初めまして まずはこのノートの趣旨や注意事項ついて話していこうと思います。 このノートに趣旨について このノートは現状における自分の価値観や思考の記録をするために作ります。 あわよくば、ここに記した価値観や思考が暇つぶしや他人の思考の手助けになればいいなくらいの気持ちで毒にしかならない様な思考や価値観を連ねていくので 薬として使えそうな記事があれば読んでみて下さい。 注意点 このノートに書くことは実際の人物や団体や宗教とは何も関わりがありません。 あくまで、20
久しぶり 元気してた? 最近どうよ 平穏無事? 1年ぶりのこのノート何を書こうかなって アラサーに本格的になって昼に生きるようになっても 相も変わらず心象風景は夜の世界で生きている 友達がだんだん結婚していって 人の人生に覚悟を持てるのはすごいなぁと感心しながら 今日もこうして一人で夜の散歩に興じているのも悪くはない そういえば兄貴も2月に結婚するんだって あの人に春が訪れたことは素直に喜ばしい気がする 「人は独りで生きていかなければいけない」 その考えは対して変わら
2024年の多分初投稿 皆様はどうお過ごしですか こちらは心身ともに不調です 毎日毎日仕事と責任と誠実さを求められて息をしていて相も変わらず自己嫌悪と恥に耐える日々 休みの日も働いて休める時には1歩も動けない 休まる場所などどこにもない 自分で追い込んでいながらこのストレスと疲れで体調崩していては元も子もないよね ただ誰の役にも立っていない自分を許せる精神性を自分は持ち合わせていないからきっとしょうがないんだと思うしかない 「お前は1人でできる」「大丈夫」「やれ
満たされたい愛されたいばっかりで 自分を知らない人が多いね 自分を知らない 相手も知らない どうしようもないよね きっとあなたも僕も自分の何も知らない 自分のことは自分がいちばん知っているなんてどこかで聞いたようなセリフを吐いてわかった気でいるだけ 鏡で映る自分だって正しくは映らない 何を持ってあなたはあなたを知っているというのか 自分も分からず相手も定まらない きっと余裕が無いからしょうがないね しょうがないで済ませていたらそのままだけれど 現代社会は諦めに満ちてい
お久しぶりです。 最近どうですか? 生きてますか?死んでますか? それともそのどちらでもないですか? それはそれはどんな状態であろうと大変ですね 生きていれば厄介事がつきまとい、死んでいれば言わずもがな。 どちらでもないのならそれはそれで中途半端という呵責に苛まれているのでしょう。 それは僕も、でしたね。 最近の僕の報告と言えば、なんでだろうね いざ書こうと思うと思いつかないもので思い付いても言葉にならなかったり難しいものだね。 まあそういうものを無理に言葉にする必要は
人を好きになるって、どういうこと気持ちなんだっけ。そんな他愛もない雑談のような悩みに苛まれている。 多分、最後に人に恋したのは4年前。その頃の僕はまだ情熱に溢れていたのだと思う。人を求めひとりの人間を幸せにしようと思っていた。その気持ちが結果を見れば空回りをしていて、その人の隣に僕はいないのだけれど。 思えば僕の恋愛は特殊というか限定的。誰かの抜けた穴を埋めるために人といることが多かった。空いてしまった穴を塞いで修理したら離れていくことが多かった気がする。僕は能動的に恋を
好きだった配信者の友達がなくなっていた 未だ心に痛みは無い その人との関わり方に僕は後悔はない 反省はあれど悔やんだりしていない 胸を張ってそう言える ただもっと仲良くなって見たかったとはおもう 時間があってもきっとちょうどいい距離感で関わっていたのだろうけど 両親が無くなった時も痛みはなかった 親とはもう少し一体一で人生観について話してみたかった 母親の死後母親は枕元に立ってきた 父親の死後父親は穏やかに語り合った 僕の霊感が良くも悪くも願いをすこしだけ叶えたのかもしれ
大好きな冬ももう終わってしまう ふと悲しくなった 自分の精神をすり潰して限界を迎えてなお そのことの方が何より重く僕にのしかかる 美しい出会いと別れの季節がくる 秋冬に死んだ命を知らん顔して季節が巡る 街中で流れる歌に今日も嫌気がさす そうはいえど 普通の人間たちに紛れて生きている僕に 誰かを非難する権利は無い 小さな頃からそうだった 僕は人真似するのが得意で人を見るのが好きで人の感情を捉えるのが得意だった 今僕が持っているもので自分由来のものが思いつかないくらい
ついに25歳を迎えてしまった 1度は人生の終わりを考えた年齢 四半世紀を生きてしまった それだけ生きれば充分だと そう決めつけて生きてきた 生きている間はすごく長かった気がしていたが 生きてきた過去となってしまえばあっという間 それでもそこには苦悩の日々が息づいていた 希死念慮とでも呼ぶべきだろうか それも本質ではない気がする そんな何かが僕の中に住んでいて 僕を睨みつけている その冷たい視線を感じながらずっと生きてきた 『ここはお前の居場所じゃない』 『誰かのためにな
悪意も好意も全てぐちゃぐちゃに引っ掻き回して全てを台無しにしている気分だ 今夜は七夕 年に一度の永遠に愛を誓い堕落した夫婦が真面目に働いた褒美に再会する日 せめて今日だけは普段から頑張っている人たちに幸せがありますように
愛の時価は大暴落。 いつか誰かが言っていた、言葉は時代に合わせて意味が変わっていくと。 「気の置けない仲」が信頼できる仲から信頼できない仲になったように、きっと愛の意味も変わってしまった。 受け入れ大切にする気持ちではなく、現代の愛は満たすことが重きになっている。 愛されたいはただ満たされたいという言葉に変換され 愛という潔癖な言葉は欲望に犯されて形だけのハリボテとなった。 言葉の本質がどんどん変わっていく。 現代において色んな物事が形式化され、込められた意味が、想いが軽
私の手は今まで私がやってきたことを知っている その努力の積み重ねも優しさも悪いことだって全て知っている 私の頭は知っている 私の善意や優しさ、悪意とか嫌悪も全て知っている それでも身体はいつまででも自分の味方だ 壊れてしまうまでいつでも私の思うように動いてくれる 本当に限界を突破しそうなとき 身体は言うことをきかなくなり 全力で動きを止める 自分は最大の敵と言うが 自分だけは最後までどんな時でも自分の味方だ 自己嫌悪や自傷行為 生きるためにするのは良いけれど 心のどこ
人生において人は孤独であるというのは真実である 人は一人で生き、一人で死ぬ 人生に孤独感を味わわない人間はきっといない それでこそ感情の欠如した者でない限り 人生とは一本の綱渡りのようなもので、誰かと重なることはない そういった意味では確かに人はどうしようもなく独りでいるしかない ただ重なることはないだけで孤独の対処法はある それは人とお互いに寄り添うこと 実際、それは簡単なことではなくて綱渡りで手を取り合って歩くような感覚すら感じる それの理由は明らかで 今の若い日