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ばあちゃんとタイムカプセル

私が小学校に入学する前、よく母方の祖父母の家に預けられていた。

じいちゃんとばあちゃんは、私とよく遊んでくれた。
庭に植えたキウイやグミの実を採って食べさせてくれたし、梅林にやってくるキジをこっそり一緒に見たりした。
夏になれば昆虫採集をして、捕まえた虫をばあちゃんに見せると驚き喜んでくれた。
午後の木漏れ日の下でブランコに揺られ、夜はドラム缶でつくった五右衛門風呂に入った。

あるよく晴れた日、ばあちゃんと一緒にタイムカプセルを作って庭の一角に埋めた事がある。
私が二十歳の成人式を迎えた日、一緒に開ける約束だった。

「長生きしなくちゃね」とはにかんだばあちゃんの顔は覚えているが、このタイムカプセルに何を入れたのかは覚えていない。
覚えていないのだから、当然このタイムカプセルを開けることはなかった。

ばあちゃんとの思い出を眠らせたまま、このタイムカプセルは消失してしまったのだ。

私が7歳になった頃、ばあちゃんが亡くなった。
すぐ後を追うようにじいちゃんも亡くなった。

祖父母の財産の相続人は伯父であった。
しかしながら、伯父は財産の相続手続きを一切しなかった。

するとどうなるのか。
財産が差し押さえられてしまうのである。

結果、私の大好きだった祖父母宅の庭の殆どが差し押さえられた。
キウイやグミの木も、虫捕りをした畑も、大木にかかったブランコも没収となった。

その際、祖父母宅の庭に重機が入り、わずかな土地を残して更地にされてしまった。
この時にタイムカプセルが消失した、というのが事の顛末である。

何故、伯父は財産相続の手続きをしなかったのか。
それは、当時伯父が深く酒に溺れていたからである。

私も夜から朝まで酒を飲む生活をしていた事があるので分かるが、常時酒を飲んでいると酒を飲む事以外の全てが億劫になる。
当時の伯父もおそらくそんな状態だったのだと思う。

伯父はもともと立派な仕事に就いていたが、その頃には仕事もやめてしまい、日夜問わず酒を飲んでいた。
私は子供ながらに「そんな生活だめだろ」と思っていたが、今思えば相次いで両親を失くした伯父はその傷心を拭うため酒を煽り続けたのではないだろうか。

伯父は数年後に肝硬変を患い亡くなるのだが、最期は酩酊した意識の中「おかあちゃん」とだけ小さく呟き逝ったと聞いている。
伯父の寂しさや不安を支えてやる人間が近くにいなかった事が悔やまれてならない。

いくつになっても、親は親だし、子は子なのだ。
いくつになっても、離れるのは寂しいのだ。

ばあちゃんとのタイムカプセルには沢山の夢や希望が詰まっていたはずなのだが、その後の現実は決して「明るい」とは言い難い。
少なくともタイムカプセルが重機で掘り返されるとは夢にも思っていなかった。

タイムカプセルは消えてしまったし、私の記憶もおぼろげなので、ばあちゃんとのタイムカプセルはもうこの世に存在しなかった事と同義になりつつある。

しかしながら、タイムカプセルを埋めた日に感じた未来への憧憬は確かに覚えている。
想像もつかない遠い未来を思い描いては、高鳴らせた胸の感覚こそが、私の人生における本当の宝物だったのかも知れない。

私もいつか子供や孫ができたら一緒にタイムカプセルを作って埋めてやろうと思っている。
もちろん開けるところまでしっかりと約束を果たしたい。

想像もつかない遠い未来に胸が高鳴る。
長生きしなくちゃな。

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