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”自分に命令しない”こと

社会人になってから、自分に期待をかけすぎて、
他人の期待に応えようとしすぎて苦しくなることが何度かあった。

最近、また苦しい気持ちになりそうになったので人に相談してみて、言われた言葉。

”命令”という強い言葉にハッとした。なるほど。

 「本当は⚪︎⚪︎したいけど、こっちのほうが、、」

 「わたしは⚪︎⚪︎だけど、あの人は⚪︎⚪︎のほうが・・」

というのは自分の気持ちにストップをかけて”命令”してること。

胸のざわざわは適切なアラートだから、もはや観察してみようということになった。

なぜ自分にアラートを出していたのか?


話していて思ったのは、
私は仕事が好きで、仕事に好かれようとしすぎたのかなと思った。
でもその「好かれ方」が自分に合ってなかった。
(自分の面白さより評価や組織として、を優先してしまうことがあった。会社という組織に居場所を求めすぎた)

なので最近は自分に都合よく、相思相愛になるように調整中。

そうすると、他人の「期待はずれ」の顔が見えることがある。
(なんなら独立して、他人の「期待はずれ」顔は増えた)

でもそれは、相手の期待と、自分の期待してほしいことが合っていなかっただけ。

速くて正確で最高の仕事をしますよ、という期待か、
ちょっといつになるか分かりませんがきっと面白いものを出します、
という期待の違い。

あなたにとって都合の良い子供/友達でいますよ、という期待か
なんの役にもたたない(むしろたまに迷惑かける)けど面白いからよければ付き合って、という期待の違い。

後者のほうが自分にとってはサスティナブル。
期待値は低く、でも何かに期待してくれたら嬉しい。
(パートナーは他人に期待をさせない達人で、ヒントになった)

生きとし生けるものとして、ゼロはさみしい。

なので期待調整中。
今日もやりたいことをやってから(きっと)仕事。

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