん、よく心に刻んでおくのよ。この現代に、私達はこの鱗をもってしてもセイレーンとして生きることが赦されない。異形のものとしてアイデンティティを確保することを現代のヒューマニズムは徹底的に否定するが故に、私達は只の哀れでおぞましい鱗病患者でしかないことを

嶽本野ばら『鱗姫』

私達鱗の番いは、呪われた鱗の子供をこの世に創造いたしましょう。罪に罪を重ね、愛という地獄の中に埋没していきましょう。私達は世界を敵にまわすのです。でもそのことはちっとも恐くありません。後悔なんてするものですか。私達は突き進む。たとえ誰が悲しもうとも。愛しています。愛しています。お兄様! 狂おしい程に。有難う、有難う、お兄様。私は今、奇跡の中にいる。

同上


4月3日(Wednesday)

稲垣足穂「弥勒」を読んでいて、

「ねえ、あの山の上方を見給え。あの真青な空をだ。破けやしないかね。あの青い所をちょっと指先で突いたら、卵の殻みたいに破けて、向こう側が覗けるようではないか──いまにも」

稲垣足穂「弥勒」『一千一秒物語』

の文章がとても綺麗だなと春の空が見たくなる。それなのに4月に入ってからは、ずっと雨や曇り空が多くでからっとしない。

お花見に行きたいのにまだ満開ではない。

夜はどうしても鯖が食べたい気分だったので焼いた。家で魚を焼くのが部屋に匂いが残って昔はあまり好きでは無かったのだけど最近はあまり気にならなくなってきた。前の家の換気の問題?



4月4日(Thursday)

引き続き稲垣足穂を読んでいる。今日は「美のはかなさ」。

そのうちに、僕がつかまえようとして格闘し、そのつどに取逃がしているものを、いっそう全般的に、且つ具体的に云い表した別の級友があった。あるお午休みの教室で、彼はボールドに向って、素早くチョークで書きとめた。
六月の夜の都会の空
──かたえにいた僕が何か口に出そうとするより早く、彼はその九字を白墨拭きでかき消した。「いや何でもない、何でも無い。でも、何かがここにありゃしないか」

稲垣足穂「美のはかなさ」『一千一秒物語』

六月の夜の都会の空。ただ漠然と掴めないのに、それでも心に残る透明な何か。足穂の胸に残ったその空のようなものに思いを馳せながら、主題はオスカー・ベッカーの『美のはかなさ』と出会い、芸術の持つ壊れやすさと永遠性へと移っていく。

こうして芸術は──而して一般的に美なるものは──「生」とかけ離れていながら、しかも生の現象をその「超存在論的」の深淵性においてあらわにする。このように芸術は死及び罪科にかまうことなく、おびやかされることなく「担われている」──しかも同時に「投げかけられている」。即ち、総てのはかなさ、虚無性を身にしている。この最終の深淵の上に張り渡されていることにおいて壊れ易く──こわれ易さにおいて透明である。

同上



4月5日(Friday)

最近は西洋ファンタジーへの興味が強くなっているので、それ関係の本を今月は集中的に読みたいな、といくつか見繕った。

昔に図書館で読んでばかりだったので、家にあまりファンタジー関係の本がない。それでいて、あったはずだと信じ込んでいたりするので、ないないと探してしまう。そして、やっぱり引越しのときに売ったことを後悔したりする。蔵書との距離感、難しい。



4月6日(Saturday)

暖かくてびっくりする。私の住んでいるところはまだ満開には少し早いかな、という感じなのだけど、このままだと次の週末を待たずに満開になってしまいそう。

先月は26冊の本を読んだ。それなりに読んだ気もするけど、満足するなんてことがあるはずないから、もっと読みたいと飢えている。
今読まないと読み逃してしまう感情があると思うと焦ってしまう。いつでも読めるけど、今読みたい本。そういう欲望にもっと素直になっていってもいいかもな。

スカイ・アレクサンダー『妖精の教科書 神話と伝説と物語』(訳:白須清美)を読み始めた。



4月7日(Sunday)

今日もまた暖かい。夫が走りに行ってから汗だくで帰ってくる。
なんとなくお昼のタイミングを逃してしまって、三時頃にかっぱ寿司に行った。夜にお腹がすく気がする。

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