初めてハゼを釣った

2021年9月5日 晴れ

私は河口のテトラポッドに座り込み釣り糸を垂らしていた。
時刻は正午。快晴。風の強い日だった。

河口で釣りをするのはこの日が初めてだった。
キスを釣ろうと最寄りの海岸へとやって来たものの、あまりの爆風に釣りにならず、少しでも風の防げる場所を探し歩いた結果、河口沿いのテトラポッドへと辿り着いたという経緯だ。

河口とはいえ二級河川、流れは少ない。そして水深も浅い。何が釣れるのか全く分からないが、それもまた釣りの楽しいところ。

さっそく仕掛けにアオイソメを付けて放り投げてみる。ずりずりと底を辿って来ると、ブブブブブと小刻みに震えるアタリがきた。

今まで感じたことのない感触。


あなたは誰ですか!?


釣り糸を手繰り寄せると、ハゼが釣れ上がった。

褐色の肌が日の光で透けて見えて、とても綺麗だと思った。
ちょこんとしたつぶらな目が愛くるしくて、可愛いと思った。

生まれて初めて、ハゼを釣った。

私の住む地域では、釣り大会という催しがある。
秋になると、河川が会場となり、釣り人たちがこぞってハゼ釣りの釣果を競い合うのだ。

参加者は大人もいるが、子どもが多い。
今はどうか分からないが、私が子どもの頃は何かあるたびに子どもが駆り出された。子どもの声が響き合うと、なんとなく賑やかな感じがするし、楽しい雰囲気になる。催し事としてはそれだけで「成功」と言えるのだろう。
この釣り大会も例外でなく、子ども達は釣りに興味があろうがなかろうが、とりあえず召集され、駆り出された。

そういう訳で、私も子どものころ釣り大会に参加したことがある。
しかし、「釣りに興味のない方」だったので、釣りはせず河川敷の芝生で遊んでいた。私は手先が不器用なので、仕掛けを付けたり、エサを付けたり、絡まった糸を直したりする「釣り」という遊びは、本当に心からやりたくなかった。
それが20年以上経った今、自分がこんなにも釣りを楽しく思う日が来るなんて、人生とは分からないものである。

とかく、私はハゼが釣れた瞬間、20年越しの喜びを覚えた。
あの日、釣り上げるはずだった魚が目の前にいることに深く感慨し、喜びを噛み締めた。

私はハゼを釣り続けた。
ハゼのシーズンに突入しているのか、竿を放る度に釣れた。

竿から伝わるハゼの感覚が小気味良かった。
強い引きはないが、突如ブルブルとやってくる当たりは妙な中毒性がある。

夢中になって竿を投げ続けていたが、突然、はたと釣れなくなった。
釣りの不思議なところだ。
釣れる時は釣れるけど、釣れない時はとことん釣れない。

ふと空を見上げると、あんなに高かった太陽は西へと傾き、空は夕暮れの装いに変わっている。

漠然と強い切なさを覚えた。

ひとりで水面と向き合っていることがひどく寂しく感じられた。
一体、私はいま何故このような気持ちになっているのか。その根源を思案していると、ひとつの結論に至った。

「ああ、そうか。俺はいま子どもに戻ってしまっているんだ」

子どもの頃、ひとり夕暮れに立ち尽くしている時、この類の切なさを覚えたことがあるような気がする。
寂しくて、心細くて、早く家に帰らないとと切迫するような気持ち。

そうか、ハゼなんか釣ったせいで、子どもの頃の思い出が蘇ってしまったせいで、夢中になって釣りを続けてしまったせいで、子どもの私がどこからともなく顔を出してしまったんだなぁと、そう思い納得した。

「帰ろ」

ぽつり呟き、私は家路を辿った。

ハゼは内臓とウロコを取って、そのまま素揚げにした。

骨が柔らかいので姿のままでも十分に味わえたが、胃もたれがした。

「ああ、せっかく子どもに返ったのに、明日からはまた大人をやらなくてはならないのか」

そう思うと、内臓が正常に働かなくなるくらいに気持ちが鬱屈してしまった。

(私は、「大人」とはなるものでなく、やるものだと思っている。人間の本質は惰性で過ごし感情に流され取り乱すものだと思っている。これが許されない場面でやっと「大人」が登場すると思っている)

この日私が本当に釣り上げたのは、ハゼでなく子どもの頃の自分だったのかも知れない。
釣竿の先が海底だけでなく、まさか自分の心の奥底にまで届いていたとは。

釣りの趣きの深さを噛み締めつつ、私はもう一匹とハゼを口に頬張った。
胃もたれは続いたが、明日からは背筋を伸ばし過ごさないといけないな。

そんなことを考え、夜が更けていった。

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