そうだ、キスを釣ろう

2021年8月13日 雨

「盆に入ったら海に近づくな」

私は、地域のご法度を無視し、昼過ぎに堤防へ向かった。

釣りにあたって問題にならない程の小雨であったが、カッパ越しの雨音はぼとりぼとりと重く感じられる。

昨日、生まれて初めての釣行で毒魚を2匹釣り上げた私は、家に帰ってからネットに齧り付いた。
道具やらの準備不足も分かったし、適当に釣りをやって毒魚ばかり釣れても面白くないので、色々と調べる必要があった。

はて、では何の魚を狙おうか?

この時期に堤防から釣れる魚を調べていると、どうやら「キス」という魚が堤防からのちょい投げで狙えるらしい。
釣具屋の店員さんが勧めてくれたロッドや仕掛けもちょい投げ用だったので、私はキスを狙うことに決めた。他の理由は何もなかった。

そうと決めたら、今度はYouTubeでキス釣りの動画を見漁った。
仕掛けの付け方や、魚の誘い方、狙う場所など一通り紹介されていたので、明日はとりあえずそのまま真似してみよう。

当日の午前中は法事があったので、その後にホームセンターへ行き、クーラーボックスやハサミやらの小物を買った。
昨日と同じ釣具屋へ行き、改めて仕掛けと餌も購入した。店員さんも昨日と同じ方だったので「私、キスを狙うことに決めました」と告げた。すると店員さんは「じゃあイソメは細い方がいいですね」と細めのイソメを用意してくれた。

ありがたい。

今日の堤防は、人がまばらだった。

盆入りだし、小雨降ってるし、台風が近付いているらしいので、釣りをするにはあまりよろしくないシュチュエーションなのだろう。
そう言えば、釣具屋の店員さんにも「台風が近づいているからくれぐれも無理をしないこと。危ないと思ったらすぐに釣りをやめること」と注意された。

余談になるが、私は以前海で死にかけたことがあるので、海の怖さは重々承知しているつもりだし、海沿い育ちなので海に対しては畏敬の念のようなものを抱いている。
平たく言うと、海に行く時は、最悪海に命を持っていかれることを覚悟して行くタイプなのだけれど、釣りの楽しさが私を狂わせていたのだろう、私は店員さんが暗に「今日の釣りはやめておけ」と忠告していたことを分かっていたにも関わらず、堤防へ行った。

その堤防は海から奥まった河口に位置しており、幸いにも高波の影響は殆どなかった。

私は、河口側へ行き、そこに向かって仕掛けを投げ入れた。
L型天秤にキス釣り用のハリスを付け、そこにイソメを掛けた仕掛けだ。

昨夜YouTubeで見たとおり、仕掛けが着底した後に竿をゆっくりと上へと動かし、海底で仕掛けをこちら側へ寄せ続けていく。

最初こそ何の反応も無かったが、しばらく続けていると魚の感触があった。私はネットで知った「向こうアワセ」の通り、早る気持ちを抑えつつ、そのままゆっくりと竿をサビキ続けた。

どきどきしながらリールを巻いていくと、海面から魚が上がって来た。
残念なことにクサフグだった。

思わず「フグちゃんかー」と呟いた。
この時は知らなかったが、何故か釣りをする人はフグをちゃん付けで呼ぶ。まるっとした体や、怒ると体を膨らませる様子がまあまあ可愛いので、思わずちゃん付けで呼んでしまうのだろう。
釣り上げた時に「クソフグ」などとクサフグを蔑称する釣り人は、かなりフラストレーションが溜まっていると見て間違いないので、是非参考にしていただきたい。

1時間程同じような釣りを繰り返した。
その間にクサフグが2、3匹釣れたので、クサフグがかなり釣れやすい魚だということは分かった。

早くもクサフグに辟易し始めていた私であったが、今までのクサフグとは違う手応えを手元に感じた。

おおお?何だ何だ?と魚を引き上げると、そこには小さいゴマサバが掛かっていた。おお!サバだ!食える!

私はすぐに用意していた氷入りのジップロックにサバを入れた。小さかったので海に帰すべきか迷ったが、初めて食べられる魚が釣れて嬉しかったので、これは絶対に食べようと思った。

私の中の、狩猟民族としての血が騒いだ。
ますますボルテージの上がった私は延々と竿を投げ続けた。
すぐにタイの稚魚が釣れた。釣り界隈ではこれを「チャリコ」と呼ぶらしい。
またしても食べられる魚が釣った自分が誇らしくて、嬉しくて、これもジップロックに入れた。

時刻は15時頃であった。
釣りを始めて2時間。明らかに流れは変わっていた。
その後もイシモチが立て続けに2匹釣れたりした。

ただ、私には一抹の不安があった。
キスを狙ってるのにキスが釣れない。
これは何か根本的に釣り方が間違っているのではないか。

今、キスを釣らなきゃ、いつ釣るんだよ!
私は奮起した。昨日収集したあらゆる情報を再想起して、例えばそれは「かけ下がりでは少し待つ」とかであったり、そういうことを意識して釣りを続けた。

そして、その瞬間は来た。

コンコンコン

今までとは全く違う甲高いアタリが手元に伝わった。
焦らずにゆっくりと竿をサビキ続ける。
反対側へ魚が逃げていこうとしている感覚が分かる。小気味良い感覚だ。

足元まで魚を手繰り寄せた後、ゆっくりと竿を上げていく。
するとそこにはキラキラと輝く、まあ何と美しい白い小魚が掛かっていた。

「キスだ!」

私は声を上げた。
周りに誰もいなかったので、その喜びを存分に体現した。

ガッツボーズを取って、「よっしゃー!」と叫んだ。

何年ぶりだろう、こんな風に喜ぶのは。

嬉しいことや楽しいことはそれなりにあるけれど、こんな風に心の底から体が突き動かされるように喜ぶことって、最後はいつだったろう。それはなんだったろう。

その後、立て続けにキスがもう1匹釣れた。

15時から30分の間にキスを含めた5匹の魚を釣り上げた。

しかし、その後は鳴かず飛ばず。
さっきまでのざわめきが嘘のように私の竿先は静まり返ってしまった。

次第に堤防に人が増えていく。
夕まずめが近づいたせいだろうか、それとも雨が収まったせいか。

ひとりの黒づくめの青年アングラーが私の隣に来て、「釣れますか?」と尋ねてきた。この「釣れますか?」は釣り人にとって「こんにちわ」くらいの意味しかないのだが、この時はそんなことも分からないし、昨日から釣りを始めたばかりで「どれくらい釣れたら『釣れる』と言えるのか」も分からなかったので、考えに考えたあげく「キスが釣れましたよ」とだけ答えた。

今になれば、この日は「釣れる」と回答して良い日だったと思う。
ただ、「今はもう遅いかも」ということを付け加える必要があるかも知れないが。



たった30分の間、私が魚を釣り上げたその時間帯はまさにゴールデンタイムだった。

ただ、その日の私は「釣りって沢山釣れるんだ!楽しい!」くらいにしか思ってなかった。

目的のキスを釣り上げご満悦となった私は、釣れた魚たちを家に持ち帰り、塩焼きにした。

本当は天ぷらにしたかったけど、不幸にも天ぷらの用意がなかったのだ。
釣り道具の準備には余念がなかったが、天ぷらの準備までは頭が回らなかった。間抜けだ。

しかしながら、塩焼きにした魚はどれも美味かった。
「初めて自分で釣り上げた魚」という極上のスパイスが振りかけられていたからだろう。

勝利の栄光を讃えるが如く、ビールグラスを掲げてみる。
本来、食事とは栄誉なことなのかも知れないな、などと思いながら煽るビールは格別であった。

私がもう30歳を越えているせいもあるのだろうか、この世でサバイブする喜びをこの日の釣りから教わった気がする。
心から、魂から、「嬉しい」と思いながら魚を食した。

「また釣りに行こう」

強くそう思ったのだが、天気予報によれば明日以降は本格的に台風がやって来るらしい。

それがいじらしくて仕方なかった。

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