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U.S.ラディカルフェミニズム運動を学ぶために(文献紹介)

 こんばんは。夜のそらです。この記事は、1967~1973年ごろにボストンやニューヨークで花開いたラディカルフェミニズム運動について調べたことをまとめている記事の一部です。
 前回の記事では、このラディカルフェミニズム運動の「全体」像を語ることの難しさについて書きました。

 今回の記事から、運動の中見に入りたいと思っていたのですが、今後のことも考えて、わたしが何を参考にしながらこのラディカルフェミニズム運動の勉強をしているのか書いておく必要があると考えました。
 以下の情報を見て、もし「こっちの本で勉強した方がいいよ」とか「このWebサイトが詳しいよ」などあれば、ぜひ皆さまに教えていただければ幸いです。よろしくお願いします。

【警告】アンチフェミ男性やTERF(トランス女性を差別するフェミニスト自認者)が、この記事を読んだり、記事のリンクを共有することを禁止します。速やかにここを立ち去りなさい。恥を知れ。

日本語

1.栗原涼子著『アメリカのフェミニズム運動史』(2018)彩流社

 この本の第5章に、NYのラディカルフェミニズム運動についてやや詳しく書いてあります。わたしが探した範囲では、この栗原先生の本は、ラディカルフェミニズム運動について、複数の運動体ごとの違いを説明しながら書いてある唯一の日本語の本ではないかと思います(ほかにもあったら本当にすみません)。
 ちなみに、その第5章は「ニューヨークにおけるラディカルフェミニズムの運動と思想」という2010年の栗原先生の論文をほぼそのまま本に収録したものです。(※ここからダウンロードできます(https://swu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=5109&item_no=1&page_id=30&block_id=97))
 ただし、この栗原先生の本はNYの運動に焦点を当てているため、シカゴやボストンの運動については全く紙幅が割かれていません。そのこと自体は本の欠点では決してないのですが、わたしがAセクシュアルとしてこの運動を振り返るとき、ボストンのCell 16は外せないので、唯一の日本語文献であるこの本でもCell 16について知ることができないのは残念です。
 なお、この第5章は、後に紹介するEcholsさんのDaring to be badからの抜粋(まとめ)が内容の大部分を占めているので、英語が読める人はEcholsさんの方を読むことをお勧めします。もちろん、この第5章はThe Schlesinger Library on the History of Womenin America (RadcliffInstituteHarvard University)での研究成果でもあるので、おそらく現地でしか読めないだろう資料が少しだけ出てきます。(うらやましい・・・!)。
 ただし、素人のわたしが批判すべきではないかもしれませんが、栗原先生はおそらくラディカル・フェミニズム運動そのものに共感はしていないのではないかなと感じました。また、運動体の集合離散には紙幅が割かれているものの、思想や哲学の部分はあまり説明されていないのが残念です。あと細かいですが「プロウーマンライン」の理解も、わたしが読んだその他の文献とは少し違っていて、違和感がありました。

2.ファイアーストーン編(ウルフの会訳)『女から女たちへ』(1971年)合同出版

 この『女から女たちへ』は、後に紹介するNotes from the Second Year の部分訳です。このNotesは、ファイアーストーンとコートが編者となって発行されたもので、ラディカルフェミニズム運動における多くの重要な宣言文や論考などを収めています。リアルタイムで書かれたものが、リアルタイムで集められ、編集され、発行され、リアルタイムで読まれ、リアルタイムで運動を加速させたのです。そしてこの『女から女たちへ』は、そうしたU.S.ラディカルフェミニズム運動と同時に、リアルタイムで同じく闘っていた日本のウーマンリブの女性たちが Notes from the Second Year を翻訳したものです。団体名「ウルフの会」は、Women's Liberation Front(ウィメンズ・リベレーション・フロント)の略称であり、メンバーには後に「中ピ連」を結成した榎美沙子さんの名前も見えます(同書では「榎美沙」名義)。

ちなみにこの「ウルフの会」はNotes from the Second Year の翻訳を終えた後も活動を続け、榎美沙子さんによる有名な「ピル実験」が行われたのも、この「ウルフの会」のメンバーたちに対してでした。この「実験」の結果が榎さんの『ピル解禁』パンフに歪曲して都合よく掲載され、それがもとで榎さんが「ウルフの会」から離れた(追放された)こと、またそうした経緯もあり、「中ピ連」が日本のリブ運動と若干はなれた場所にいたことについては、秋山洋子「榎美沙子と中ピ連」(『女性学年報』12号:1991年)をご覧ください。(※この論文は『新編日本のフェミニズム(1):リブとフェミニズム)』に再録されており、わたしはそれを読みました。)

 やや脱線してしまいましたが、Notes from the Second Year から『女から女たちへ』に抜粋して訳されたもののなかには、「レッドストッキングス宣言」や「性の政治学」(K.ミレット)、「ラディカル・フェミニズム」(Ti-Grace アトキンスン)、「女と左翼」(E.ウィリス)などがあります。NYを中心としたラディカル・フェミニズム運動の呼吸を日本語で知るにあたって、この『女から女たちへ』はわたしにとって最良の教科書となりました。ただし、「個人的なことは政治的なこと」(C.ハーニッシュ)や「エゴの政治学」(NYRFマニフェスト)、また「性役割の根絶のために」(The Feministsマニフェスト)など、抜粋の過程で訳されなかったものもあり、運動体に注目するにあたっては、これらが日本語で読めないのは残念です。

3.ジョー・フリーマン著『女性解放の政治学』(1978年:奥田暁子/鈴木みどり訳)未来社刊

 著者のフリーマンは政治学者です。ただし、フリーマン自身、実際にシカゴの地で1970年ごろまでラディカルフェミニズム運動のただ中にいた「ラディカルフェミニスト」でもありました。
 この本は、フリーマンがU.S.の戦後の女性運動の研究として著した博士論文(1973年春完成)を翻訳したものですが、やはり興味深いのはラディカル派の分析です。フリーマンは、運動に参加した自分自身の経験を踏まえつつ、目の前で起きている女性解放運動を学問として記録するという、極めて難しいことをこの本で試みたのです!この本は、生々しい経験の声と、学者としての冷静さを兼ね備えた、奇妙で貴重な本です。
 この本でラディカルフェミニズム運動が扱われるのは、主に第4章です。フリーマンは「若い派の女性」という言葉でラディカルフェミニズム運動の主体を支持しており、ラディカルフェミニズムという運動は(若い)世代のものである、という認識が前提となっていることが分かります。
 フリーマンの分析は、何か特定の団体の運動や思想に個別に注目する、というものではありません。個別の運動体ごとにそのスタイルや思想を解説する、というものでもありません。そのため、これはラディカルフェミニズム運動を学問的に総括した最初期の分析だと言えると思います。
 わたしが個人的に勉強になった点は、2つあります。一つは、メディアとの関係です。ラディカルフェミニズム運動が大衆的なメディアとの関係によって勢いをつけ、同時にメディアによって潰されたことは、今では常識ですが、74年のフリーマンのこの本で既に、ラディカル派の女性たちとメディアとの難しい関係が取り上げられています。大衆メディアは女性運動を揶揄し、馬鹿にしたように報道します(※もちろんアングラの新左翼系の新聞でも、誇張した女性器の図柄を添えて女性解放運動が扱われたり、ひどいありさまでしたが)。しかし、大きなメディアの取材を受けて、運動が大きく報道されたいという思いも、運動の女性たちにはありました。また、メディアは分かりやすく自分たちの思想を伝えてくれる”リーダー”に、インタビューしようとします。しかし、女性たちの運動は平等であるべきで、誰かをリーダーに決めたりはしたくない。こうした、女性たちの内側の矛盾した気持ちが、メディアとの関係を困難にしていきます。最終的に、多くの運動体とメディアとのあいだには「男性記者お断り」の協定が結ばれたとのことです。これは、メディアに女性記者を起用させるため、校閲などの社内仕事ばかりだったメディア内部の女性に「取材」の機会を与えるため、また自分たちの問題をよりよく理解してもらうため、などの狙いがあったようです。
 もう1つ勉強になった点は、「ラップ・グループ」という小集団での活動について、当時の生き生きした様子が語られていることです。コンシャスネス・レイジング(CR)という言葉の方が有名かもしれませんが、自分自身の個人的な経験の背後にある構造的な問題に気づかせるために、小集団のなかで個人の経験を共有し、お互いにコメントしあったり、政治的な意識を高めていくというこのCRを行っていた小グループを「ラップ・グループ」と呼びます。ラディカルフェミニズム運動の中では、このCRを巡って大きな対立が起きていたのですが、フリーマンがラップグループに向けている評価は二義的です。そして、それは現在の共通認識にも近いものだと思います。ラップ・グループは多くても15人くらいで構成され、個人的な経験を話し合い、自分たちが経験してきた不都合や差別、心理的な抑圧に家父長制=男性優位体制という構造的な背景がある、ということを丁々発止のやりとりのなかでお互いに認識しあうのですが、「個人的なことは政治的なこと」というスローガンを体現するこの活動は、しばしば個人的な問題に注力することこそが運動の価値であるという傾向を産み、女性たちがひとつの大きな政治課題に向かって集合して挑んでいくことを難しくする側面がありました。フリーマンは、こうしたラップ・グループの功罪を73年時点で鋭く指摘しています。
 以上の2点が、わたしが特に勉強になった点です。ただし、フリーマン自身は政治学者で、女性解放運動のなかでは「エリート側」に属していました。そのため、ラディカルフェミニズム運動のなかで起きた「エリート主義者」批判を受けた女性に、フリーマンがかなり同情的な立場に立っていることは覚えておくべきでしょう。後年の言葉なども見ると、フリーマンは「ラディカルフェミニズム運動は衰退すべくして衰退した」という考え方を持っているようですが、それにはフリーマン自身が経験したそうした「エリートでない女性」からの批判の影響があるかもしれません。
 補足として書いておくと、この本の「はじめに」によれば、フリーマンが研究をするにあたっては、運動の当事者の女性たち、特にラディカル派の女性たちから、インタビュー調査などを断られ、不信感や反感を抱かれることもあったようです。同じ運動の参加者だとしても、運動について語るという学者の特権をもつフリーマンの存在は、運動の中で歓迎されず、距離を置かれることもあったようです。当事者と研究者の間の軋轢や葛藤、古くて新しい問題ですね。

ちなみにこのジョー・フリーマンは「ジョリーン(Joreen)」のペンネームで「あばずれマニフェスト」(Notes from the Second Year所収 のBITCH MANIFESTO(邦訳『女から女たちへ』では「ビッチ宣言」として訳出))を執筆した人物でもあります。本人は後年、「ジョリーン」が自分のことだと認識されていないことに気づいてペンネームの使用を後悔したそうです。

4.江原由美子著『女性解放という思想』(1985年)勁草書房

 この本の第Ⅱ部は「リブ運動の軌跡」となっていて、日本のウーマンリブ運動の歴史と思想について書いてあるのですが、江原先生は次のスタンスでこれを書いており、アメリカのラディカルフェミニズム運動を学ぶときの参考になります。

 日本のリブ運動は、アメリカのそれの単なる移入であったという意見は今も強い。たしかに日本とアメリカのリブ運動の間には、重点の置き方の相違こそあれ、全体としては驚くほどに共通点が多い。しかし、これを日本の運動がアメリカのそれの単なる模倣であり、必然性のないものであったと解釈することは誤りである。家族制度や文化的背景の相違を超えて、共通の問題――先進資本主義の矛盾としての性差別の問題――の存在こそが、この類似性を形成したと考えるべきである。(105ページ)

 そういうわけで、この第Ⅱ部では、U.S.のラディカルフェミニズム運動と日本のウーマンリブ運動の、どこが似ていて、どこか違うのか、ということがちょくちょく説明されています。その結果、U.S.のラディカルフェミニズム運動についても知ることができる、というわけです。わたしは日本のリブ運動についてあまり詳しくなかったのですが、この江原先生の本を読んで、想像以上に運動の形態や方法、思想や理念、そして衰退までの経緯が似ていることに驚きました。
 また、この『女性解放という思想』と併せて、江原先生の『ラディカルフェミニズム再興』(1991年)を読むことで、ラディカルフェミニズム運動を理解するための軸のようなものを手にすることができました。江原先生はフェミニズム理論として「ラディカルフェミニズム」の研究をされていますが、ラディカルフェミニズム運動についても当然お詳しいですし、理解の導きを与えていただきました。
 ただし、江原先生は運動体ごとの細かい歴史などには触れていません。総括的な論評なので仕方ないですが、日本のリブ運動のなかにも多様性があり、また中ピ連のような独自路線の運動体が同時代に並行していたように、U.S.の運動も一枚岩ではなかったので、そのあたりの歴史的整理は、もう少しだけ繊細でもいいかな、と思いました。特に、あたかもU.S.のラディカルフェミニズム運動においてCR(コンシャスネス・レイジング)がどこでも重視されていたかのように書かれていたのは、ミスリーディングだと思います。CRに対する評価は、ある意味で運動全体の中での最大の論争点で、CRに何の価値も見出さない、むしろCRは有害だと考えていた運動家や運動体もたくさんありました。

 以上の4冊が、わたしがアメリカのラディカルフェミニズム運動について日本語で調べるときに使っている本です。他にも、『アメリカ研究とジェンダー』という本にも少しだけラディカルフェミニズム運動の説明を見つけましたが、紙幅も少なく参考になりませんでした。

追記:荻野美穂さん著『女のからだ フェミニズム以後』(岩波新書2014年)の110ページに、秋山洋子さんが「日本で最初のリブ資料集『女性解放運動資料Ⅰ アメリカ編』」を訳したとの記述を見つけました。しかし、この『女性解放運動資料Ⅰ』は国立国会図書館でもヒットせず、ネット上では全く存在の痕跡を見つけられません。
追記の追記:このあと、『全共闘からリブへ』(インパクト出版会1996年)の対談で秋山さんがこの件について発言しているとのご指摘をいただきました。それによれば、この資料は1970年8月に、ガリ版印刷で出されたとのことです。ガリ版なので国会図書館にも入っていないのですね…。秋山さんがアメリカ人反戦活動家のカップルを通じて入手した資料の翻訳とのことです。こういう小さなネットワーク、自前での出版、ラディカルフェミニズム運動っぽくてわくわくします。でも、1970年8月に翻訳できるとしたら、何だろう??NYRWのマニフェストとか、レッドストッキングス・マニフェストも入ってるかな。

英語

つづいて英語の本です。

5.Alice Echols著:Daring to Be Bad: Radical Feminism in America 1967-1975(University of Minesota Press:1989年)

 ここまで長い記事を読んでくださった方には本当に申し訳ないのですが、U.S.のラディカルフェミニズム運動について学ぶなら、このEcholsさんの本だけとりあえず読んでおけばOKだと思います。いえ、正確に言うと、各運動体ごとに固有の説明をしつつ、運動全体のことにも目配りをしている研究は、Echolsさんのこの本以外に見つからないのです。わたしがネット上で検索した最近の学位論文などでも、ラディカルフェミニズム運動について書いている研究者の方たちは揃ってこのEcholsさんの本を参照していました。
 この本は400ページ近い大著ですが、Politicoと女性解放運動の分裂(2章)や、左翼からの離別(3章)を経た、第4章の記述が圧巻です。第4章のタイトルは「Varieties of Radical Feminism―Redstockings, Cell 16, The Feminists, New York Radical Feminsts」となっており、レッドストッキングス、Cell 16、ザ・フェミニスツ、ニューヨーク・ラディカル・フェミニスツという4つの運動体のそれぞれについて、合計65ページくらい割いて詳しく書いてあります。第5章ではレズビアンフェミニズムも扱われ、RadicalesbiansやThe Furiesも登場します。
 この本は、ラディカルフェミニズム運動の急速な衰退と文化派フェミニズムの興隆を論じる第6章で終わるのですが、ラディカルフェミニズム運動の誕生から死(あえて「死」と書きます)までを総覧した歴史研究として、Echolsさんのこの本はとても勉強になります。そして、この本には運動に参加していた女性たちに直接Echolsさんがインタビューして入手した情報もふんだんに書かれています。もう、こうしたインタビューは不可能なので、この本に並ぶ研究は出ないのではないでしょうか。そういうこともあり、以降のわたしの記事も、大部分はこのEcholsさんの本に依拠します。
 何よりタイトルがいいですね。Daring to be Bad。「女らしくないって言うなら、その「悪い女」になってやろうじゃないか」ということですね。ラディカルフェミニズム運動の精神をシンプルに示していると思います。なお、前書き(Foreword)をEllen Willisさんが執筆してもいて、こちらも運動の真ん中にいた女性の回顧として非常に参考になります。

6.Flora Davis著:Moving the Mountain: The Womesn's Movement in America since 1960(University of Illinois Press:1991年)

 こちらも600ページの大著です。全部は読めていません。タイトルの通り、1960年代からのU.S.の女性運動について書いてあります。先ほどのEcholsさんの本はラディカルフェミニズム運動だけに注目したものですが、こちらの本は、リベラルフェミニズムやその他の女性運動も幅広く視野に入れたものです。より正確に言えば、メディアにおける女性表象の問題、中絶合法化の闘い、憲法の男女平等修正条項、女性に対する暴力など、それぞれのテーマごとに、どのような女性運動が展開されたのかを書いてあるのがこの本です。そんななか、Echolsさんの本と同様に、RedstockingsやCell 16など運動体ごとの記述もあるのですが、そうした個々のラディカルフェミニズム運動体については、Echolsさんの本の方が圧倒的に詳しいです。
 とはいえ、Davisさんのこちらの本でしか学べない、ラディカルフェミニズム運動の側面もあります。1つは、新左翼との関係です。新左翼運動内部で女性差別が問題にされたこと、それが萌芽となってラディカルフェミニズム運動が誕生したこと。そしてまた、新左翼によってラディカルフェミニズム運動が潰された面があること。Davisさんは詳しく書いています。
 また、ラディカルフェミニズム運動に参加した女性たちは殆ど全員が白人女性でしたが、彼女たちと黒人解放運動に参加していた女性たちとのあいだの微妙な緊張関係についてもDavisさんは書いており、勉強になりました。
 そして、例にもれずタイトルがいいですね。Moving the Mountain。60年代からの「第二派フェミニズム」が、それこそ山を動かすように社会を動かした。運動の波が、まるで大きな山のようになってうねりをみせた、そんなリアリティが込められていると思います。あと、最後に忘れないように書いておくと、第二派フェミニズムの運動の説明は何かとNY中心的になりがちなのですが、Davisさんはシカゴやボストンでの運動についても平等に目配りして書いていて、地理的偏りはもちろん完全には解消されていませんが、とはいえよい特徴だと思いました。

7.Firestone and Koedt編:Notes from the First~Third Year(1968~1971)

 先ほど『女から女たちへ』のところでも紹介した、Notesです。First YearからThird Yearまで3年分あります。
 1968年のFirst YearはNYRW(ニューヨーク・ラディカル・ウィメン)という運動体が発行主体になっていますが、この団体は1969年半ばには消滅(発展解消)してしまいました。しかし、First Yearの編者だったFirestone(ファイアーストーン)とKoedt(コート)の二人は、ラディカル系の女性運動の当事者たちから原稿を集め続け、SecondThirdを発行するに至りました。一部のWebサイトなど(Wikipedia含む)では、このNotesを発行したのは全てNYRWだと誤って書いているものもありますが、上記の通りNYRWは1969年中に消滅しているので、1970年と1971年のSecondThirdの発行主体がNYRWなはずはありません。
 1968年のNotes from the First Yearは、小さなミニコミ誌という感じです。全体で32ページ。8本の論考のうち、ファイアストーンが4本、コートが2本書いています。Brigateの平和デモ行進に対する抗議「伝統的女性のお葬式」について報告するファイアストーンの報告や、その名も「Women in the Radical Movement」と題されたコートの論考が非常に興味深いです。後者は、アメリカ独立革命で得られたのは白人男性だけの自由と権利であり、黒人と女性にはそれは与えられなかった。ソビエト革命でも女性たちは自由になれなかった。黒人解放運動は、単に経済の構造ではなくレイシズムそのものの問題に取り組むことなくして黒人の自由はあり得ないことを示した。それでは、女性のための革命が必要ではないか?という感じの論考で、ラディカルフェミニズム運動の精神を表現しています。なお、このFirst Yearは、男性には1ドルで、女性には0.5ドルで売られました。女性たちが手に取りやすいように、という目的もありますが、「なぜ性別で値段が違うんだ」という気づきを促すことで、「なぜ女性だけが……」という当たり前の差別の存在を可視化する試みでした。
 1970年発行のNotes from the Second Yearは、First Yearとは全く異なる性質のものとなりました。全体で128ページ(Firstの約4倍!)となり、発行主体もNYRWではなくなったので、様々な団体、個人の論考が掲載されているほか、各種団体のマニフェストも充実しています。先ほども書いたように、このSecond Yearの抜粋訳が『女から女たちへ』です。
 1971年発行のNotes from the Third Yearも、144ページの充実した内容ですが、Secondからは大きく方向転換しています。編集者の注記には、1970年頃までに急拡大したラディカルフェミニズム運動のなかで今必要なことは何か、が語られています。曰く、マニフェストを作成して団体の活動を世間に示したり、CRを通じて女性たちを運動に組織化していくという、外向きの時代は過ぎた。これからは、もっと女性解放運動のために必要なテーマを内側に掘り下げていく必要がある、ということです(※CR偏重になりがちだった運動に対する批判的反省が明確に見て取れます)。その結果、女性たちの経験の語りを掘り下げる内容や、売春のこと、レズビアニズムのこと、女性作家のことなど、様々なことが取り上げられるようになっています。なお、わたしの個人的な見立てに過ぎませんが、Kaeron and Mehrhof や Densmoreなど、分離主義的な傾向が強い書き手の文章が増えたな、という印象を少しだけ抱きます。
 なお、これらのNotesはある大学のアーカイブで無料でPDFをダウンロードできますので、興味のある方は検索してみてください。

8.Barbara Crow編:Radical Feminism: A Documentary Reader(New York University:2000年)

 ラディカルフェミニズム運動のなかで/にとって重要な、ありとあらゆる文章が収められています。「レッドストッキングス宣言」や「男性切り刻み協会マニフェスト」、「あばずれ宣言」、「The Woman Identified Woman」などのマニフェストをはじめとして、先ほど触れたWomen in the Radical Movement(Koedt)や「性の革命」(ファイアーストーン)、「個人的なことは政治的なこと」(ハーニッシュ)、「ロクサーヌ・ダンバー:女性の異性愛はいかに男性優位主義の関心に奉仕しているか」(リタ・マェ・ブラウン)などの論考、またCRのマニュアルに至るまで、500ページ超のこの本に67の文章が収められています。
 しかしこの資料集は、単にドキュメントを集めただけのものではありません。ラディカルフェミニズム運動に対する歴史的な反省を踏まえて、資料が集められています。それは、異性愛中心的、白人中心主義的、そして中産階級中心的、等の反省です。ですので、この資料集では、ラディカルフェミニズム運動そのものに対して批判的な立場からの論考も多数収められています。それは、レズビアン分離主義者や、非中産階級の書き手のものだったりします。中でもわたしにとって最も印象的だったのは、「青い目がほしい(The Bluest Eye)」という小説でも有名なトニ・モリスンが1971年のNew York Times Magazine誌に書いた「女性解放運動を黒人女性はどう思っているか」です。モリスンさんは言います。「女性解放運動を黒人女性がどんな風に感じているかって?不信(Distrust)の一語に尽きる」と(同書454ページ)。モリスンさんにとっては、「あらゆる女性たちと姉妹(sister)になる」というラディカルフェミニズム運動のシスターフットの理念は、白々しいものだったでしょう。白人女性が置かれている立場と、黒人女性が置かれている立場は、決して同じではないからです。
 このように、このDocumentary Readerには、ラディカルフェミニズム運動の中から/外から生み出された重要なテクストが多数収められています。それは、2000年当時から振り返ってみたときの運動への反省を踏まえたものでもあります。わたしもまだまだ読めていない論考は多いですが、これを読み切れたら、ラディカルフェミニズム運動について多角的に学ぶことができることは間違いないと思います。

 以上の4冊が、わたしが英語でラディカルフェミニズム運動について学んでいる際に使っている資料です。

本当は、Robin Morganの編集で、1970年当時の重要な論考やマニフェストを収めて出版されたSisterhood is Powerful(1970)も読みたいのですが、中古で1万円をはるかに超えていて購入できていません……。この本はおそらく運動の中の多くの女性たちに読まれたはずです…。V.ソラナスの「SCUMマニフェスト」を爆発的に広めたのもおそらくこのSisterhood is Powerfulではなかったかとわたしは睨んでいます。。

 これで、今回の記事は終わりです。いったい誰の得になるんだ……、という感じの内容になってしまいましたが、もしラディカルフェミニズム運動についてこれから学びたいという方がいらっしゃれば、参考にしてください。そして、もし「この本で勉強するといいよ」というのがあれば、ぜひ教えてください。よろしくお願いします。
 いよいよ次回から(ようやく!)、ラディカルフェミニズム運動の中見に入りたいと思います。

 最後に。このような本を使って勉強できるようになったのには、協力者が1人います。わたしは、ネット上のブログ記事や無料の論文などで、基本的にすべて勉強しようとしていたのですが、ラディカルフェミニズム運動については、40ドルくらいする雑誌論文と雑な感じのまとめ記事しかネット上ではヒットせず、全体像がつかめず途方に暮れていました。そんなとき、その協力者から「この本を読むべき」とアドバイスをもらい、Echolsさんの本とDocumentary Reader、そして栗原さんの本を紹介していただきました。また、高価なDocumentary Readerについてはご寄付いただきました。他にも、色々と情報収集に協力していただき、感謝の言葉もありません。また、その方は日本のウーマンリブ運動にも異常に詳しく、色々と勉強させていただきました。ご本人は謝辞もお断りだそうですが、その協力者抜きにわたしの勉強は全く進んでいなかったと思うので、記して感謝申し上げます。(この謝辞は消す可能性があります)