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100点症候群にサヨナラ

2022年、この間お正月だったのに、気づけば早くも1月が終わるだなんて、、、早すぎる!

今年は行動するのだと決めたのに、月日が経つのがかけ足すぎて、、、戸惑う!

とりあえず、ぼぅっとしてるとあっという間に今年が終わってしまいそうなので、最近のトピック、「100点症候群を手放した件」について、忘れないうちに書きとめておこうと思う。

なんのことかというと、私が今まで抱えこんでいた思考の癖を手放したら、めっちゃ楽になった、という話です。
この思考の癖を持つ人は、割と多いのでは?と勝手に推測しているので、どこかのどなたかの役に少しでもなればいいな。

まだまだ言葉が上手く綴れず乱文ですが、もしよかったら読んでください。

100点症候群とは、できる自分、完璧な自分を目指すこと

子どもの頃、テストで100点とったら親や先生にほめられてうれしかった、という経験がある人は少なくないと思う。
100点症候群とは、その時の気持ちをつい味わおうとして、無意識に何をするにしても完璧を目指してしまうこと。

私は昔から負けず嫌いで、やるからにはちゃんとやりたいタイプ。ちょっと思い返してみただけでも、こんな感じ。↓

仕事の時のわたし→上手く器用にこなせないと落ち込む。かっこいいできる先輩だと思われたい。イメージ通りに話せないと自分にイライラする。人前でバカなことができない。人前で、私に話をふらないでほしいと思う(おもしろいこととか言えないから)。やるからにはアイツはできるヤツだと思われたい。

プライベートのわたし→子育てきちんとやりたい。ごはんはなるべく手づくりを食べさせたい。洋服はきちんとしたおしゃれなヤツ着たいし買いたい。ステキなママに見られたい。手づくりする時はそこそこの完成度にしたい。

書き出してみたら、めっちゃ出てくる。
そして、書いた内容見返してみたら、しょうもないな、、と思うけど、ほんと、100点症候群だらけ。笑

まあ、こんなわたしも含めてわたしだし、やるからにはちゃんとやりたいと思うこともいいことだと思うけれど、わたしはふと、もういい加減この癖は手放したいと思った。

なぜ手放したいと思ったか

年末から年明けにかけて、仕事でもプライベートでも上手くいかずに落ち込んだりモヤついたりすることが続き、いい加減もうこの思考やめたいな、と新年早々、心から思ったから。

仕事編
年末、思うように仕事ができず、落ち込んでしまった。できなさすぎて、わたしはここにいる価値なんかないんじゃないかとすら考えた。(ネガティブスパイラル、、苦笑)

おちこみすぎて、チームの同僚に雑談レベルで軽く相談したら、いる価値ないからあなたはやめた方がいい、なんて全く言われなかった。(そりゃそうか笑)
むしろ、私が自分でやめたいと言わない限り、やめてくれとは言われないと思う、といったやさしさMAXな言葉までかけてくれた(ほんとありがとう)。

自分が思ってるほど周りは気にしていないことってよくある。
結局自分が一番自分を責めて、自分の意識の中で落ち込んでいるパターンなんだよなぁ。

プライベート編
今思えばすごくささいなことだけど、財布が買えなくてモヤついたという話。
年末に見つけたブランドものの財布がかわいくて、買いにいきたいなぁと思っていたけど、なかなかいく暇がなく、年明けになった。
買いにいける日が1/11で、この日は偶然にも天赦日&一粒万倍日。日も最高だし、この財布を迎え入れるのは必然だ!と意気込んで買いに行った。
しかしながら、その財布はもう売っておらず、買えなかった。もう店頭でもネットでも売っていないとのこと。
2日くらい前でネットでみた時は販売してたのに!

と、えーこれ絶対買うやつだと思ってたのに!とモヤついた後、上手くいかないのは自分の運のなさのせいだよねとかついてない私とか思い、またもや自分をさらに追い込んだりして。(改めて書き起こすとほんとしょうもなくて、おかしい笑)
買えなかった残念!でいいのに、そこから私を追いつめるのは、私自身だった。

ちょうどこの日、友人と話す機会があり、この話をしたら、ほんと100点症候群祭りだね~笑、と一笑された。
そうか、これ全部100点症候群か。とそこで言われて初めて気づいた。
イメージした通りに進めたい。できる自分でいたい。そういえば、無意識にいつも理想の自分を目指している。

客観的にみればわかるけど、渦中にいると、なぜだかどうしてもきづけない。

昔聞いたハイフェッツの理論で、ダンスアンドバルコニーの思考についての話を思い出した。
中の視点と俯瞰して見る視点を行ったり来たりすると、多角的視点で物事を捉えられる、って話で、自分自身をみる時も、この視点はめっちゃ必要だなと思った。

一度俯瞰視点で見れたら、ああ、またいつもの100点症候群がでたな、で終わりにできるから。

どうやって手放したか

で、こんな自分を追いこむだけの不毛な感情の波は、疲れるだけだし、もう手放そうと決めた。

手放すにあたり、紙に書き出してみた。自分と対峙するために。
なぜわたしは完璧を目指してしまうのか。
人からできると思われたいのはなぜか。
そして、仕事ができないと思われてもOKを自分にだした。

ほしいものが手に入らないのは、縁がないかタイミングではなかっただけ。そして、またいつかもっと良いタイミングで、もっとわたしにぴったりなものに出会える。
などなど。


遡れば、小学生の時に父親にテストでひどい点数をとりこっぴどく叱られた思い出(今でも覚えてる、28点だった笑)や、中学生の時にクラスでただ一人難問が解け、先生にめちゃくちゃ褒められた成功体験の思い出などが、今の私のなんでもちゃんとやりたいという思考を作っているのかなとも思い至った。

もはや私をこっぴどく叱った父は他界しこの世にいないし、先生だってあの時ほめたことなんか絶対絶対覚えてない。
こんなことに未だひっぱられることすら、ちょっとアホらしいなと思い、手放してやる!と意気込んだ。

だけど、手放す手放す言っていても、正直なかなか手放せた実感がわかなかった。

ある日、そんな自分自身に労いの言葉をかけたくなってかけてみた。

「今までめちゃくちゃがんばってきたよね、今までおつかれさま、私」と。

そうしたら、表現し難い感情がブワッとあふれてきて、泣きそうになった。

その時、自分の心が動いて、やっと、「ああ、わたしは自分をいたわってあげたかったんだ。」ということに気がつけた。そして、やっと、できなくてもいいよ、と自分に許可を出すことができた。

まだまだ、100点症候群が顔をのぞかせることはあるけど、もう大丈夫。
できなくても、わたしはわたしだし、幸せなことに、無条件に好きだと言ってくれる人が周りにもいる。

なにより、自分が良かれと思ってやっていることがたとえ上手くいかなくても、それは貴重な経験であり、自己否定にはならない。

人からどうみられるかより、自分がどうやって充実した楽しい人生を過ごすかを考えて過ごす方が大事。

一度きりの人生、最高の人生にするべく、
失敗も含めて愛すべき自分でい続けようと思う。


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