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自分がどう生きたいかなんて誰もわからない。で、どうする?

時には人生の話を。

27の誕生日を目前にし、友人と人生観について語ることが多くなってきた。
みんな、学生の頃とは異なる種の悩みを抱え、壁にぶつかり、中年に向かっていくけもの道の只中で躓いている。
で、一通り愚痴をこぼし合ったあとに必ず誰かが言い出すのが、
「まあ、最後は自分がどう生きたいかだよな」
というような一言だ。

僕自身、十代の後半くらいからそういう意識は常にあった。
ちょうどそれくらいの時期から、同世代の友人と趣味の話がしづらくなったからだろう。それまでは、本にしたって音楽にしたって、みんなも親しんでいるようなポップでメジャーな作品ばかり手に取っていたのが、段々とアングラかつマイナーな方向性を嗜好するようになり、「俺、なんか浮いてるな」という感覚をおぼえた。

けれど、そこで他人と話を合わせるために自分の趣味を偽るということができなくて、「結局、自分がどう生きたいかだしな」と自分に言い聞かせることで、孤独を紛らわそうとしていた。

あのころは、「俺は、自分がどう生きたいかを自分の頭で考えている」と本気で思い込んでいたから、幸せだったかもしれない。

大人になると、自分の頭で考えているつもりのことが、親からの教育、学校による教育、生まれ育った地域の特色、親しい人々の言葉、関わっているコミュニティの雰囲気、マスメディアやSNSの志向性などの影響を色濃く受け、一から十まで自分の頭で考えられていることなんて一つもないのだということを痛感させられる。

だからこそ、二十代半ばになって問う「自分はどう生きたいのか?」という難題は、十代の頃に掴めていたはずのそれとは、次元が違っている。

その問いは、どこまで潜っても底に触れられない、幽玄の闇だ。

これが答えだろう、という確信めいた考えに一度至れたとしても、人生のどこかでその考えを覆す出来事に直面してしまう。燃え上がるような恋に落ち、「自分は愛に生きる人間なんだ」と感じていても、信じた愛に裏切られ、「ああ、人間ってみんな独りなんだな」と思い馳せたりする。だからといって、誰も愛さず、誰も信じずに生きることが幸せとは到底思えない……。

この程度の逡巡は、誰しも一度くらいは経験していてもおかしくない。
人間は、好むと好まざるとにかかわらず、変化し続ける生き物だ。
その変化の方向性が〝生き方〟と呼ばれるもので、ただいたずらに皺を増やしていくだけじゃなくて、よりよい方向に変化していける人が、能動的に人生を創造している人だと、とりあえずそう結論づけることができる。

で、「よりよい方向」ってなに?

みんな、それがわからないのだ。僕も全然わからない。
人間を「よりよい方向」に導いてくれるはずの「真善美」という価値基準は、時代の進行と文明の進歩によって日に日に変化していくし、永遠に辿り着けない砂漠の蜃気楼みたいなものだ。
多くの人がその事実に気づいている。変わらない価値など、どこにも無い。
今日の自分が当たり前に正しいと思っていたことが、明日には間違いになっていることだってある。かつて地球は、宇宙の中心にある星だと確信されていたのだ。

ここまで色々考えてはみたけど、煎じ詰めて僕が言いたいのは、「生きる」とか「人生」とか、正直考えてられなくない? ということだ。

肩透かしに思ったら申し訳ないのだが、今のところ僕は「人生」を能動的に創造して「生きる」みたいな考え方を持つことができない。
ただ、それでも日々は続いていくし、季節は巡る。

漫画『PEANUTS』におけるスヌーピーの台詞に、こんな言葉がある。

「みんな、自分に配られたカードで勝負するしかないのさ
(You play with the cards you're dealt…)
 それがどういう意味を持つとしてもね
(Whatever that means)」
※永谷の意訳

この言葉は、人間の営みをトランプに喩え、真理を捉えて余すところがない。
カードゲームから運を排除できないように、自分の人生や生き方を完全に自分の手でコントロールできる人間はいない。
一人の個人にできることは、自分に配られたカードを検討し、切るか切らないかを選択することだけだ。

そういう視点で言うと、今の自分にできることは〝書く〟ことだけだな、と改めて痛感する。

べつに、意味なんてないのかもしれない。
言い方を変えれば、僕が大して価値のない駄文を書いている間にも、歴史的な実験に取り組んでいる科学者とか、向こう10年カラオケで歌われる名曲を作りかけている音楽家とか、世界を熱狂させる名試合を演じようとしているアスリートとか、そういう価値ある仕事をしている人がいっぱいいるのだ。
けれど、凡庸な自分が一足飛びに彼らのような偉大な人間になれるわけではない。

僕は書くこと以外に特別やりたいことがない。
であれば、なんでもいいからとにかく書くしかない。

そこにどんな意味があったのかを考えるのは、もうすこし皺が増えてからでもいい。

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