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『花は窓』坂本沙季21.日常征服

家に帰ってきて、誰もいないことに慣れた。
一人暮らしを始めたのが、コロナの始まったちょうどその頃で、生活の一変具合がすごくて本当に、本当に何もかもが手探りだった。

家の中は比較的ガランとしていて、テレビもラジオもゲーム類もWi-Fiもなく、冷蔵庫もあんまり埋まらない。それでも一年なんとかなるものだった。

一年経てば、新しい生活にも、言葉にも、人にもある程度慣れる。
それでも、結構、「あ〜〜、1年か。長かったな」という気持ちです。

それより前に出会った人の話をします。

そのときは、マスクをせずに人に会っていて、演劇も客席を埋めてできていて、電車の窓も開いていないし、居酒屋は深夜までやっていた。

その人に会ったのは都内のとある場所で、たぶん向こうは私の顔も名前も覚えていないと思う。一度か二度くらい事務的な言葉を交わした気がする。その人は出会ったときから終始、一人で文句を垂れていて、何日も寝ていないような疲れた顔をしていて、すごく昔の友人に似ていた。
その人と出会った時から、変な感覚があって、不思議な人だと感じた。好きとか嫌いとかじゃなくて不思議な人だなあとぼんやり思う、というか感じた。不思議な魅力のある人。その一度きり会っていない。
ときどきSNSでその人が流れてきて見かける。大きな変化も小さな変化も受け止めて、あいかわらず鋭い言葉を使っていた。

この人に惚れたわけじゃないし、また会いたいと思うかと聞かれたらそうでもない。なんとなく、印象的だったというだけ。でも、そのときに印象に残るときの感覚や感じるものは、こういった出会いという経験でしか触れられない。
私にはこういう気持ちになることが年に1、2回ある。そのときの感覚をしょっちゅうその人の顔と一緒に思い出す。印象的な夢の風景を1日のなかで何回も思い出しちゃうときの感じ。これって言葉にすると、どういう気持ちなんだろうと考えている。

一度、出会った人の話から脱線します。

最近、見た言葉で衝撃的だったのが「周囲の大人が、もう少し目を配ることはできなかったのだろうか。」だった。

その言葉を向けられているのは私よりも少し歳上の人だ。大人同士で気にかけろということだろうか。私がこのとき思ったのは、大人じゃないの?ってということだった。社会的に自分の存在が子供だと言われているような気もしたし、どんな人生を歩もうとしてもこの先、そういうものがついてくる人生嫌じゃない??と考えてしまった。何よりその人がまるで悪かのように感じた。もしかしたら、私が想像しているよりももっとシビアで責任のある話かもしれないから、私のこの言葉もどこかからすると悪かもしれない。
でも、私のなかでアイドルが恋愛禁止の時代は終わったし、コンビニでお箸をもらう時代も終わりつつあるし、個人より性別が重視される時代も終わってる。

あたしはぼけっとしてたら22歳に変わってしまうし、これからやってくる夏が暑いことは変わらないし、どうしても争いが生まれることは簡単に変えられない。

その人に会ったときの感覚というのは、私のなかで知ってる感情の中では絶望に近くて、不思議と言って包み込んでるけど、私と違う部分みたいなものを、真似できないものを感じ取っているんじゃないかなと思う。だから、気になるし、ないものねだりしているのかもしれない。わたしが気にしてしまう「周囲の〜」みたいな言葉ではない全然違う言葉に気付いていそうで、羨ましかったのかもしれない。

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