レッドストッキングス_写真

Redstockings(1)語り出された声:革命運動体レッドストッキングス

 こんばんは。夜のそらです。この記事は、わたしがUSのラディカルフェミニズム運動について調べたことをまとめている記事の一部です。今回の記事から、やっと(!)実際のラディカルフェミニズム運動体の活動・思想・理論の紹介を始めたいと思います。以前の記事についてはnoteにある「マガジン」をご参照ください。
 さて、最初のこの記事で取り上げるのは、レッドストッキングス(Redstockings)という運動体です。レッドストッキングスを最初に選んだのは、当時のラディカルフェミニズム運動らしさがよく見える団体であり、また現在でも比較的知名度が高いからです。
 なお、この記事は、レッドストッキングスについて扱う3本の記事の1本目です。次の記事では「レッドストッキングス・マニフェスト」を紹介し、最後の記事ではそれをわたしなりに読み解いて解説します。そして、1本目のこの記事では、レッドストッキングスという団体の活動と思想について主に紹介したいと思います。
 ちなみに、これから書くことは大体全てAlice Echolsさん著 Daring to be bad(1989)のp.139~158に書かれた情報に基づいています。それに加えて、Meggin Shcaafさんの2007年の論文Women and the Men Who Oppress Them: Ideologies and Protests of Redstockings, New York Radical Feminists, and Cell16(女性史の修士論文)のp.7~30も、わたしがアクセスできない資料をたくさん使っていて、参考になりました。ただし、SchaafさんもベースはEcholsさんの本だと思われるので、わたしもEcholsさんの本をベースにします。
 やっと…、この記事を始められて嬉しいです。退屈かもしれませんがどうか最後までお付き合いください。

この記事をTERF(トランスジェンダーを差別・排斥するフェミニスト自認者)やアンチフェミ男性が読むことを禁止します。記事のリンクを共有することも禁止します。今すぐ立ち去りなさい。恥を知れ。

1.革命運動体レッドストッキングス

 ラディカルフェミニズム運動体レッドストッキングスは、それ以前に存在した運動体New York Radical Women(NYRW)から分岐して誕生しました。このNYRWには、いわゆるラディカル派の女性と、新左翼よりのポリティコ女性とが混在していたのですが、あまりにも規模が急拡大したため、方針の似ている女性たちでそれぞれ集まって、別の団体へと発展解消しよう、ということになりました。そのうち、ポリティコ勢力が作ったのがW.I.T.C.H.で、ラディカル派の人々が作ったのがレッドストッキングスです。
 たち上げの中心となったのはEllen Willis(ウィリス)とShulamith Firestone(ファイアーストーン)であり、ここにKathie Sarachild(サラチャイルド), Irene Peslikis, Pat Mainardi, Barbara Mehrhof, Pam Kaeron, Linda Feldman, Shelia Cronan, Barbara Kaminskyらが初期メンバーとして加わって、1969年2月にレッドストッキングスは結成されました。初期メンバーたちは、レッドストッキングスをはじめから「戦闘的で政治的な」団体として構想していました。
 レッドストッキングスという名称は、19世紀に女性参政権を求めて立ち上がった女性たちの呼称「ブルーストッキングス」に由来します。もちろん、ストッキングの色がブルーからレッドになっているのは、赤色が左派を象徴するカラーだからです。彼女たちは、この赤色を「革命の赤色」として理解していました。

2.本当の「専門家」

 レッドストッキングスの団体としての最初の活動は、中絶の法的規制をめぐる政治闘争でした。当時、かの有名なロウ判決(1973年)によって中絶の権利が(不十分ではあれ)全米で認められる以前のニューヨークには、条件付きで中絶を認める法律が存在していました。しかし、当時の条件はとても厳しいもので、女性の健康にどうしても無理があるということを証明できなければ、中絶はできませんでした。また、そうした厳しい条件付きの法律だったため、(産科の)お医者に知り合いがいるかどうかが、中絶ができるかどうかにとって大きな分かれ道になっていたこともあったようです。もちろん、誰もがそうしたコネを持っているわけではないので、医学的措置によらない「闇堕胎」も少なくありませんでした。
 1969年当時、ニューヨークではこの中絶法の改訂が進められており、ラディカル・リベラル問わず、女性解放運動に参加しているほぼすべての女性たちにとって、この中絶法の改訂は女性にとっての中絶のアクセシビリティ環境をよりよくするためのチャンスだと捉えられました。
 そこには、当然ながら、現在の「条件付き」で許容されている、その条件をもっと緩めたり、女性のニーズにあう形に変えていこう、という風に考える女性たちがいました。しかしラディカル派の女性たち、そしてもちろんレッドストッキングスは、そうした中絶法の「改訂」ではなく「廃止」を求めました。ラディカル派の女性たちは、中絶は女性たちの権利なのだから、条件付きで認められたり認められなかったりするものではない。この法律は「改正」されるのではなく「廃止」されるべきだ、と主張しました。
 彼女たちの主張が目に見える形をとったのは、ニューヨーク州が開いた1969年2月13日の公聴会においてでした。その公聴会には、中絶に関する15人の「専門家」が招へいされたのですが、そのうちなんと14人が男性で、残りの1人の女性は修道女でした。女性の声が聞かれないまま、女性のことについて男性たちが「専門家」として何かを議論したり、また男性たちだけで女性の健康と権利のことを法的に縛ったりするこのような状態は、明らかに問題のあるものでした(※ピルの認可や診療での使用に関する日本の厚労省の会議はいまだにこのような問題を抱えていますが。この公聴会には、リベラルフェミニズムを代表する全米女性機構(NOW)も抗議を呼びかけ、ラディカル派の女性たちとあわせて、会場前ではピケが張られました。
 さらに、ピケを張るだけでなく公聴会自体を止めようとする試みもなされました。公聴会で一人目の意見陳述が終わり、裁判官(?)の1人が「すでに4人の子どもを産んで、その社会的な義務を果たした女性には、中絶を合法的に許してもよいのではないだろうか」と信じられないようなことを述べたとき、一人の女性が傍聴席から立ち上がり叫びました。「よし、じゃぁ今から本当の専門家の声を聞こうじゃないか!本当の専門家、それは女性たちだ!」。叫んだのは、レッドストッキングスのサラチャイルドでした。サラチャイルドは続けました。中絶は基本的に悪いことだけれど、例外的に許してあげましょう、そんな発想そのものがすでに問題だ。改訂のための議論など時間の無駄だ、と。もちろんこうした「廃絶」の主張は、NOWが求めていた方向性とは、少し異なるものでした。
 サラチャイルドに続いて、ウィリスが立ち上がりました。ウィリスは、自分の中絶の経験について、そこでスピークアウトしました。それは、その法律に最も関係のある「専門家」としての証言でした。ちなみに、そのウィリスの証言を聞いた議員の一人は、怒り狂い、嘆願の表情を浮かべながら「あなたたちはLady(婦人・レディ)らしく振舞えないのか」と言ったと伝えられています。 もちろん、ウィリスたちは黙りませんでした。
 結局この日の公聴会は延期となりました。その日のことについて、ウィリスはガーディアン紙のインタビューに答えて次のように言っています。

私たちは政治的な論争を前進させるために、公聴会を破壊しました。私たちが望んだのは、システムがいかに男性優位の仕方で運用されているかということを暴くことです。私たちがとりわけ目指したのは、専門家という概念が、自分たちの生活について人びとが自分の決定を下すことを可能にするのとは真逆のものになっていることを暴露することです。これは、黒人運動の中でなぎ倒されようと試みられたことと、同じようなことです。(Guardian, April 19. 1969)

 この公聴会の経験を経て、Redstockingsは今度は自分たち自身で中絶についての(疑似)公聴会を開くに至りました。それは、偽物の「専門家」ではなく、本当の専門家が集まる公聴会です。2月13日のあの公聴会から1か月後、1969年3月21日、その(疑似)公聴会には多くの女性が集まり、12人の女性たちが中絶についての自らの経験をスピークアウトしました。中絶についての経験を顔出しで証言することは、当然悪い反応を被る恐れがありました。でも、女性たちの身体や生活、人生について、「女性よりもよく分かっている」かのような傲慢な社会のあり方に抗うために、彼女たちは声を挙げたのです。ちなみに、レッドストッキングスのメンバーたちは、その(疑似)公聴会に全員がスカートをはいて臨みました。全員のスカートからは、赤いストッキングが見えていたということです。
 こうしたレッドストッキングスの「スピークアウト」の政治戦略は、のちに続く運動の女性たちにも大きな影響を与えたといわれています。公の場所で「語っていいこと」と「語ってはいけないこと」を区別し、女性たちに「語らせない」ことによって、女性たちを抑圧している、そんな男性優位体制に抗うための一つの方法が、スピークアウトでした。

3.コンシャスネス・レイジング

 以前の記事でも述べたように、ラディカルフェミニズム運動のなかではコンシャスネス・レイジング(CR)を巡る対立が存在していました。それはレッドストッキングスの内部でも同じで、発足当初のレッドストッキングスには、CRを非常に重視するSarachild(サラチャイルド)やPeslikis、Mainardiらに対して、Mehrhofや Kaeron, Cronan, Linda Feldmanらが、運動のなかでCRが重視され過ぎているのは善くないと考えていました。
 CRの魅力は、女性たちに政治意識を目覚めさせることにありました。しかしCRの悪いところは、それが女性個人の問題にあまりに重きを置きすぎて、女性たちがまとまって大きな政治課題に取り組むことを阻害する点にありました。結果として、レッドストッキングスの主導権はCR重視派が握ることになり、CRに懐疑的なMehrhofや Kaeron らは、レッドストッキングスを去ることになりました。ただし、彼女たちは単に運動を抜けたのではありません。彼女たちはTi-Grace Atkinson(アトキンスン)の呼びかけに応えて、レッドストッキングスを抜けたのです。アトキンスンらはこうしてThe feminists(ザ・フェミニスツ)という団体を作ることになりますが、それについてはまた後の記事でご紹介します。

4.プロウーマン・ライン

 コンシャスネス・レイジングと同様、レッドストッキングス内部で対立の種となったのが、「プロウーマンライン」というイデオロギーでした。日本語ではほとんど聞いたことがないと思いますが、プロウーマンラインとは次のようなイデオロギー・考え方を指します。

女性が特定のやり方で行動するのは、彼女たち自身が置かれている状況によるものであり、彼女たちがそうするように調教されてきたからではない。(冒頭で紹介したMeggin Shcaafさんの論文の25ページより)

これだけだと抽象的ですよね。この考え方の背景には、ある問いを巡る女性運動内での対立があります。それは、なぜ女性たちは社会で劣ったパフォーマンスをすることが多く、なぜ自分を抑圧することが分かっているのに男と結婚するのか、また、自分の自由がなくなることは分かっているのになぜ子どもを産むのか、という問いです。この問いに対して、「女性たちは家父長的な社会のなかで洗脳されているのだ」と主張する人たちと、「女性たちは家父長的な社会の中で最大限合理的な選択をしているだけで、女性たちが調教されたり洗脳されたりしているからではない」と主張する人たちが、分かれていました。このうち、後者を「プロウーマンライン」と呼びます。
 例えばプロウーマンラインの発想では、女性たちが男と結婚するのは、結婚しないと生きていけないからだ、ということになります。女性たちは、わざわざ嫌な目に遭うべく男といるのではありません。確かに男といれば嫌な目に遭うことは多いでしょうが、このひどい差別が存在する社会ではそれでもそれが合理的な選択なのです。男と結婚しなければ、女性は生きていけない。シングルで居続けるのは極めて困難だから、女性たちは結婚しているのです。女性たちの結婚は、女性差別的社会を生き抜くためのひとつの合理的選択なのです。Echolsさんの言葉を借りれば、このように、「女性たちの抑圧は、女性たち自身に施された心理的条件付け(conditioning)の結果ではなく、女性たちに直接的な影響を及ぼす外的環境(external condition)の結果である」と考えるのが、プロウーマンラインです(Daring to be badの143ページ)。同様の例として、レッドストッキングス内で最も強固にプロウーマンラインをとったハーニッシュは次のようなものを挙げています。「女性たちが「お馬鹿な可愛い娘ちゃん」の役回りを演じているのは、生き延びるための手段なのだ」と。
 こうした「プロウーマンライン」の発想は、女性たちが抑圧されていることの原因は女性たち(の選択)には存在しない、というはっきりとしたエンパワメントの側面も持っていたと思います。女性たちの行動・選択・振舞い方・考え方のせいで女性たちが抑圧されているわけではない。女性たちがあたかも自分たちを不利な立場に追い込んでいるように見える、その一つ一つの振る舞いや選択は、実は女性たちが抑圧を生き延びるための合理的な選択なのだ、とプロウーマンラインは主張します。
 このプロウーマンラインを巡っても、やはりCRと同じような対立がレッドストッキングスには発生しました。それも、対立構図すら同じです。Mehrhof, Kaeron, Cronan, Linda Feldmanなど、CRに批判的だった女性たちはプロウーマンラインにも反対でした。対して、CRを強力に進めたサラチャイルドは、プロウーマンライン推進派でした。結局、レッドストッキングスではプロウーマンラインが主流派となり、プロウーマンラインに批判的な女性たちはレッドストッキングスを去り(アトキンスンの団体に合流していき)ました。

5.結婚というバトルフィールド

 このように、レッドストッキングスの主流派を形成したプロウーマンラインの思想は、結婚や異性愛にコミットする女性たちは悪くないので、批判されるべきではない、ということを含意していました。Leonに言わせれば、「結婚するような女性は洗脳されているのだ、という風に「ラディカル」女性たちが言って、女性たちを分断するとき、それは大学教育を受けた白人女性による運動の支配を強めているだけ」でした。人よりもよく社会のことを学んだ、大卒・大学院卒の女性たちが、お前は洗脳されているんだ、と上から裁くようなことを言っても、女性たちは分断されるだけだし、それは上から目線のエリート支配だ、というわけです。
 結果として、レッドストッキングス(の主流派)の人々は、恋愛や結婚について現状肯定的な立場をとる面がありました。例えば先ほどのLeonは、「長続きするモノガミー的関係を女性が志向するのは、望まない妊娠をしたり、カジュアルな出会いに巻き込まれて暴力的なレイプの被害に遭わないようにするためだ」と主張します。モノガミー的関係では、家庭の中に暴力が隠されるというデメリットがあり、法の盾に隠れた家庭内レイプも起きてしまう恐れがあります。とはいえ、レイプや望まない妊娠のリスクを考えれば、特定の男とといたほうが女性には安全なのだ、だから女性たちは「合理的に」異性愛モノガミー関係を選択するのだ、とLeonは主張します。まさに、プロウーマンラインの発想です。
 こうした結婚についての発想は、「自由恋愛」についての次のようなサラチャイルドの考えにもつながっています。

大半の女性たちは「自由恋愛」を求める運動には参加しようとは思わないだろう。なぜなら彼女たちは、それが(女性にとっては)自由でないことも、また(女性にとっては)愛ですらないということも知っているからだ。(1971年のスピーチより)

1960年代、ヒッピー文化の影響もあったでしょうか、アメリカには「性革命」のウェーブが巻き起こっていました。しかし、自由に互いを愛し合う、という「性の自由」は、結局女性にとって利益にならなかった、むしろ危険が増えただけだった。「自由恋愛」を称揚することで女性たちに訪れたのは、不自由と「愛ではないもの」(≒性欲)だけだった、とサラチャイルドは述べています。なお、こうした「性革命」への批判的回顧は、ラディカルフェミニズム運動内でひろく共有されていました。
 しかし、自由恋愛や性革命へのこうした批判にもかかわらず、先ほどから見ているようにレッドストッキングス(主流派)は「反・性愛」や「反・恋愛」のスタンスをとりませんでした。むしろレッドストッキングスは、あくまでも現在の結婚制度・異性愛制度を前提としたうえで、その結婚・恋愛を男性と戦うためのバトルフィールドに選んだのです。もちろんそれは、プロウーマンラインの哲学に由来するものです。
 ある時期以降ほとんどレッドストッキングスの主導権を握っていたと思われるサラチャイルドは、現実の女性たちが結婚していることを知っていました。女性たちが今日も男と向き合いながら生きていかざるを得ない現実を、知っていました。ですからサラチャイルドは、結婚という選択をする女性を非難することよりも、政治意識をCRで高めて、それぞれの家庭の中でそれぞれの男たちと向き合って戦うための武器を共有する道を選んだのです。
 もちろんサラチャイルドは、結婚が女性を抑圧するための装置だということを知っていました。ですから、男性優位体制が終わるときには結婚制度も消滅している、と考えていました。しかしサラチャイルドは、その男性優位体制を終わらせるための戦略として、結婚制度の枠内で戦うことを勧めたのです。
 こうしたサラチャイルドの発想は、運動体の創始者ウィリスによって次のようにまとめられています。それは、「すべての女性たちが平等を求め、「くず」男を拒絶するなら、男たちは女性たちを平等に扱わざるを得なくなるだろう」という発想です。レッドストッキングス内部では、男性は女性からの性的な愛を受け取るニーズがあるので、このニーズをいわば人質にとることで、個人的かつ集団的な女性たちの闘争が進められる、と考えられていたようです。男性が女性から性愛の親密さを欲しがっていること逆手にとって、それを武器に変えよう、というわけです。

6.男と向き合う=異性愛主義

 しかし、プロウーマンラインに基づくこうした戦略の背景には、圧倒的な異性愛主義的前提が控えていました。男性たちの性愛のニーズを人質にとるという戦略だけでなく、レッドストッキングス内部には、女性たちがそうした「結婚」というバトルフィールドのなかで男と対等に向き合うようになれば、女性たちの側の性愛のニーズもよりよく男に満たしてもらえる、というインセンティブがあるようでした。
 こうした前提は、プロウーマンラインの哲学に由来するものでしたが、結果的には異性愛主義と結びついてしまいました。とはいえ、結婚というバトルフィールドのなかで男と向き合う、というこうしたレッドストッキングス主流派の戦略は、レッドストッキングスが掲げたもう1つの哲学にも由来していました。それは、「制度ではなく男が悪い」という哲学です。
 詳しくは次回の「レッドストッキングス・マニフェスト」とその解説で扱いますが、レッドストッキングスは「男性性優位体制」や「家父長制」というシステムや制度・規範を問題視しつつも、だからといって個々の男性を免罪することはしませんでした。悪いのは制度で、個々の男性は悪くない、というスタンスを取りませんでした。なぜなら、個々の男性がそのシステムから利益を得ていて、個々の男性はその特権にあぐらをかいて生きているわけですし、制度が悪いのだと言うと、男性が開き直るからです。
 ですから、レッドストッキングスでは「結婚制度」そのものももちろん悪いかもしれないが、何よりも「結婚制度」のなかで不当に利益を得ている目の前の一人一人の男性が変わらなければならない、そして男性たちを変えなければならない、と考えられました。プロウーマンラインの哲学を採用することで、結婚を選んだ女性たちの選択の合理性を担保しつつ、その結婚というバトルフィールドのなかで、個々の男性の責任を問うていく。それがレッドストッキングスの戦略でした。
 このように、レッドストッキングスでは「男と向き合う」ことで男を変える、ということが目指されたのですが、繰り返すようにそこには異性愛主義が横たわっていました。様々な理由で男性との結婚を選ぶレズビアン女性や、あるいはバイセクシュアル女性も、当時からいたと思いますが、結婚制度そのものの破壊よりも、その内側から「男を変えていく」という戦略は、結果としてその制度の恩恵にはじめから預かれない非異性愛者や、結婚に不適格だとみなされた人々(Ex:病気や障害とともに生きる人たちなど)をはじめから念頭に置いていませんでした。
 こうした異性愛主義は、レズビアニズムに対する誤った攻撃をレッドストッキングスが生み出すことにもつながりました。女性たちは結婚というバトルフィールドのなかで個々の男と向き合い、男を変えていく必要がある。にもかかわらず、レズビアニズムはその闘争のフィールドから撤退した。男と向き合う=戦うことから逃げた、と見なされたのです。どう考えても、これはホモフォビア的な攻撃でしかありませんが、プロウーマンラインと「制度より個人」という2つの哲学が、こうした帰結を産みました。
 もちろん、レッドストッキングスに在籍した全ての女性がこうした立場をとっていたわけではありません。運動体を創始したウィリスやファイアーストーンは、結婚制度や家族制度そのものに批判的でしたし、ウィリスはレッドストッキングスの「反―制度主義」を振り返って、「家族制度が女性を抑圧している」という事態をことごとく「男性が抑圧している」に置きかえてしまったせいで、制度は制度のロジックに従っているという重要な側面が見落とされてしまった、と批判的に回顧しています。ただし、ある時期以降のレッドストッキングス主流派が、サラチャイルドのようなCR重視・プロウーマンラインであったことは事実ですので繰り返しておきます。

7.分離主義者たちの脱退①:異性愛主義

 これまで書いてきたように、CRやプロウーマンラインを巡る対立の中で、幾人もの重要な活動家女性がレッドストッキングスからは抜けていくことになりました。それは、アトキンスンの呼びかけに応じたKaeron(カエラン)やMehrhof(メアホフ)、FeldmanそしてCronanらでした。
 彼女たちは、レッドストッキングス結成のたった数カ月後の1969年の春には、活動や理論をより進めて、政治的のみならず個人的な次元での分離主義を進めるべきだという考え方のもと、小さなグループをレッドストッキングス内部に形成し始めていました。彼女たちは、サラチャイルド主導で行われるCRの組織化・体系化ばかりの状況に強い不満を持ち、そんなことにこだわっていたら活動がいつまでも前に進まない、と考えていました。
 彼女たちは、プロウーマンラインにも批判的でした。カエランは、サラチャイルドを暗に名指ししつつ次のように言いました。

女性たちに教育をすることが不必要だとか、望ましくないだとか宣言することは、それは高い教育を受けた女性が一方的に決めることではない。すべての女性たちにとって、政治的に教育されることは本質的なことだ。(Echolsさん著Daring to be badの158ページ)

非常に興味深いことに、ここでカエロンがプロウーマンラインを批判するために用いているロジックは、先ほどの引用した、プロウーマンラインを支持するためのLeonのロジックと同じです。そこでLeonは、高い教育を受けた女性が、そうでない女性を見下して「あなたたちは洗脳されている」と裁くことはよくない、と述べていました。カエロンは全く同じように、自分たちだけ高い教育を享受して、他の女性たちには教育は必要ない、などと一方的に決めるのは間違っている、と述べています。すべての女性は政治的に教育されるべきであり、「洗脳」を解くとは言わないまでも、女性たちが新しく学ぶことができる状況が必要だ、とカエロンたちは考えました。つまり、CRだけでなく、もっと積極的な政治的教育が必要だ、ということです。
 カエロンやメアホフはまた、レッドストッキングス主流派の異性愛主義にも批判的でした。そこに隠れている「男と女は互いに向き合い、本来は対等に支えあうべきだ」という前提を彼女たちは厳しく批判しました。目の前の男を変えて、自分たちだけが「対等なパートナー」を手に入れよう、という発想そのものが有害だ、と考えたのです。主流派の戦略は、女性的な貞節を守ることを奨励する、伝統的な家族観に接近してしまっており――「自由恋愛」批判を思い出してください――、女性たちが男性との関係を壊して出ていくよう女性たちを励ましていない、と彼女たちは考えました。
 こうした分離主義者たちと、サラチャイルドら主流派との対立を、ウィリスは次のように振り返っています。

この争いは、「男と一緒にいることは望ましい」ということを当然と考える女性と、男と何か一緒にするなんてまっぴらごめんだと考え、男の方ばかり向きすぎているように見える女たちに腹を立てている女性(分離主義者)のあいだの争いだった。(Echolsさん Daring to be badの149ページ)
 

分離主義者たちにとって大切なことは、男性との結婚というバトルフィールドで上手く闘うことではなく、女性たち弱体化させる男との関係から女性たちを切り離すことだったのです。
 彼女たちは当然、異性愛主義そのものに批判的でした。カエロンは言っています。

セックスは人生に必然的なものだとされている(誰がそんなことを言っているのか?ジグムント・フロイトやポール・クラスナーはそう考えていたようだが)。そしてセックスということで意味されているのは、異性愛のセックスであり、自慰行為ではなく、またレズビアニズムでもない。長い時間をセックスなしでやっていくことは、人の健康にとって「危険な」ことだという風に考えられている。しかし、そこで何が実際のところ健康被害の症状として想定されうるのかについては、決して語られない。けれども、その病気がまさにそのように曖昧にされていることが、「セックス欠乏症」を重大な危険たらしめているのである。しかしその病気は、男たちが女たちを自分の下に繋ぎとめておくために生み出し、プロパガンダ的に喧伝されている発明にすぎない。(Echolsさん Daring to be badの149ページ)

このカエロンの言葉は、カエロンが書いた「プロウーマンラインの危険」(The Dangers of Pro-Woman Line)というペーパーの2頁目に出てきます。しかし、このペーパーは現在では失われており、Echolsさんも複写から引用しています。Minda Bikmanさんが、その複写を所持していたとのことです。(Aセクシュアル的にも本当に興味深いペーパーです!全部読みたい!でもネット上にも全く見つからない!悲しい!)
 このように、カエロンら分離主義者たちにとっては、異性愛的な欲望は女性たちを男性の奴隷のままにしておくためにデザインされた男性の作り話にすぎず、その異性愛主義を放置したまま、結婚というバトルフィールドで戦うことを奨励するなど、間違っているのでした。

8.分離主義者たちの脱退②:平等

 カエロンやメアホフらはまた、レッドストッキングス内部での「平等」についても問題提起をしました。運動が発足した当初、公の場で団体を代表して話す機会を持っていたのは、高い教育を受けていたウィリスやファイアーストーンであり、ガーディアンの特集にも彼女たちが個人名で出ていました。しかし、運動体として取材されているのに彼女たちだけがメディアに出るのは不平等だ、階級温存的だとカエロンやメアホフは非難しました。
 彼女たちは、アトキンスンが始めた10月17日運動(のちのThe Feminists)がくじびきで役職を決めていることを知り、それをレッドストッキングスにも導入しようとしました。また彼女たちは、ウィリスやファイアーストーンのように高い技能をもつ女性たちは、階級が高いからそういうことができるのであり、そうした技能をもつことはそれだけで運動体の中に権力のアンバランスを生み出す、と主張しました。
 こうした「平等」志向に対し、ウィリスは納得する面もあったようですが、ファイアーストーンは完全にそうした考えを突っぱねました。Guardian誌の論考のなかでファイアーストーンは、「リーダーの首をはねることはフェミニズムにとっての恐怖政治である」と主張しています。(そしてカエロンやメアホフに対するこのような批判は、のちにThe Feminists内部で見事に予言として的中することになりました)
 他方で、CR活動を精力的に導いていたサラチャイルドも、「平等」派からの批判を受けました。サラチャイルドは、CRのなかで自分の経験を語る女性に対して厳しいコメントをしたり、抑圧的な態度をとったりすることがあったため、「男性然としていて、論争的で、決めつけが強く、リーダーぶっている」と批判されたのでした。こうした批判を踏まえて、レッドストッキングスのCRでは権力の違いが最小化される試みがなされ、最終的に「CRでは他者の経験に対するコメントをすることが禁じる」というルールができました。しかしそれは、「ラップグループ」としての当初のCRの生き生きしたやりとりが無くなることを意味していました。CRはますます、個人の体験の報告会のようになっていったでしょう。

9.レッドストッキングスの終焉

 レッドストッキングスには最も多い時で200人を超える女性が参加していました。しかし、「レッドストッキングス・マニフェスト」を掲げた当初のメンバーの哲学は、そうした多数の新規参加者に十分に共有されておらず、運動体が拡大するにつれて、その運動の理念が薄まっていくという懸念がありました。そこで1969年の6月ごろには、新しく参加する女性のためのグループの創設がGroup Xとして宣言されました。これは苦肉の策ではありましたが、運動体の内部に区別を設けるものでした。結局、新しく参加した女性たちはラディカル派の分析、とくに階級についての分析になじめないことも多く、新しいグループはレッドストッキングス主流派から少しずつ離れていきました。
 また、これまでずっと見てきたように、CR重視・プロウーマンライン哲学に反発していたMehrhof, Kaeron, Feldman, Cronanら(分離主義者たち)は、1969年の春から秋にかけて次々とレッドストッキングスを脱退し、アトキンスンの呼びかけたThe Feministsへと合流していきました。
 運動体の創始者であったファイアーストーン自身も、プロウーマンラインに強調を置くスタイルに疑問を持ち、またCR偏重の在り方にも批判的だったため、1969年の6月下旬には早くも運動から身を引き始めていました。そうして運動へのコミットを減らして個人の執筆活動にエネルギーを割くようになったファイアーストーンに対しては、内部からの反発が大きかったといいます。また、以前も紹介したようにファイアーストーンは組織内でのタイプ仕事を拒否するなど、「エリート」然とした振る舞いをしていると見られることもあり、それが「平等」を志向するメンバーの反感を買いました。
 なお、レッドストッキングスを抜けた数か月後には、ファイアーストーンはKoedt(コート)とともにニューヨーク・ラディカル・フェミニスツ(NYRF)を創始しています。また同じくレッドストッキングスの創始者だったウィリスも、1969年秋にはコロラドに移り、運動を抜けています。その後はおそらく、サラチャイルドが主流派のドンとして運動体を率いていたのではないかと思われます。

ちなみにこのサラチャイルドは現在も存命ですが、残念ながら愚かなTERFになってしまっています。アトキンスンと共に登壇した2015年の公開シンポジウムの発言をいくつか確認できましたが、本当に馬鹿げた主張をして「トランスの権利とフェミニズムは両立しない」といったようなことを言っており、もうため息しか出ませんでした。サラチャイルドとアトキンスンの最近のTERF的発言については、いつかまとめて記事にして批判したいと思います。わたしはラディカルフェミニズム(運動)は本来トランス親和的であり、その当初の哲学はトランス排除的前提を持たないと信じています。ラディカルフェミニズム運動出身者がのちに共和党員として反動的になったり、という事象はときどき観察されますが、TERF的な謎のロジックを新たにラディカルフェミニズムに接ぎ木して平然としている現在のアトキンスンとサラチャイルドについては、特に残念で悲しくなります。

また、運動体としての活動については、冒頭に書いた中絶についての公聴会以降、レッドストッキングスは目立った活動をしていません。その後はCRによる女性たちの組織化にとにかく重点が置かれ、実質的にレッドストッキングスはCR活動体になっていたという評価が定着しています。例えば、レッドストッキングスの初期メンバーであったPeslikisは、「レッドストッキングスの役目はマニフェスト(Redstockings Manifesto)を書いて運動文書を頒布した時点で完了した」、といった回顧を述べています。
 レッドストッキングスの活動は、1970年の秋まで実質的に続いたとされています。1969年の公聴会から、たった1年半ほどでの活動終了でした。

10.レッドストッキングスの”復活”

 レッドストッキングスがその活動を終えてから3年度の1973年。Sarachild(サラチャイルド), Hanisch, Priceの3人は再びレッドストッキングスを再結成しました。彼女たちは、ラディカルフェミニズムが没落したのはCIAによる工作があるからだとして、自分たちのシスターフッドについての信念が誤っているとは考えませんでした。1973年当時、ラディカルフェミニズム運動が当初の勢いを失っていることは明白でした。
 しかし、再結成後のレッドストッキングスはひどい有様でした。1970年代のゲイリブの台頭、およびレズビアンフェミニズムの興隆を前にして、彼女たちはレッドストッキングスにもともと含まれていた異性愛主義的な差別的思想をいかんなく発揮しました。彼女たちはレズビアニズムに敵対的な態度をとり、それは明白ホモフォビアの域に達しました(Daring to be bad 155ページ)。レズビアニズムについては、女性が同性間で性的関係を模索することは、男性優位体制との闘いを駄目にしてしまうことだ、とされました。引用したくもありませんが、再結成後の1975年には「ラディカルフェミニズムの運動の衰退はレズビアニズムが「えせ左翼」と関係したからだ」という意味不明な非難をレズビアニズムにぶつけてもいます。
 サラチャイルドは、まだ頑なにプロウーマンラインの哲学と「結婚というバトルフィールド」戦略を握りしめていました。これはレッドストッキングス再結成前の発言ですが、プロウーマンライン派に立つサラチャイルド(Sarachild)とLeonが1971年に発表した文章には、レズビアニズムは「もうこれで男たちのケアをしなくてもよいのだ、これで全ての女性が解放され、新たな生活形態を手に入れるのだ、と主張するが、その実は何も変わってはいない。女たちは男の世界を生き続けるだけだ」と書かれています。(※Woman’s World(1971, July-August)に掲載された、両者の連名によるFounding Statementの一部)
 サラチャイルドらに言わせれば、The FeministsやCell 16らのような分離主義者の運動も、レズビアニズムも、ウィメンズコミューンのような試みも、すべて性のバトルフィールドという男たちとの戦いから逃避することでしかありませんでした。レッドストッキングスは、レズビアニズムを「個人的解決」でしか無いと非難し、男たちと向き合う=戦うべきだと主張しました。しかし、既存の異性愛主義=結婚制度に対する態度という点では、レッドストッキングスの考え方のほうがどちらかと言えば「個人的解決」だったのではないかと思わされます。
 これはEcholsさんがまとめていることですが、レッドストッキングスのプロウーマンラインは、分離主義者たちのような個々の女性たちの抵抗を評価しませんでした。女性たちは現に今日も明日も男たちと生きていかざるを得ないし、それは合理的選択だと考えたのです。他方で同じレッドストッキングスでは、結婚というバトルフィールドの中で男たちと向き合う=戦うことが目指されました。一方では、女性たちは抑圧の結果として抵抗することができない、だから分離主義を採用して女性たちを分断すべきでないとしつつ、他方では内部での抵抗が試みられました。ここには不思議なねじれがありますが、その「ねじれ」は家族主義と異性愛主義に対する分析が不徹底だったからではないかと、わたし(夜のそら)は思います。レッドストッキングスの目指した着地点が、女性が男性と対等に向き合う幸せな家庭の実現だったとすれば、すべてが整合的につながるからです。

 「復活」後のレッドストッキングスは、今も活動を続けているとされています。どのような活動をしているのかよくわかりませんし、どちらかと言えば女性解放運動の遺産を現代に継承する、という役目を担っているのだろうと思いますが、50年前からずっと、サラチャイルドだけは継続して在籍しています。

 以上で、レッドストッキングスの団体・運動の紹介記事は終わりです。
 これで、レッドストッキングスについて紹介する3本の記事のうちの1本目が終わり、ということになります。次の記事では、「レッドストッキングス・マニフェスト」を紹介して、その次の記事では、そのマニフェストの解説?を書きます。
 最後までお読みくださりありがとうございました。

※こちらが2本目の記事「マニフェスト」の全訳です。