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手を繋いだままでは自由になれない【読書日記】

3月4日(Monday)

昨夜のおでんの残りを朝ご飯にする。練り物ばかり食べて少し気分が悪くなった。

昨夜、桜庭一樹『私の男』を読み終えた。やっぱり、どうしようもなく好きだと思ってしまう。
「私の」という所有格。所有するということは、同時に所有されることでもあるのだ。手を繋いでいる時は繋がれてもいて、そのままでは自由に生きられない。

父と娘。近親相姦を美化するのではなく、そこにはやはり嫌悪と生々しいグロテスクさがあって、もっと真っ当な他の道があったのではないかと思わないことはない。だけど、そこにしか行けなかったのだとも思う。救われない、息の詰まるような閉塞と、狂い始める何か。北の冷たい海の底で淳悟と花が絡まり合うような。

『嵐が丘』直系の恋愛小説と言われていたのを聞いてから読み比べたいと思っていて、今回やっと続けて読んだのだけど、そうか、血と愛と憎しみの物語だった。血の人形。巡り巡って、このままではいられないと逃げ出していく分かち難い愛憎。

次は腐野花と海野藻屑を考えたくて『砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない』を再読しよう。



3月5日(Tuesday)

今日は夫が仕事の都合で5時半出勤。君は起きなくていいよと言われていたのだけど、ついつい一緒に起きてしまう。

午後から降り出していた雨が夕方に雪に変わった。明日の朝には積もりそうだ。普通に作ったはずなのに、なぜかスープカレーになってしまったものを食べてから米澤穂信『米澤屋書店』を読み終えた。たくさんのミステリの話。

読書ガイド的な本は好きだけど、その中でも読書日記が好きだ。本に限らずYouTubeやSNSでもオススメ紹介と言われると少し身構えてしまう。なんていうか、勧められたら読まなくてはいけないような勝手な責任感と先入観が本当に自分の感想なのか分からなくなてしまうから。

その点、読書日記は読んでいる誰かの日常を覗き見して、自分の中にも取り込んでいく気持ちになる。本を好きな誰か日常と私の日常が交錯しているだけのような気楽さと読書を日常としている感じが好き。

米澤さんからも出るや出るやの本の話。私は身の回りに本を読む人がいないから、勝手に話しかけられているような気持ちになった。



3月6日(Wednesday)

昨夜、桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を読了。

無力な少女たちの砂糖菓子の戦い。それは何も生まず、どこにも行けず、逃げられないまま無駄に乱れ打たれた弾丸は溶けていく。

初めて読んだのは藻屑やなぎさと同じ歳の頃で、ロリポップの武装を持たない私は過酷な戦いの日常を過ごす彼女たちがあまりにも鮮烈だった。決して予想していなかったラストではない。むしろはじめからずっと藻屑という人魚の行く末は見えていた。だから終わりが近づくにつれて覚悟はしていたはずなのに、それでもやはりどうしようもなく衝撃だった。思えば少女が予想通りに救われない話を読むのはこれが初めての体験だったのかもしれない。砂糖菓子は無力だ。それでも撃つしかない魂があった。

そして、海野藻屑は逃げられなかった腐野花である。

「ぼく、おとうさんのこと、すごく好きなんだ」
(中略)
「好きって絶望だよね」

桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』

好きという感情を絶望と一緒にしか知れなかった藻屑。嵐が来ると知っていて、人魚の世界に行きたかった彼女はどこまで自分の未来を信じていたのだろう。藻屑はなぎさのことが特別で、だから「逃げようか」と言われたとき何を感じただろう。実弾の持てない無力な少女ふたり。やっぱりそれも絶望だったのだろうか。

最近、毛先の痛みが気になる。長さ的には結構気に入っているのだけど切ってしまおうかな。



3月7日(Thursday)

体調が悪いというわけではないのだけど、体の奥の方で何かがいつもと違うような気がする。風邪の予兆かなと思いながら、このタイミングで仕事を休むわけにはいかないのでビタミンを取る。

荻原規子『グリフィンとお茶を~ファンタジーに見る動物たち~』を読み終えた。児童文学エッセイというよりは、児童文学論でほどよく読みやすい。

最近になって自分が思っていたよりも幼少期の読書体験についてコンプレックスを抱えていることを自覚してきた。初めて本を読んだという記憶があるのは保育園から借りてきた絵本、土橋とし子『ありの あちち』からなんだけど、保育園に入る頃にはひらがなは読め、一人で本を読むということを覚えてからは読書は一人でするものだった。

読書の世界のガイドになってくれる人は傍におらず、感覚だけで見つけてきた本はなぜか今の私の記憶にはあまり残っていない。

その代わり、大人になってから「この本は子供の頃に読んでいたらかけがえのない一冊になっていただろうな… 」という本にばかり出会い、その機会を逃したことが惜しくてたまらない気持ちになることがある。

だから、この本の中で幼少期の読書体験が語られているのを読むと羨望に近いような複雑な思いに駆られる。いいな。



3月8日(Friday)

ばくぜんとおまえが好きだ僕がまだ針葉樹だったころから

ゆっくりと腕をのばしてごらんなさい愛し直してあげるよすぐに

東直子『春原さんのリコーダー』

最近キュンとした短歌。

夕ご飯はキムチチャーハンを作ったらここ最近で一番の出来だった。何が良かったかは分からない。



3月9日(Saturday)

倉橋由美子『夏の終り』を読んだ。姉妹とKの三人での交際にドキドキとする。独占ではなく共有する恋人。

円城塔『Self-Reference ENGINE』も読み始めたのだけど、これはなかなか久しぶりのSF感満載で入り込むのに少し時間がかかりそう。ただ最初の「01:Bullet」がかなり良くて、こめかみに弾丸が埋まっているせいで銃を撃ちまくっている少女のことがかなり気に入った。



3月10日(Sunday)

義実家に甥っ子と姪っ子がやってくるというので会いに行く。会うたびにいつも人見知りしていた甥っ子がおもちゃやら描いた絵やらを色々見せてお喋りしてくれるようになっていて成長したなぁ、と驚く。

美味しい鰻を食べて、初めて会う姪っ子を抱っこさせてもらう。可愛いと思いつつ、やっぱりどこか別の世界なんだよなあとも思ってしまった。

帰りに激安スーパーに寄ったけど日曜の夕方ではほとんど何も残っていなくて残念。

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