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毎日自己分析

2月9日(金) 23:41

私は日常で感じること食べること嗅ぐこと聞くこと触ることに対して本当に感覚が鈍いというか、当たり前を当たり前に感じすぎているのか、ごく自然に体を通り過ぎていく日常に目を向けるということを全くしないな。何も考えずに毎日過ごしているのかと言われればそうではないけれど、でも思い返してみれば私は毎日妄想と空想の中で生きている。過去の出来事を思い返していたり、もしこんな事があったらどうしようと危機に晒されている訳でもないのに被害妄想をして肝を冷やしている。面白残念人間としては傑作かもしれない。勝手に1人で不幸になっているのだから、この思考からエネルギーを捻出できればものすごくコスパがいいね。

私のこの考え方だとか感じ方って、言わば偏見とか固定概念とか柔軟性がなく固くて面白みのない思考の塊みたいなもんで、人に見せてもつまらないという意見を持たれるような脳内だよな。やっぱ想像力豊かな人の表現した作品の方が見ていて楽しいし、その人が普段何を考えているのか知りたくなるよね。オリジナリティに富んでいるというか。羨ましいなぁ。私は明確に好きなものはあるけれど、それらにパターンを当てはめたりすることが苦手だから自分の得手不得手を理解するのが難しい。こういう思考は得意なんだけどね~。自分のことしかわからない。逆にその他は全部わからない。未知。何が正解で何が不正解なのかだけを考えている。この世界にそんな基準ないのに。自分には常識がないと思っているから余計に白黒つけたり基準に沿いたくなっちゃうのかな。普通になりたい?でも実は普通なんだよみんな。みんながみんな誰かの通ってきた跡を辿って歩いてきてるんだよ。道があるってことは誰かがそこを通ったってことだよ。だから今自分が歩いている道は唯一無二だと思っていたとしても、本当は誰かがすでに歩いていた道で、それに気付いてしまった時に私は自信を無くした。自分の歩んでいる道に対して嫌悪感を感じた。特別だと思っていたはずの道が途端に陳腐に見えて、こんな自分誰も認めてくれないと自分を追い詰めて腐った。

自分が出来ないことを難なくこなしているのをいつも見ていたら何でもできる人に見えなくもないか。でも私は別に何でもはできない。自分にできないことを知っているからできることだけを全力でやり遂げてその結果がたまたま良いものとして見てもらえているだけで、私はいつももっと出来たはずだと自分を認められずに目の前の壁を睨みつけているし心は満たされない。過去の失敗はいつまでも引き摺っているし、想像力の限界を感じて自分に幻滅するし、自分の能力全般が普通以下だと思っているから褒められてもその言葉通りに受け取ることが出来ない。私には私にとっての苦しみがある。
熱血!って感じの人を見ると酷く冷めた目線を向けてしまう。だって人には人の限界値があるのだから、その時に出せる全力を尽くしているはずなのにまだ上に行こうとする無意味な向上心がうざい。黙って練習を積み重ねればそれに比例して結果がついてくるんだし。感情でどうにかなる問題じゃないでしょ。人間なんだから頭使いなよ。ああ、苦手なタイプの人間について考えていたら熱くなってしまった。

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