Xカード解題―その虚実(9/6追記あり)

 「地雷」「NGワード」……こういったものでTRPGセッション中に気まずい、あるいは破滅的な雰囲気に陥ることは「稀によくある」ことで、実際、こういった経験からTRPGを止めてしまう人も少なからずいます。悪意によるものならそんな奴との同卓は金輪際御免被ると啖呵を切るのも一興ですが、全くの事故ならやるせなさが募るばかりです。それが故に、そのような事態を避け得るような手段、ツールが色々求められるのは自然な成り行きだろうなあと思います。
 海外では、そのようなツールとしてメジャーなものとして「Xカード」が紹介されました。その用法を簡単に説明すると、セッション中、プレイヤーにとって「地雷」「NG」な状況では、Xカードを提示(オフラインだとそのカードに触れたり持ち上げたりする)する、という簡単なものです。Xカードの掲示は、その状況について拒否していることの意思表示であり、GMや他の参加者はXカードの提示についてはその理由を聞かず、それを尊重して卓を中断したりシナリオの内容を変えたりするものとされています。
 一見便利なようにも見えますが、Xカードの利用については、SNS上でも賛否真っ二つというのが現状ではないかと思います。否定派については、「カードの提示はセッションを破壊する(確かにそういう場合は多そうです)」と主張しますし、賛同派は「他人を傷付けてまでセッションをしたいのか」と反論します。TRPGのセッションはシナリオの準備、時間の調整等、多大な労力が必要でそれをカード1枚でおじゃん(しかもその理由は説明されない)というのに納得いかないのはそうでしょうし、一方、幾ら手間暇かかっていようが参加者の誰かを苦痛に晒してまで遊びたいかと言われると、確かにそれも一理あると思えます。

 日本における「Xカード」を巡る議論について、賛同派も否定派もXカードとその使用を概ね以下のようなものとして想定しているように思います。

①:Xカードの役割はPLの誰かの耐え難い苦痛からの緊急避難(セーフティ)である。
②:Xカードの提示に対し提示者が言葉で説明する必要はない。
③:Xカードというものはセッション中に使われなければそれが一番よく、使われたなら二度と使われないよう深刻に反省すべきだ。
④:PLがその表現や状況から耐え難い苦痛(トラウマや差別・偏見への晒され等)を感じた時にXカードを提示する。

 いやー、重たいですね。この想定で、GMがPLの誰かからXカードを提示されたとしたら、その意味は「罪状(お前は私を酷く傷付けようした/差別しようとした)の告発にして有罪の宣告(理由は説明しませんからGM側には弁解のしようはありません)」でしょう。セッションの中断や内容の変更ですが、クトゥルフ神話TRPG等で現在、メインとなっているきっちりとしたストーリラインに基づくシナリオによるセッション運営の場合、それは「セッションの中止」とほぼ同意でしょう。無論、シナリオの内容を変えたりしてセッションを継続できる場合もあるかもしれませんが、普通に考えて、「罪状を告発され有罪を宣告された」GMにそんな精神の余裕を期待するのは酷だと思います。
 おそらく、賛同派の方々は「Xカードの使用に罪状の告発だとか有罪の宣告なんて意味は全くない。誤解だ」と仰るのではないかと思いますし、実際、賛同派の方々にそんなつもりはないことは事実でしょう。しかし、①~④の想定に基づくなら、そのように感じる人が一定数いることは認めるべきですし、「そんなつもりはない」「いや、そう感じられる」という言い合いは正直、不毛でしょう。

 さて、ここで私はひとつ疑問を呈したいと思います。
「本当にXカードとはそういうものなのですか?」

 ここでは、Xカードの発案者であるJohn Stavropoulos氏の説明(日本語訳:渋禽氏 https://t.co/zEPja07Cme)を元に、この疑問について考えてみたいと思います。

 「Xカードとは?」の項目では、「参加者が、不愉快なことを説明不要にやり直すために使うことができる」ツールであり、その開発目的は「見知らぬ人とのゲームを楽しく、排他的ではなく、安全にプレイするため」とされています。

 まず①についてですが、Xカードの使用については「誰もが簡単にゲームから退出できるようになります。出口戦略です」とされ、確かに緊急避難を目的とするツールに読めます。しかし、Xカードの使用例と示されている3つの例のうち、2つは「タバコを吸っているNPCを描写しました。プレイヤーが禁煙中で、不快に思っていました」「現代的なリアルホラーゲームをプレイしていました。面白いエルフの話をした人がいました」です。このような状況でのXカードの使用は、本当に「耐え難い苦痛からの緊急避難」でしょうか? おそらく、Xカードの使用は「重いものであれ軽いものであれ不快な状況をちょっと回避する」のが本当の主眼です。

 次に②についてですが、確かにXカードの提示について「理由を説明する必要はありません」とありますが、「何か問題があれば、誰でも休憩の宣言をすれば、個人的に話をすることができます」とあり、必要な説明や相談については何も否定されていません。私の考えとしてXカードを提示したPLは、積極的に休憩と相談を求め、GMなり他の参加者に「(その理由を説明する必要はありませんが)今後、どうして欲しいのか」を具体的に提案するべきだと思います。Xカードの導入時の説明についても「このゲームをみんなで楽しくするために、あなたの力を貸してください」とあり、Xカードを提示した者が他者の無限の配慮を期待してふんぞり返ることは全く想定されていないと思います。

 ③についてですが、「ゲームでどのように導入するのですか?」の中でこうあります。「頻繁にXカードを使うことで、 Xカードを理解することができます。それが普通になります。それが第二の天性になります。だから、実際に必要なときに使用される可能性が高くなります。使えば使うほど、より良いものになるのです」全く真逆ですね。①の例でもあるように、Xカードの使用は「重く深刻なもの」も「軽くくだらないもの」も全て含むのです。もちろん、本当に深刻なものなら再発しないように真剣に考えるべきですが、それはXカードを使われたからではなく「重く深刻なもの」だからです。

 ④は、①で述べた通り、全く違います。Xカードの注意事項でもちゃんと「X カードは、「トリガー(注:トラウマ発症のきっかけとなるもの)」やPTSD とは関係のない状況でも有用です」と明記しています。確かに深刻なトラウマや地雷級の不快感に対してXカードを使用してもいいですが、実際に100回、Xカードを使ったとして、それはほんの1、2回でしょうし、Xカードを積極的に使いたいなら、そうなるように使うべきです。ちょっと実際に運用する場合を考えたら分かることですが、本当に④の状況でなければXカードを使ってはならないのなら、それは「トラウマカミングアウト強制ツール」です(だってXカードを使うのはそういう場合だけなんですから)。

 このように見ていくとXカードがあるセッション風景は大分、違って見えてこないでしょうか?

GM:「そこで老人は煙草をふかしながら……」
PL A:(そっとXカードに指を触れる)
GM:「おっと、みんなゴメン。ちょっとXカードが出たから休憩ね」
他のPL:「了解~」

~別室にて~
PL A:「ごめーん。悪いけど煙草を吸ったりする描写、無しでお願いできる(実は禁煙中なんで)?」
GM:「あ、それで大丈夫なんだ。いいよー」
PL A:「ありがとー」
GM:「みんなにも言った方がいい?」
PL A:「お願いします」

GM:「はーい、セッション再開です。皆さん、煙草吸ったりする描写は無しでお願いします」
全員:「OK」

 Xカードの運用は、これくらいの気軽さで行われるのが、発案者であるStavropoulos氏の本意ではないかと思います。そして、このように気軽にやり取りされるからこそ、本当に「重く深刻な」不快を感じる状況があった場合もその場の雰囲気をなるべく壊さず、楽しくゲームを続けることができるのです。

 私はXカードとその使用について、大本のStavropoulos氏の説明に基づき、以下のように理解することを提案します。

①Xカードの提示は、いわばDVDプレイヤーのスキップボタンです。「わー、ちょっと勘弁かなあ」な状況で気軽に出しましょう。
②でも、あなたと一緒にセッションに参加している皆さんはDVDプレイヤーではありません。必要があるなら、「どうして欲しいのか」とか「上手く処理してくれたことに対する謝意」等はちゃんと伝える配慮を持ちましょう。
③まずは、出した側も出された側も笑って済ませそうな状況でどんどんXカードを使っていきましょう。だから、出された側も基本的に罪悪感を感じたり反省したりする必要はありません。
④PLがXカードを提示するのは、「重かろうが軽かろうが」不快な状況を回避したいときです。そして、PLはそれ以上の効果(相手が反省したり、謝ってくれたり、何か対策をしてくれたり)を期待してはいけません。そうして欲しいなら、それはXカードに頼らず、自分の言葉で要求しなさい。

 Xカードは、本来、ストーリラインや描写そのものを参加者みんなで創造していくナラティブ系TRPGでの使用がメインなんだろうと思います。それが、かっちりとストーリーが組まれたシナリオに沿って遊ぶCoCが主流である日本のTRPGシーンに持ち込まれたのが、最初のボタンの掛け違いだったのかな、と思います。
 また、「言語に拠らない意思表示が言葉で説明するより楽」という話が「言葉にするのも辛いからカードの提示で済ませる」と理解されたんだと思いますが、これはそう場合もあるでしょうが、むしろ、英語圏においてヒスパニック系(母語はスペイン語)やアジア系(母語は中国語だったり韓国語だったり日本語だったり)のような公用語と母語が違う人達を念頭に置いたものではないかと思います。私だってアメリカ人とセッションしていて「ちょっとヤダなあ」と思うシチュエーションがあっても、それを英語で「他の参加者に、楽しい雰囲気を損なわないように」説明するのはかなりストレスです。
 一方、日本においては日本語が公用語であり母語なため、そこで説明もせずにカード1枚で自分の要求を通すことは、失礼な行為と見做すのが普通です。だから、「言葉にするのも辛いからカードの提示で済ませる」といった理解に帰着したのではないか予想しますが、最初に述べた通り、その理解でXカードを使用するのは、端的にセッションを破壊し、人間関係を不可逆的に変えてしまうおそれが高い行為です。セーフティツールどころか、自分が傷付きたくないばかりに他者を傷付ける凶器になってしまいます。
 私も、Xカードの意味についてStavropoulos氏の説明をちゃんと読むまでは、誤解に基づいて理解していましたが、今回、大分見方が変わりました。文化や習慣の多様性に対してよく考えられた本当に優れたツールだと思います。だから、Xカードの使用を推進する方々には、その掲示が指し示すものを他のTRPGプレイヤーが誤解しないように適切に説明していただくよう切にお願いしたいと思います。

【9/6追記】
 Xカード絡みのTLをつらつらと眺めていると、Xカードを使う場合として「ヒロインの名前がうちの母ちゃんと同じ」というポストが目に飛び込んできました。まさに、これこそXカードを使うべき・オブ・ベスト(文法滅茶苦茶)だと思います。思わず、膝を打っちゃいました。
 これをポストした人は、もしかしたら冗談だったのかもしれませんが、Xカードという「黙って提示し、理由を聞かずに、内容を変えてもらう」ツールがなぜ必要なのか、どれほど素晴らしいアイデアなのかをこれほど端的に示すケースはないんじゃないでしょうか。
 この「ヒロインズ・ネームがマイ・オカン」ケースについて、少し具体的に一例を仮想してみましょう。

前提:使っているTRPGシステムは、GMの主催の元で皆でストーリーラインや情景描写を組み立てるタイプ。シナリオの主題は「少年と少女の運命的出会い(いわゆるボーイミーツガール)」

GM:「……というわけで君達が湖畔で出会った美少女の名はユキエ……」
PL A:(うぐっ……それ、うちのオカンの名前……これでこのセッションの間、エモ展開考えたりRPするのは辛すぎる……)――PL AはXカードに手を伸ばす。
GM:(え? ……ここまでの展開でなんか不快になる要素ってあったっけ……? いや、とにかくXカードが提示されたんだから)「みんな、ちょっとゴメン。Xカードが出たから、セッションをちょっと中断」
PL A:「GM、ちょっと別室、いい?」

~別室~
PL A:「GM、申し訳ない。何も聞かずに少女の名前を変えてくれ」
GM:「? いや、Xカードが出たんだから勿論聞かないよ。じゃあ、アスナとかなら大丈夫?」
PL A:「全然、OK」

GM:「はーい、セッション再開です。ちょっと美少女の名前を変更、アスナでお願いしまーす」
他のPL:「了解~」

「ヒロインの名前が自分のオカン」

 客観的には別に大したことではありません。全然、平気な人もいるでしょうし、もしかしたら「むしろ萌える」という猛者だっているかもしれません。このケースの本質は「せっかく架空世界に没入したいのに、何かの拍子に現実を突き付けられ興醒めを強いられる」という不快、苦痛です。今回のケースがピンとこないという人は「イケメンNPCの名字が会社の上司(あるいは担任の教師)」とか「愛する弟(妹)NPCの名前が親戚の中年おじさん(おばさん)」とか、色々な組合せを想像してみてください。必ず、何か「ウグッ、これは萎える……」という組合せがある筈です。その組み合わせで今回のケースを置き換えてみてください。
 実際のところ、このケースの苦痛、あるいは不快は一回一回は大したものではないかもしれません。しかし、このセッションの間中、GMや他のPLは物語世界に入り込み、その中での感動や喜びに共に浸っているのに、自分はただ一人、現実世界にいて醒めた眼でそれを眺めなければいけないのです(無論、吹っ切って自分の母とのロマンスに浸れる人もいるかもしれませんが少数派だと思います)。その疎外感たるや、まさに地獄だと思います。
 「こんな、些細で主観的な状況でXカードを出すのか……」と違和感を憶える人もいるかもしれませんが、まさにこれこそがStavropoulos氏がXカードに込めた主要な機能だと思います。Xカードは、セッション中におけるセンサー、そしてアラートであり、それを相互に使い合うことでゲームが望まない方向に進む可能性を早めに修正し、グループ内の「許容範囲」が可視化されて「一緒に素晴らしいゲームをプレイすること」ができるようになるわけです。
 中には「確かにPLにとっては辛いかもしれないけど、些細なことなんだから我慢して最後までセッションに付き合えばいい」という意見の方もいるかもしれません。では、当該PLが我慢して、このセッションを乗り切った場合、最大の被害者は誰でしょうか? 私は、それはGMだと思います。PL全員に素晴らしい体験と愉しみを味わって欲しくて、時間調整からストーリー、描写等、死ぬほど手間を掛けてきたのに、実はPLの一人は全くつまらない醒めた時間を誤魔化して付き合っていたわけです。セッションが終わった後で、その事実を知ることがあったら、私だったら申し訳なさと口惜しさで泣いちゃいます。だって、こんなの簡単に対処できたんですから。ちゃんと、そのPLが意思表示して一緒に対処を考えてくれたなら、GMの努力を穢さなくても済んだのです。それでも、あなたはXカードを掲示しませんか?
 同じように、「そんなのちょっと口で説明したらいいじゃないか。Xカードなんか必要ない」という意見もあるでしょう。では、実際にXカード無しで意思表示して解決しようとした場合を考えてみましょう。

GM:「……というわけで君達が湖畔で出会った美少女の名はユキエ……」
PL A:(うぐっ……それ、うちのオカンの名前……これでこのセッションの間、エモ展開考えたりRPするのは辛すぎる……)「ちょっとタンマ!」
GM:「え? 何?」
PL A:「GM、申し訳ない。あー、そのー、なんだ、で、できれば少女の名前を変えてくれ」
GM:「あ? ああ、いいけど、何で?」
PL A「いや、その、ユキエってうちの母ちゃんと同じ名前なんだ……」
GM:「あー……」

 無論、この後の展開はXカードを使った場合と同じでしょうし、そうすることによって円満にセッションが終わることも十分に考えられます。しかし、こんな事実が明るみに出たことで、例えば思わず笑い出してしまうPLもいるかもしれません(客観的に見れば結構笑える状況です)。PL Aにとって、それは心傷付く状況かもしれません(ここで安直に、笑うなんて人でなしなどと決めつけないでください。例えば、典型的な関西人にとってはこれはむしろ「おいしい」状況です)。仮に、その場は何事もなく収まったとしても、今度は、このヒロインがシナリオに登場するたびに、他の参加者の脳内には見知らぬ中年女性のイメージがちらつくかもしれません。ギャグシナリオならそれも一興ですが、シリアスやロマンスストーリーなら、本当にセッション崩壊の危機です。

 Xカードは「重かろうが軽かろうが不快な状況を回避する」ツールであり、その際の負担を出来る限り軽くすることを強く意識していると思います。だって、このツールの開発目的は「見知らぬ人とのゲームを楽しく、排他的ではなく、安全にプレイするため」なのですから。人間の不快というのは、本来、非常に主観的かつ個性に左右されるもので、場合によっては自分自身も何が不快か分からない場合もあります(Stavropoulos氏もそう言ってます)。同じ出来事が人によって不快な場合もそうでない場合(快感でさえあることも)もあります。だから、Xカードというセンサーとアラートでセッショングループ全体の不快の許容範囲の情報を共有していくというのがXカードの本来的な使い方ではないかと思います。

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