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見たことのない始まりを求めて:U.S.ラディカルフェミニズム運動の5つの哲学

 こんばんは。夜のそらです。この記事は、U.S.ラディカルフェミニズム運動についてまとめている一連の記事の一部です。

 個人的なことで恐縮ですが、最近どんどん体調が悪くなってしまい、半年後、数カ月後、と見通せなかった未来が、もっと短いスパンで見えなくなってしまいました。予想できたことではあるのですが、薬の副作用で一日15時間くらい寝ている日が多く、自分が「ふつう」の生活をしているヴィジョンが見えません。こんな状態で、這うようにジェンダー・クリニックの門をくぐっている自分も、本当に馬鹿らしく思います。
 それで、以前のようにラディカルフェミニズム運動のことを勉強するエネルギーも時間も、かなり減ってしまいました。でも、せっかく勉強してきたので、書き溜めているものはどうにか放出したいと思います。この記事も、もっと勉強してから公開したかったのですが、すみません。

 さて、以前この記事で、ラディカルフェミニズム運動の「全体像」を語るのは実はとても難しい、ということを書きました。

 ラディカルフェミニズム運動は、NYの一部の運動家の理論だけをピックアップして語られがちで、簡単に言うとファイアストーンとミレットの理論だけがその「代表」のように扱われがちなのですが、両者の主張はラディカルフェミニズム運動のなかのごく一部を代表するものに過ぎません。
 それとも関係して、非常によくないと思っているのが、Ti-Grace Atkinson(アトキンスン)やDensmore、Dunbarなど、異性愛主義からの徹底的な決別を目指し、また分離主義的な傾向をもっていたラディカルフェミニストたちの存在が、歴史から消されがちだということです。「ラディカルフェミニズム運動」の歴史からAtkinsonやDensmoreらが無視されているのには、多分理由があると思いますが、よく分からないのでいつか考えます。(ちなみに、ファイアーストーンはよく日本でも言及されますが、ファイアーストーンの『性の弁証法』は「女性の身体の構造が女性差別の原因だと考えた」とか「性差別の自然主義的な決定論を採用した」とか、完全に間違って紹介されていることがあり、それも問題だと思っています。人工子宮が開発されたら女性の抑圧がなくなるなんて、そんな馬鹿げたことはファイアーストーンは言ってないはずです。)
 要するに、ラディカルフェミニズム運動はすごく複雑!ということをわたしは上の記事で書きました。けれども、だったら「ラディカルフェミニズム運動」という風にまとめて呼ぶことはできないはずなので、共通点もありはします。そこでこの記事では、非常にざっくりとですが、その「共通点」を説明したいと思います。わたし(夜のそら)が、ラディカルフェミニズム運動の根幹にあると考える、5つの哲学です。

1.男性優位体制/家父長制 批判

 ラディカルフェミニズム運動の最大の特徴は、男性による女性の抑圧という現象を単独で見つけ出し、それを単独で打倒ターゲットに定めたことにあります。それ以前の新左翼運動の中では、女性が抑圧的な状況に置かれているのは資本主義のせいだ、ということになっていました。ですから、社会主義政府が実現されれば、それに付随して、女性の抑圧という派生的な問題が解決される、とされていたのです。
 しかし、こうした「派生的問題」として女性差別を扱う新左翼運動は、まさに女性たちにとって抑圧の現場でもありました。表に出て目立つ活動をするのは、男性ばかり。タイプライターで議事録を取ったり、裏でこまごましたサポートをしたりするのは、女性ばかり。Redstockingsというラディカルフェミニズム運動体のなかでの有名なエピソードがあります。ある日、会合でのタイプライターの仕事を持ち回りでやるはずが、ファイアーストーンはそれを拒否したそうです。なんでも「新左翼の男たちと一緒にいたときに、嫌というほどタイプ仕事をさせられたから」。こうしたファイアストーンの態度は当然反感を買ったのですが、(あの)ファイアストーンに裏方仕事ばかりさせたというのですから、新左翼運動の中でも性別役割(分業)はとても酷かったのだろうと思います。
 ラディカル派の女性たちは考えました。女性たちの抑圧は、何か別の問題に付随する問題ではない、と。男性による女性支配、つまり男性優位体制/優位主義(male supremacy)と、家父長制(patriarchy)は、そのものが打倒されなければならない。むしろ、女性の経済的な抑圧、文化的な剥奪は、この男性優位体制/家父長制の直接的な帰結であり、これをどうにかしなければ――たとえ社会主義革命が成功したとしても――いつまでも女性の抑圧はなくならない、と考えたのです。
 こうした発想は、1967年頃にラディカルフェミニズム運動が盛り上がり始める前の、黒人たちによる解放運動に範をとっています。そこで採用されたのは、他でもない「レイシズム」をそれそのものとして特定することでした。(ここではこの言葉を使いますが)人種による階級形成、抑圧、剥奪。レイシズムは、自分たちの手で変えなければいつまでもなくならない独立した問題だ、と考えられたのです。
 ラディカルフェミニズム運動の女性たちには、新左翼運動の出身者が多いですが、その思想や理論の面では、彼女たちは圧倒的に黒人解放運動の影響を受けているとされています。自分たちを「女性」という劣った階級に押しとどめる男性優位体制/家父長制を、はっきりと独立したターゲットに見定めたのです。もう、派生的な問題として扱わせない。もう、何かの「より大事な問題」のために自分たちのことを後回しにさせない。それが、ラディカルフェミニズム運動を結び付けていた大きな哲学でした。

2.個人的なことは政治的なこと

 非常に有名なフレーズですね。「個人的なことは政治的なこと(The personal is political)」。今ではフェミニズム全体の代名詞ともなっていますが、このフレーズを生み出したのはラディカルフェミニズム運動であり、その運動の哲学をシンプルに表現しています。
 ここでは、リベラルフェミニズムとの便宜的な対比を使うのが分かりやすいかもしれません。NOWを中心とする、当時のいわゆるリベラルフェミニズムの潮流においては、女性たちが公的な場所でより高い地位を得ることがよいことだとされ、目指されていました。職場での立場、議会の女性の割合、そういった「公的な領域」での女性の地位向上が、リベラルフェミニストたちが共通して目指していたことでした。第一波フェミニズムにより、参政権は手に入れたけれども、相変わらず女性たちには「幸福な専業主婦」としての幸せ以外をイメージすることが許されておらず、公的領域に出ていくことを拒まれ、女性たちの可能性は潰されている。だから、職場への進出や、より対等な責任の要求などが大きなテーマとなったのです。
 対してラディカル派の女性たちは、そのような「公的領域」を支配する権力のヒエラルキーそのものに懐疑的でした。男たちが始めた権力闘争のゲームが続いている限り、それに乗ることはできない、とされたのです。アトキンスンは、女性を高い地位につけたいと述べたNOWのフリーダンに対し、「権力のヒエラルキーを壊すべきだ」と応じ、ファイアストーンは議会政治の改良を目指したPolitico勢力に対して「まずは投票券を燃やすところから」と語りました。
 ラディカル派の女性たちは、単に「ひねくれ」ていたのではありません。そのように「公的なこと」=大切なこと、価値のあること、語るに値すること、と「私的なこと」=重要でないこと、価値のないこと、語るに値しないことを2つに分ける、そうした「公/私を分ける権力」こそがそもそもの女性の抑圧の原因だ、と考えたのです。
 例えば、自分がいつ、誰と結婚するかというのは、ある意味とても個人的な問題です。誰かと強制的に結婚させられるのでない限り、自分が人生のどのタイミングで結婚するのかというのは、個人の問題に過ぎません。しかし、結婚する以外に女性が経済的に困窮しない選択肢が存在しないのだとしたら、「結婚すること」は実質的に強制的なものなります。さらに、結婚していない女性であることが大きな負の価値をもって評価される社会だとすれば、そこでも同じように、「結婚すること」は強制的なニュアンスをもつでしょう。
 だとすれば、結婚というのは実に「政治的な」行為であるということになります。自分が誰と、いつ結婚するのか、結婚したのか、していないのか、ということが常にパブリックな領域で問われ、その回答次第では、パブリックな信用を失ってしまったり、生活が立ち行かなくなったりしてしまうからです。結婚は、個人的な選択ではなく、政治的な選択なのです。
 しかし、さっき見たように「結婚」は私的なことだとされている。世の中の女性が結婚して専業主婦になることは「当たり前」で、わざわざ語るに値しないことだとされている。そこにこそ、問題があります。個人の選択という名の下に、結婚して専業主婦になっている女性たち。その「個人的問題」は、ほんとうは法的・制度的・道徳的な問題、つまり「政治的な問題」なのだ、そのことをラディカルフェミニズムは明らかにしたのです。
 さらに進んでみましょう。最初期のラディカルフェミニズム運動体であるNYRW(ニューヨーク・ラディカル・ウィメン)の会合で、ある日「自分はパートナー男性とのセックスで『イった』ふりをしている」と語る女性がいました。すると、そこにいた多くの女性たちが、「自分たちも感じているふりをしている」、「セックスの中で男を満足させるのは面倒だ」と語り始めたのです。それは、今までにない非常に興奮する瞬間だったと、その女性は回顧しています。まさか、これが自分だけのことじゃないなんて、と。
 なぜ、そのように(少なくともそこにいた女性たちには)共通の経験であるはずのことが、これまでお互いに隠されてきたのでしょうか。それは、性にまつわることは「個人的なこと」で、それぞれの家のベッドの上で完結していることなので、わざわざパブリックな場所で語るに値しない、むしろ公にすることが不適切だ、とされてきたからです。
 しかし、NYRWの女性たちはそこで気づいたのです。性行為は、かなりのていど男性のためだけのものになっていないだろうか、と。男性の満足のために、女性たちが一方的に面倒な思い、危険な思いをしていないだろうか、と。セックスという名の”愛情表現”は、男女にとって非対称的な行為で、そうした男性本位の状況は、実は広く女性たちに共有されている問題なのではないか、と。――つまり、女性たちが「イク」ふりをしなければならないこの状況は、個人のベッドの上の問題に過ぎないのではなく、とても公共的な=政治的な=誰しもに係る問題なのではないか、と。
 ラディカル派の女性たちは、そうして自分たちの個人的な経験の背後に、男性優位体制/家父長制という名の「男性による女性支配」が存在していることを、次々と明らかにして生きました。今まで自分個人の問題に過ぎないと考えてきたことが、実は構造的な背景を持っていた。実は政治的な問題だった。そして、そうやって「個人的なこと」と「政治的なこと」を都合よく弁別してきた権力こそが、女性を抑圧している。そのことにラディカル派の女性たちは気づきました。
 その「気づき」を最も分かりやすく可視化したのが、コンシャスネス・レイジング(CR)という実践でした。これは、基本的に女性たちを運動へとリクルートし、政治的な意識を目覚めさせることを目的としているのですが、CRにおいては、徹底的に自分個人の経験を語ることが求められました。その語りに対して、小グループの他の女性たちが、いろいろとコメントしたり、突っ込みを入れたりして、いかにその「個人的な問題」が、家父長制という「政治的な問題」に由来しているのかを、つまびらかにしていくのです。
 ラディカルフェミニズム運動のなかには、こうしたCRはただの「セラピー」であり、単に個人的な解決や安心をもたらすだけだから、女性全体の解放には役立たない、と強く批判していた人たちもいました。そのため、運動において一概にCRが実践・評価されていたわけではないのですが、とはいえ、個人的な経験を共有するなかで、その背後にある政治的な問題を明らかにしていくというCRの活動は、「個人的なことは政治的なこと」というスローガンをよく体現していると思います。

3.個人的なことが政治的なこと

 The personal is political. このフレーズは、先ほど見たように「個人的なこと政治的なこと」という風に訳されています。しかし、さきほど書いたことだけでは、このフレーズの真意は半分だけしか理解されたことになりません。このフレーズはまた、次のように訳されるべき側面も持っていました。個人的なことが、政治的なことである、と。
 先ほど見たように、ラディカルフェミニズム運動は、単に公的領域での女性の地位向上だけでなく、「私的」で「個人的なこと」だとされてきた、家族関係や性の問題に積極的にスポットライトを当てていきました。「個人的で」「私的」なことだとされてしまっていること、ここにこそ、男性優位体制/家父長制による女性支配が存在している、というわけです。そうした思想は必然的に、当時の家族制度、結婚制度を批判する方向へと進んでいくことになりました。そしてまた、異性愛という「自然な」性愛がいかに自然ではないか、いかに男性に都合よく異性愛的な実践が配置されているか、そのことを明らかにしていきました。
 そのことによって、ラディカル派の女性たちは、その一人一人が、政治的な決定を迫られることになりました。それは、自分はこれからもこの男(夫)と結婚していて一緒に住んでいてよいのか、という決定です。あるいは、自分は異性愛に基づく対人セックスをこれからも続けていっていいのか、という決定です。
 そんなこと、あくまでも個人的なことではないか、と思うかもしれません。誰と一緒に住むか、誰とセックスするか、そんなことは個人的なことなので、どんな決定をしたとしてもフェミニストであることはできる。確かに、そう考えたくなる気持ちは分かります。
 しかし、ラディカルフェミニズム運動は明らかにしてしまったのです。それが個人的なことではない、ということ。それが政治的なことである、ということ。それを「個人的なこと」に押しとどめている権力こそが、男性優位体制/家父長制なのだということ。
 ですから、政治的に正しい(politically correct=PC)ラディカルフェミニストであろうとするなら、それらの決定一つ一つは、フェミニストとしての自分の胸に手を当てて考えなければならない決定でした。そして、PCでないとされる決定をするときには、きちんとフェミニストとしての政治的な理由(言い訳)を用意できなければならない。そのように考えられました。
 しかし、こうした運動の雰囲気は、その参加者一人一人の生活や行動について、それは「ラディカルである/でない」、「フェミニスト的である/そうでない」、「性支配に服従している/していない」という風に互いをジャッジする、そうした相互監視的な雰囲気をうむことになりました。そうした雰囲気が強くなると、個人的な実践のレベルで「ラディカルでない」とされた人たちは、厳しく批判されるようになっていきます。実際、そのような雰囲気が先鋭化した団体では、家庭のことを理由に運動体のミーティングを欠席することは許されないと考えられたほか、運動に積極的に参加し続けていることで、”正しいフェミニスト”であることを絶えず証明する必要が生まれてしまいました。(その代表例がThe Feministsという団体でしたが、これについてはThe Feministsを扱う記事で詳しく紹介します)
 ラディカルフェミニズム運動は、パンドラの箱を開けてしまった。そのように言うこともできるかもしれません。個人的なことは、政治的なこと。だとしたら、政治的なことは個人的なことのなかにある。それどころかむしろ、個人的なことこそ政治的なことである。―――だったら、ひとりのフェミニストとして、どのような個人的決定をすべきなのか。この厳しい問いが、一人一人の女性たちに課せられることになりました。
 でも、何となく想像がつくとは思います。そのように個人の選択・実践に過度に政治的な決断の意味を課して、互いを監視するような雰囲気が強くなっていけば、結果として多くのエネルギーの多くが相互批判に費やされるようになってしまうということ。実際、当時の多くのラディカルフェミニスト団体はいずれも短命に終わっていますが、その理由のひとつは間違いなく、そうしたThe personal is political(個人的なこと政治的なこと)の精神に由来する、中心的な運動メンバーに向けられた糾弾や、追放、そして女性たちの疲弊でした。
 「個人的なことは政治的なこと」というフレーズを見かけたら、今度から一緒に思い出してください。「個人的なこと政治的なこと」。

4.シスターフット・イズ・パワフル

 シスターフット(Sisterhood)という言葉は、皆さんどこかで聞いたことがあると思います。ただし、その言葉でどんなものをイメージするのかは、人それぞれで違うでしょう。もちろん、わたし(夜のそら)はその正しい答えを持っているわけではありません。(それに、わたしは永遠にそのシスターフットに与れないでしょう)
 「シスターフット」というこの言葉は、ラディカルフェミニズム運動のなかでとても大きな意味を持っていました。その一例として、ラディカルフェミニズム運動における重要な論文や記事を集めたSisterhood is Powerfulというアンソロジーは、非常に多くの女性たちに読まれていました。ある場所では、20世紀最も大きな影響を与えた100冊、的なものにもこの本は選ばれていたと思います(記憶が曖昧ですみません)。ボストンのラディカル女性たちが生み出したOur bodies, Ourselves(私たちの身体、私たち自身)は、ラディカルフェミニズム運動がうんだ伝説のバイブルですが、このSisterhood is Powerfulは、それと並ぶ影響力を持った、と言えるかもしれません。

ただし、書いておく必要のあることもあります。このSisterhood is Powefulの編者であるRobin Morganは、NYRWの時代からラディカルフェミニズム運動に係わっている、非常に影響力のあるフェミニストですが、筋金入りのTERF(トランス排除的フェミニスト)でした。Morganは、1973年のWest Coast Lesbian Conferenceにおいて、その組織の運営にも携わっていたパフォーマーのトランス女性に対して「こんな人がここにいるなど許されない」と言い始め、そのトランス女性を男性的な代名詞で呼び続けた挙句、「レイピストの精神をもった侵略者」として、そのトランス女性をカンファレンスから追放しようとしたのです。Morganは、彼女を追放すべきか今から投票で決めよう、と訳の分からない提案をし、結局その投票は否決されたのですが、信じられないくらい差別的な人物だと思います。Morganは存命ですが、顔写真を見るだけで吐き気がします。

 ラディカルフェミニズム運動のなかで「シスターフット」ということが強調された文脈は、先ほど「1」で書いた、男性優位体制/家父長制という、男性による女性支配の構造が広く「女性という階級」に普遍的に見られる、という考え方に基づいています。女性は、女性というだけで抑圧した地位に置かれる。だったら、女性たちの連帯が必要だ、というわけです。
 こうしたシスターフットの理念を掲げた運動の女性たちは、もちろん、女性たちの置かれている立場が多様であることも理解していました。ですからなおのこと、自分たちは最も恵まれない立場の女性たちと自らを共にする(identify with)のだ、と運動のなかでは繰り返し主張されました。
 しかし、そうしたシスターフットの普遍性を強調し続けなければならないほど、女性たちの置かれている状況は多様でした。そして、今から振り返ってみてみるなら、そのシスターフットが空虚な理念として響いた人たちも、やはりいたと思います。先ほどから書いているように、運動の中心は新左翼運動の出身者で、多くの女性は大学や大学院を卒業していました。それはつまり、運動の中心となる活動家女性が中産階級に属していたことを意味しています。
 彼女たちは積極的に「階級を降りる」ことを試みようとしましたが、「降りる」ことができるのは、はじめから特権的な立場にある人だけです。ですから、そうして階級を「降りる」ことを目指す女性たちから「恵まれない人たち」という風に自己同一化(identify)された女性たちは、彼女たちとのあいだに壁を感じることもあったと思います。少し冷たい評価になりますが、「シスターフット」という言葉で全ての女性たちの連帯を志向しようとした彼女たちの理想は、空回りしてしまったと言うべきかもしれません。
 女性たちの差異は、階級以外の点でも様々に顕在化しました。運動の中では異性愛批判が積極的に生み出されましたが、レズビアンに対する誤解や攻撃も同じくらい生み出され、ホモフォビックな傾向が存在した場所・時期があったことは否定できません。中産階級(出身)の「エリート」側に立てる女性と、そうでない女性との間の違いも絶えず様々な団体で問題化され、運動体のなかでの「平等」をどれだけリアルに進めるかという点は、大きな争点としてしばしば運動体の消滅のきっかけを作りました。運動の参加者の殆どは白人女性で、冷ややかな視線を向ける黒人女性たちが多かったのも事実だと思います。また、当時まだゲイ男性やドラァグと明確に区別されていなかった「トランスセクシュアル」についても、今から見ればぎょっとすることを言っている人がいました。(※ファイアストーンと共にNotesを編集・出版したコートも、トランスに対する誤解に満ちた文章を残しているため、現在のトランスコミュニティからは「TERF」の祖先のように扱われています。)
 シスターフット・イズ・パワフル。そのパワフルさについては、これから具体的に書いていきたいと思います。しかし、そのパワフルな「女性たちの連帯」が、実はとてももろくて崩れやすいものだということも、ラディカルフェミニズム運動は結果的に露わにしてしまいました。ラディカルフェミニズム運動のパワーは、今でも形を変えて様々なところに生き残っています。「個人的なことは政治的なこと」。現代の私たちは、当たり前のように知っています。性や家族の問題、またセクシュアルハラスメントやミスコンテストなどが、フェミニストにとって(何らかの意味で)重要なテーマであることは、誰も否定できないと思います。それは、ラディカルフェミニズム運動が残した遺産です。しかし同時に、そうした遺産を継承するのと同じくらい、「女性」という名のカテゴリーに基づく「シスターフット」がそのなかに絶えず葛藤を含むものだということも、記憶されておいてほしいと思います。それは、ラディカルフェミニズム運動が(反面教師という仕方ですが、)現代の私たちに遺してくれた教訓だと思うのです。

5.誰も見たことのない始まりを求めて

 繰り返し見てきたとおり、ラディカルフェミニズム運動においては「男性優位体制/家父長制」がターゲットとして見定められており、その破壊が目指されていました。このとき、そうした男性による女性支配は、女性を特定の役割に固定し、男性に服従させることによって成立している、と考えられました。つまり、男性と女性で異なる「性役割sex role」の存在が、女性の抑圧を生み出し、また強化するとされたのです。当時はまだ「ジェンダー」という言葉がありませんでしたので、「性役割sex role」と呼ばれていたのですが、現代の私たちに理解しやすい言葉で言えば、この「性役割」は「ジェンダー(役割)規範」と同じものを指しているといえます。
 「女性」という性にカテゴライズされた人には、男性を引き立て、男性の決定に従い、子どもの世話をし、学問などせず、男性の後をついていくことが期待されます。そうした「女性」の性役割をうまくこなせないと、何らかの懲罰が下ることになります。
 もちろん、「男性」という性にカテゴライズされることで強制される「性役割」もあり、それが本人の意に反していて、本人を苦しめることもあると思います。でも、社会全体で見たときには、男女で異なる性役割を与える現行の「性役割システム」は、総体として、圧倒的に男性側に利益(=特権)を与えるように機能している。そして、その裏面として、女性たちが抑圧され、可能性を奪われ、利益から遠ざけられるように、そのシステムは機能している。ラディカルフェミニズム運動の女性たちは、そのように考えました。男性優位体制/家父長制は、この「性役割を強制するシステム」によって、絶えず自分たちの支配を支えている、と考えられたのです。
 そうだとすれば、その「性役割」というシステムを破壊することが、運動にとっての目標となることは必然でした。しかし、これは一つの難しい問題を女性たちにつきつけることになりました。なぜなら、現在の「性役割」システムが破壊され、私たちがそこから完全に解放されたとき、そこに何が残っているのか、誰も分からなかったからです。
 「女性」や「男性」という性のカテゴリーは、はじめから「女性らしさ」や「男性らしさ」と切り離せません。だとすれば、そうした「性役割」が完全に世界から消滅したときには、「女性」や「男性」という概念がもつ意味は、現在とはまったく変わってしまっているはずです。では、いったいそこに何が残っているのでしょうか?
 ラディカル派の女性たちは考えました。「性役割」を強制するシステムこそが、女性たちに不利益を与えているのだ、と。そのような役割を課される以前の、「真の姿」を女性たちは取り戻す必要があるのだ、と。しかし、その「真の姿」がどのようなものなのか、誰も見たことがありません。
 その「真の姿」とは、いったい何なのでしょうか。「性役割」システムによって汚される以前の、その姿とは。
 それは、もしかすると「本当の女性」なのかもしれません。男性という性別との関係で、いつも男性の側から定義されてしまう、そのような現在の「女性(らしさ)」が破壊されたあかつきには、「真の女性」が回復される、のかもしれません。でも、その「真の女性」とは一体何なのでしょうか。そこでなお、「女性」は「男性ではない」という意味をもつのでしょうか。だとしたら、そこで「女性」と「男性」を区別する原理はどのようになるのでしょうか?また、そうした区別を続ける正当性は?
 あるいは、フェミニズムが取り戻すべき、女性たちの「真の姿」は、「女性ではないもの」なのかもしれません。「性役割」という悪しきシステムによって覆い隠されてしまった、真の人間性(人間らしさ)が、そこで回復されるのかもしれません。それはもはや、男性でも女性でもない存在、かもしれません。性役割システムがなくなれば、現在の性差(ジェンダー)そのものが消えてなくなるのかもしれません。
 しかし、回復されるものが「真の女性」であれ、「真の人間性」であれ、どちらも、私たちは一度も見たことがないのです。現在のような女性差別が存在しない世界を、誰も見たことがないのです。
 ラディカルフェミニズム運動は、ですから「誰も見たことがないものを取り戻そうとする運動」でした。女性を抑圧するシステムを破壊し、確かにあったはずの「何か」を取り戻さなければならない。しかし、何がそこで取り戻されるのか、具体的には分からない。そうした難しい闘いに、ラディカル女性たちは耐えなければなりませんでした。
 ちなみに、先ほどみた二つの候補のうち、「真の女性」を回復することを唱えた代表例はRadicalesbiansで、「真の人間性」の回復を唱えた有名な人物がケイト・ミレットです。前者のWoman-Identified-Womanは、男性との関係によらない、女性たちだけでの「女性というidentity」の獲得=回復を目指しました。ミレットの「性の政治学」では、家父長制の終焉によって「ユニセックスunisex」が出現し、現在「男」だとか「女」だとかに閉じ込められている私たちは「自由で全面的な人間的状況」を取り戻すことになる、とされています。
 それに対して、アトキンスンの次の言葉は、「真の姿」について女性たちにつきつけられた難しい問題の難しさを、ストレートに表現していると思います。

状況を好転させるためには、現在、女と定義されている人びとが、自分自身の定義そのものを打ち破らなければならない。ある意味で、女は自己否定しなければならないのだ。女から、社会人になろうとすることは、かなりの冒険だ。女性解放論のジレンマは、やるべきことはたくさんあるが、どうやってやるのかという手段をもっていないことである。私たち女という集団は、歴史上はじめて、まったくの白紙状態からすべてを創造しなければならないわけである。Atkinson「ラディカル・フェミニズム」(邦訳『女から女たちへ』154ページ)

「女性」としてのよくない性役割を不可避的に含んでしまっている以上、現在の「女性」の定義は破壊しなければならない。つまり「女性」たちは、自分自身で自分自身を否定しなければならない。その結果、女性が解放されたとき、そこに何が残っているのか。今はそれは分からない。それは、「まったくの白紙状態からすべてを創造」するような難しい試みなのだ、とアトキンスンはここで述べています。

ちなみに、最近ネット上にたくさんいるTERF(トランス排除・差別的フェミニスト(自認者))は、外性器の形でいつまでも「女性/男性」を区別することは可能だし、その区別以外で「女性/男性」を定義することは許されない、などと主張していますが、そうした主張はラディカル・フェミニズム的には完全に馬鹿げていると思います。上記のアトキンスンの論文でも、まさにそのような考え方こそが否定されています。「TERF」という呼称に含まれる「RF(ラディカルフェミニスト」の部分について、「あんなものは全くラディカルフェミニズム的ではないのだから不適切だ」という懸念がありますが、こうした懸念にはこのような理由があります。(※ただし、悲しいことに現在のアトキンスンはTERFの親玉のような象徴的存在になってしまっています。過去の自分の論文を読んで、現在の自分の愚かさを恥じて欲しいと思います。) 

 ラディカルフェミニズム運動が完全に勝利し、女性たちが真に解放されたとき。そこで悪しき「性役割システム」が破壊されて、(現在の)女性たちがその「真の姿」を取り戻したとき。そこにはどのような社会が出現し、そこにはどのような人々が生きることになるのでしょうか。それは、2020年の現在においても殆どイメージできないように、1967~からのラディカルフェミニズム運動にとっても難問であり続けました。
 しかし、そうした難問と格闘したからこそ、様々なクリエィティブな理論や、コミュニティの実践が誕生した、ということができると思います。そして、だからこそなお、ラディカルフェミニズム運動が示した思想には可能性が眠っていると、わたしは信じています。

6.終わりに

 以上で、ラディカルフェミニズム運動の5つの哲学についてのわたしのまとめは終わりです。簡潔に書いたつもりですが、思ったより長くなってしましました。すみません。そして、最後までお読みくださりありがとうございます。
 わたしがラディカルフェミニズム運動に興味を持った理由については、以前この記事に書きました。

わたしは、現代を生きるAセクシュアルとして、「Aセクシュアル・マニフェスト」という1972年の宣言文の源流を探っているのです。
 しかし、運動について勉強する中で、わたしはもう1つの目標を見つけました。それは、現代を生きるAジェンダーとして、女性/男性の二元論的なシステムを破壊しようとしたラディカルフェミニズム運動から学びたい、という目標です。そしてまた、TERFのせいで汚名を被っている「ラディカルフェミニズム(運動)」の内部から、TERF的なロジックがいかに間違っているかを明らかにする、という目標です。
 それは、わたしには荷が重すぎるとは思います。でも、(ラディカル)フェミニズムの遺産をめちゃくちゃにぶち壊しているTERFの人々が、わたしは許せません。確かに、わたしが調べているU.S.のラディカルフェミニズム運動のなかにも、TERF的な人は混じっていて、勉強していると結構怖いです。でも、ラディカルフェミニズムは、その根っこにおいては、TERF的ではなくトランス親和的だと、わたしは確信しています。
 いよいよ次回の記事から、ラディカルフェミニズム運動を構成した運動体について、一つずつ紹介していきます。ひとつの運動体について3つの記事を書く予定で、「運動(体)の紹介」、「その運動体のマニフェスト(など)の全訳」、「そのマニフェストの解説」を作る予定です。現在のところ、Redstockings、The Feminists、Cell 16、New York Radical Feminists、Radicalesbiansの5つの運動体を取り上げる予定ですが、資料がそろえばNew York Radical Womenも取り上げます。あと、ミレットやファイアストーンの論文についても、訳+解説をアップできればと思っています。そして最後に、Asexual Manifestoがそれらの運動や理論とどのように繋がっているのか、書きたいと思います。
 現在のわたしの体調からすると、たぶん、すべてやるのはほぼ確実に無理だと思います。(途中で死んでいる可能性だってあります)。でも、どうか最後まで見守ってください。わたしは、これをやりたいのです。
 なお、以上のわたしの記事は、以下の記事で紹介した文献で勉強したことに基づいていますので、「嘘くさい」と思ったらご自身の責任で確かめてください。

上に挙げた文献以外では、NYRWでの「イク」ふり、の話は以下のサイトに上がっているオーラルヒストリーに基づいています。

 加えて、「個人的なことは政治的なこと」の「公/私を切り分ける権力」の話は、以下の堀江先生の論文から学びを得ています。すごく勉強になるのでおすすめの論文です。

 最後までお読みくださり、ありがとうございました。