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ガレリア
画廊ガレリアは、表通りには面しておらず、何本目かの横道を右に入ったところにあった。
大きなガラス面で囲われた一階。
通りからも中が見えるようになっている。
二階に上がるとすぐ目につくのは、小さなソファーと楕円形のミニテーブル。
壁際の低い本棚に収められた画集や美術展の目録。
事務スペースは部屋の隅に追いやられ、居るのか居ないのか、人の気配が感じられない。
奥に広がる展示スペースは、無音の空間。
かすかなインクの匂い。
◇◇◇◇◇◇◇
ガレリアのオーナー、通称「マダム」
美しくて、決して消えぬ蝋燭の炎が灯っているような方。
マダムの片腕、敏腕眼鏡マネージャーのNさん。
いつもおだやかな、美味しい紅茶淹れ名人のSさん。
◇◇◇◇◇◇◇
「今晩はオープニングがあるから、一緒に行こう」
父に誘われると、少し大人びた服を選んだ。
通常は靴音が響くほど静かな画廊だったが、オープニングの夜だけは違った。
ひとりの作家さんを取り上げ、作品を集中して展示する期間に、その前夜祭としてオープニングなるイベントが催された。
ガレリアの常連達や作家さんの関係者が集う夜。
一階中央には美しく飾られた大きな生花。
二階に上がると、テーブルの上には色とりどりの見たことがない果物がカットされ並び(のちに、あの胡麻のようなのがドラゴンフルーツ、星のかたちをしたものがスターフルーツだったと知る)装飾過多なフィンガーフード。
壁面には作品が展示され、参加者達は飲み物を片手に鑑賞しつつ、会話を楽しんでいる。
「ああ、いらっしゃい!」
マダムは父と抱き合うように挨拶を交わし、父を作家さんの方へと案内する。
私の視線は壁の作品よりもテーブルの方に向いていて、その事に気づいたスタッフさんが「さあ、召し上がって」とお皿を持ってきてくださるので、恥ずかしくてたまらない。
しばらくすると父に呼ばれ、作家さんとお話をする。
あなたはどれが気に入りましたか?
お父様にはいつもお世話になっています。
あなたは絵に興味がありますか?
作家さんとお話するのは楽しくて、その時浮かんだことを正直丁寧に伝えたと記憶している。
ほほう、そうですか。
さすが○○さんのお嬢さんだ。中学生なのにしっかりしている。
おお、もったいない。お父様には絵の才能がおありなのに。その道に進む気はないのですか。
父がどうして私を連れて行ったのかわからないのだが、オープニングには数えきれないほど父娘でお邪魔した。
中学の教室に馴染めず学校に行けなかった時期も、しぶしぶ登校し始めた時期も、高校生になり、父と二人きりで歩くのが少し照れくさい時期も。
オープニングのみならず、ガレリアにはよく行った。
ひとりでや、友達と一緒に行くこともあった。
特別、美術に興味がある訳ではなかったのだが、画廊のもつ独特な雰囲気に魅せられていたのだと思う。
◇◇◇◇◇◇◇
父が亡くなって一年が過ぎた頃、マダムから連絡がきた。
「お父様が買われたものを、今後、どうなさりたいですか。一度お話ししませんか」
父は、自分が気に入った版画や水彩画を購入していた。
一個人としては大量過ぎるほどに。
美術品全般に言えることだが、正しく保管しなければ、作品は時間と共に劣化していく。
購入した絵を室内に飾ったり、ときどき保管ケースから出して眺めたりしていた父。
持ち主がいなくなった後は、一部は家の中で飾ってはいたものの、大半は棚や押し入れにしまわれていた。
故人を思い出してもらえたらと、親族や父の親しい友人知人に貰ってもらったのだが、それでも残りの数は相当だった。
母と弟だけになった今、この量を維持管理していくのは不可能。
ふたりと相談して、画廊に預けることに決めた。
預ける。
絵を欲しいと思う方が現れたら、売ること。
積極的にこちらから営業して、売る。
マダムからの提案は、それだった。
父が大切にし、遺したものを売る。
抵抗があった。
母も、弟も。
私にも。
だが、誰かがそれをやらなくてはならないこともわかっていた。
残された者が年を重ねるにつれ、出来ないことが増えてくる現実。
このままでは朽ちてしまうだけの作品。
母と弟に作業を委ねることが難しい状況で、私が名乗りをあげた。
家に残すものを決め、画廊に託すものの写真を撮る。
ナンバリングし、作品名、作者名をリスト化し、画廊に送る。
画廊とメールでやりとりし、相談し、ピックアップに来てもらう。
絵が動くとリストと照合し、もろもろの手続きを済ませる。
私はこういう作業に向いている方だと思う。
個人に、美術館に、国内や海外のオークションに。
父が好きだったものが、誰かのもとへいく。
とどめ置くよりは、好きな人の手元へ。
ただそれだけなのだと自分に言い聞かせた。
美術品にも波があり、今はこれが人気、この国のオークションでは高い値がつきそう等、活きて流れていく情報はマダムにしか分からず、その度に丁寧に教えてくれた。
「大切にしてくれるところにお渡ししましょう」
そうしたいです、お願いしますと家族で繰り返した。
得たものは父からの贈りものだと、母に渡す。
実際のところ、この贈りものに家族はとても助けられて、今に至る。
マダムと画廊スタッフに心から感謝しているし、もちろん父にも。
これを10年以上続けた。
◇◇◇◇◇◇◇
「ガレリアを閉めようと思います」
昨年、マダムから届いた手紙。
あれだけ美しかった字が、揺れていた。
父より年上だったマダム。
皆がそれぞれに年を重ねてきたのだ。
残った絵を引きとるため、画廊に向かった。
懇意にしている赤帽さんにお願いし、絵を車に積み込み終わった時だった。
父の大切なものを、勝手に売ってしまった…
今更ながら、罪悪感とも後悔ともつかないような気持ちが湧いた。
いたたまれなくなった時、手元のスマホに通知が光った。
始めて数ヶ月経ったnoteに届いた、読んでくれた方からのコメント。
誰かが、私の文章を読んでくれたこと。
やさしい言葉で綴られたコメントを読んでいたら、私自身を肯定してもらえたような気持ちになった。
自分に都合良く解釈し過ぎではないか……そうかもしれない。
でもこの時、私の気持ちをすくい上げてくれたのは、コメントであり、noteだった。
ガレリアのことを、いつか自分の文章で書いてみたい。
そう思って、赤帽さんの車に乗り込んだ。
思い出のなかでは今も、オープニングのざわめきが聞こえる。
大人達の談笑に混じって過ごした時間。
かすかなインクの匂い。
色鮮やかなテーブルの上。
作家さん達との会話。
マダムの笑い声。
父の笑顔。
父のコレクション。
きっとそれは、これからもずっと、父からの贈りものだと思っている。
お読みいただき、ありがとうございました。
※見出し画像と文末の写真は、ある作家さんに描いていただいた父です。すごく似ています(笑)
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