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「好きだ」と言うときは

ずっと昔から、長い間、私にはコンプレックスに思っていることがあった。

好きな俳優さんやアーティストに出会って、日常が輝きだした時には、人に伝えたくなる。

「私、○○さんのファンなんだ」


でも、人に言ってみると

「○○、いいよねー。△△ってドラマに出てた人でしょ?あと□□にも出てたよね」


特にファンというわけではないであろうその人のほうが、私の好きな人のことについてはるかに詳しいことが、よくあるのだ。

たとえば今、私は星野源さんが大好きだけれど、もしそれを人に言ったなら


「あー、あのドラマ良かったよねー。映画もいっぱい出てるよね!また新しいドラマも始まったし」ってなるかな。


でも私はドラマは見ないし(ドラマというものをそもそも見ない人間です)、映画も見に行くつもりがない。

彼は文筆家でもあるけれど、エッセイだって一冊しか読んでいない。

CDはレンタルしてきたものを録音して聴いている。

全然お金を落とさないファンなのである。

あ、去年のドームツアーはチケットをとって行ったけれども。


私は星野源さんの声やお話、笑顔が心地よくて好きなので、セリフを話したり、演技やキメ顔をしている姿には不思議と興味がわかない。

だけど車ではずっと星野源さんの曲を聴いているし、家事をしながらオールナイトニッポンを聞いている(ラジコで)。

好きだけれど、「すべてが好き、すべてを知りたい」という気持ちにはなぜかならなくて…

ーー好きなのに、知識が浅い。ーー

それが私の長年のコンプレックスだった。


あの人気ドラマを見ずにファンを名乗ってていいものか?

ファンじゃない人のほうが星野源のことを知っているに違いないって…自分の「好き」な気持ちに自信がなかった。


だけど、先日に若い俳優さんが亡くなったというニュースが世を駆け巡った。


「好きだった」

「あのドラマ見てた」

「応援してた」


そんな声がTwitterに溢れていた。

それを見て、私は考え込んでしまった。

もしも、万が一、星野源さんが亡くなるようなことがあったなら…


「私はこの人が好きです」「応援してます」と、現在進行形で言えなくなることに怖さを感じた。


亡くなったこともつらいし、「好きだった」「応援してた」と過去形でしか言えなくなるのもつらいことだと思う。

あの俳優さんのファンの方々は、もっと「好きだ」と言いたかったに違いないって思う。


私は、たしかに星野源さんの代表作を見ていない。

「ほんとにファン?」と疑問を抱かれそうなほど、彼については初心者だ。


だけど、私は、星野源さんのことが好きだ。

好きな気持ちを裏付けるものがなくても「好き」な気持ちは表に出してもいいんじゃないかな。

そこにはきっと、浅いとか深いとか、無い。

知識の量で、重い軽いと振り分けられることも無い。



私は、星野源さんが好きだ。


星野源さんを応援している。


私の好きな星野源さんの歌の歌詞に

「好きだと言うときは、笑顔で言うのよ」とある。

だからこれからは私も、笑顔で「あなたが好きだ」と言おう。



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