見出し画像

気遣いの向き

気遣いって「やってますよ」と
アピールするものだろうか

嫁に来てからそんなことを幾度となく感じた

「〜してあげる」「あなたのため」

そういう言葉に気疲れ。

「気は遣うためにある」

結婚当初、お義母さんはそう言ってたけど
次第に違和感を感じるように。

その気遣い。誰のため?

その気遣いの裏には

「私がしてあげた」「私の言った通りにしておけば」
「〜してやったのに」

そういう余計な言葉がくっついてくることが多く
私はより一層気を遣うようになった。
(直接言われたわけじゃないけど
他の人のことを言ってるので私も言われてるはず。
一言で言えば恩着せがましいのだ。実は夫もこの気質あり。)

そして私は
気を使わせないための気遣い」をするようになった

これは非常に厄介でめっちゃ疲れる。
気質的にどうして欲しいかが分かっちゃうので(HSP)
自分の意見を率直に言えず
ただ相手の意向に沿う方が楽だったりして
何も言えなくなっちゃったのだ。

そして無意識に「ありがとう」じゃなくて
「いつもすみません」って言ってしまってて。悪循環。
「ありがとう」って言われたいんだろうから。

「あなたはどうしたいの?」
モヤモヤさせてしまうことも多々あり
この気遣いの方向は正しくないなと気づいた。
(今は素直に思ったことを言えるようになって
とても居心地の良い関係。親より好きかも。)

気遣いって一体なんだろう。

裏を返せば承認欲求だったりしないだろうか。
「あの人は私のおかげで今があるの」的な

相手に何かを求める気遣いは
とても負担になる。
ただ相手のためだけの気遣いなら
いちいち言葉にする必要もなく
ただ感じればいいこと。

頼まれてもいないアドバイスが
余計なお世話になるように
気遣いも
人のためにやってるつもりが
自分のためになってはいないだろうか

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?