振り返らなくていい道もある

年末、30日頃だっただろうか。もう10年以上会っていない友人から「地元に帰ってきたから飲みに行かないか」という旨の連絡が届いた。会っていない期間に1度も連絡を交わしていなかったため、それは随分と唐突なものに感じられた。メッセージは画面上の通知で確認したまでで、中身を開くことのないまま年を越した。何か一言二言返そうかとも思ったが、気の利いた文句もこれといって思いつかないまま数日が経ち、結局削除するに至ったのだ。きっと今後一生彼から連絡が届くことはないだろうが、それでも構わないと思ってしまう自分もいる。ただ、それからしばらく気になってはいた。

「なぜ今になって連絡が届いたのか」例えば数年ぶりに友(だった)人から突然届く連絡の目的として「何かへの勧誘」というのはよくある話だが、最後の記憶で彼はいわゆる"ちゃんとした職"に就いていて、何年も前にすでに結婚し、たしか子供も生まれていたはずだった。それゆえ、不特定多数を相手に勧誘を進めなくてはならないような類のものへ手を出すようには思えない。もちろん時間の経過はあらゆるものを変えるし、"ちゃんとしている"なんてものはきっとないだろうとも思うからこそ一概には言い切れないが、純粋に久々の再会を祝して酒を飲みたかっただけだったかもしれないな、という結論がいちばん腑に落ちた。

一方で彼に何も返せなかったのは、そんな結論が大きな理由でもあった。結婚だとか子供が大きくなっただとか、良い職場で働いてるとか随分と会ってない友(だった)人の話に、真剣に感情を傾けられる気がまるでしなかったのだ。「仕事は何をしているのか」「結婚はしていないのか」きっとそんなことを聞かれただろうし、他にも思いつく限りの質問は、そのどれもが少なくともしばらく会っていない人に対して答えたいと思えるようなものではなかった。それに「地元にいるだろう」という考えが透けて見えたように思えたことも一因だ。「あいつは地元に残って働いているだろう」「年末だから地元に戻っている時期だろう」という、なんだか決まった枠にはめ込まれたような感覚がやけに気に入らなかったのだ。

会っていたらきっと昔話にも花が咲いただろう。いま生活していて、もう思い出すこともなかったような名前を聞くことになったかもしれない。そんな風に会って話している状況をあらゆる角度から想像してみるものの、最終的には考えるほどにかなり億劫になっていった。悪いことをしたかなという気持ちもありつつ、2週間ほどが経った今もやはり会う必要はなかったように感じている。人はこんな風に人に会わなくなっていくのだと思うと、やがて1人になるというよくある噂も想像に難くない。

1月に入ってすぐの週末、街で振袖を着た新成人とすれ違う。成人が18歳に引き下がった今、この時期に振袖を着て歩いているのが18歳なのか20歳なのか見た目にはわからなくなったような気がする。(調べた限りでは、20歳を対象に式典をおこなう地域が多いらしい)
彼女達の年頃から何年も経った今、忘れてしまっていることもきっと増えたが、今日まで地続きなのは間違いない。それでも振り返る必要のない道もあるのだろう。

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