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超大作・バルダーズゲート3所見

前書き

やはりブログを書くなら外部サイトだと気付かされてしまった今日此の頃。
店舗公式HPであるWordpress上で雑事を発信しようとは、どうも思えないようである。それが経営している店のページ上であるという遠慮からなのか、Wordpressの微妙な仕様の所為なのかまでは今となっても判然としないが、とにかくまた私に"ブログを書こう"という意思が芽生えるようになったことを自ら言祝いでやりたい。

私がゲームを手に取る機会の多くは、無二の友人であるクリエイターP氏がいつも作ってくれている。当作品を紹介してくれたのも無論、彼である。
関東在住の彼は私の店舗には容易に顔を出さないが、これだけ通信が発達した現代であるから、声だけは多いときは、グループ通話上でほぼ毎日聞いている仲ではある。
そのような環境もあってか、私はゲームをとある時期から社交ツールの一種としてしか、見なくなった。必然触れるゲームの仕様は協力プレイ寄りになり、そういったゲームは――これは大いなる偏見だとは思うが、世界観やシナリオは二の次であり、いかに楽しい時間を他人と共用できるか、といったところに力点を置いているゲームが多い。
平成という時代に一斉を風靡したMMO・RPGというジャンルにおけるゲーム郡などは、その最たる例たちだろう、とおもう。

面白いの方向性が、根本から違うのだ。
無論、それらの両立は可能だろうとは思うが、そんななかでも、このバルダーズゲート3というマルチ対応ゲームは、前代未聞の超大作ゲームであったので、いささかの感想をこのゲームへ捧げたいと思った次第である。
例えば、マインクラフトというゲームがある。
其作は聞くところによれば、学校の授業にも採択されているらしい。
それは電子世界を統べるマイクロソフトが親会社であるということを除いても、教材としての側面を担うに足るゲームだと認められた、というひとつの証左だろう。その上で、述べたい。
バルダーズゲート3は、マインクラフトに勝るにも劣らない作品であると。

特に、若き中高生にとっては良い教育・知育的刺激になるのではないか。
なにせ、当タイトルは啓発的な要素がふんだんに盛り込まれており、西洋文化に疎い私が気づいたところだけでも、種族間における差別意識、移民・難民問題に対しての対応、カルト的な宗教団体の行蔵、特権階級の使用言語から察せられるヒエラルキーなど、当時代が抱えている非常にタイムリーでセンシティブな問題が”ごく自然に”物語に溶け込んでいる、と感じた。
それら繊細な事象が、押し付けがましく提起されているわけでは決してないのだ。故に、そういったことを気にせずプレイすることは十分可能だし、
日本語翻訳のレベルも――ちょっと妙な握力を感じるところを気にしなければ、訳者の国語力の高さが窺える。
とにかく、興味がある方は是非ともプレイしてほしいものだ。

バルダーズゲートとは

原則、4人プレイのロールプレイングゲームである。
より正確にはTRPGというらしいが、そのへんは詳しくないからあまり書くとボロが出る。が、誤謬を恐れずに書くと、Tとはテーブルトークのことらしい。もともとはテーブルの上で行う対面式のゲームだったのだろう。
たとえば、プレイヤーAが道を進んでいくと、泳いでは渡れなさそうな川に行き当たった。そこで、プレイヤーAが「川を渡りたい」と提言する。
すると、シナリオを作ったゲームマスターMが「不可」あるいは「条件」と提示する。その条件もさまざまである。
先の例の"川を渡る"という選択であれば、
1.船で渡る(運賃100)。
2.船頭を説得して船で渡る。
3.船頭を脅して船で渡る。
4.船を力ずくで奪う。
5.渡らない
などの条件が、シチュエーションごとにいくつも提示される。
それら選択の成否は、その選択肢ごとに設定されている難易度によるが、
手段としてはサイコロで決める。それは、多くは20面ダイスらしい。
12以上の目が出ると「成功」、それ以下では「失敗」、などとなる。
要は完全に運なのだが、ただし会話が上手だとか姿形が屈強であったりなど、そういった技能を持っていれば成否の線が引き下がるという面もある。
また、原則サイコロの振り直しはできない。

バルダーズゲート3は、そういった進退を決めるサイコロを幾度も振らされ続けるゲームである。
作中でそれを振らされる回数は、ゆうに1000回を超えるだろう。
かといって、行きつく岸は大きく分けて二カ所しかないわけではあるが、
マルチエンディングではないからといって、ゲームの壮大さを損なうものでは決してない。人生の終着である岸は死ひとつしかなく、死後であれば天国か、地獄かだ。人であれば、善人であったか、悪人であったか、という評価だけに過ぎず、バルダーズゲート3の決着も、まさにその善と悪の2つしかない。

重要なのはどのような過程を経たかであって、もちろん都度の選択はすべて自由であり、その結果の終点が善であっても悪であっても、それはプレイヤーの幾度となる決定の積み重ねの頂きであるから、それこそがプレイヤーの専用エンディングということになろう。
これはある意味では、マルチエンディングといって差し支えがないように思うが、どうだろうか。

賽は、世界が終わるまで投げられ続ける。
それが、バルダーズゲート3というゲームである。
是非、お試しあれ。

アフィリエイトではないので安心してほしい。
ちなみに私がプレイしたのはスチーム版。

バルダーズゲートのゲーム性

ここからは、おおいなる余談である。
もし当作品をひとつの映像作品だけとして見ることなく、ゲーム性も楽しみたいというのであれば、私としては最高難易度をおすすめしたい。
シナリオや空気感を愉しみたいだけなら、冒険者難易度で十分だろう。
難易度はシナリオには一切関与しないはずだし、要はただ戦闘がややこしくなるだけだから、シナリオ重視の方は冒険者難易度でよいと思う。
ちなみに、私たちは最高難易度を友人3人+NPC1人の構成で終始すすめ、リトライを経ることなく実績を獲得するまでにかかった時間は、
おおよそ250時間である。
(一章は予習済みで、それ以降は初見プレイで行った)

私は攻略情報というものを、ほぼみない。
よほど進行に詰まって、ただただ時間を無益に垂れ流すようになれば参考にすることもあるが、基本は見るということをしない。
そのため、答案を見る際に必ず行われる自身で獲得した知識の整合性をはかるという作業がありえないから、もしかしたら下記において間違っている或いはより正確なものがある、という点が甚だ多いと思われるが、とにかく読まれ参考にされる場合は、ご留意いただけると幸甚であります。
まあ、結果的に見ておけばよかったなと思ったことはいくらでもあるが、
娯楽を効率的にやりすぎてもしようがない、と私は思う。
限度をこえない失敗は、その道中に刺激を加える。

また、ことバルダーズゲートというゲームに関しては、予習をしすぎると
面白さが半減する。
なぜなら、多くのことは突き詰めて考えれば、対処可能であるからだ。
このゲーム、ひとつひとつのことを考える時間は、たっぷり用意されている。其の上で、ここでは敢えての前提知識を列挙しておきたい。

技能について

キャラクターメイキングの際、どの技能に習熟するか最初に求められる。
通常、このステータスはプレイ中に変更することができない。
(但し、それらを補填する装備やスキルは作中に存在する)

ここではそれらを複数まとめて紹介することはしないが、
必要になる理由とあわせて、重要なものを記しておく。

手先の早業・・・スリや解錠ダイスロールの際に習熟を求められる。
ペテン・・・会話ダイスロールの際に習熟を求められる。
威圧・・・同上。
説得・・・同上。

他の技能は、はっきりいってどうでもいい。
手先の早業がないと宝箱や施錠されている扉を開くことに難儀するし、
会話を行う上で、威圧・説得・ペテンがなければ、時折ある会話イベントで終始不利になる。(多くの会話でこの3つの技能判定が求められる)
通常、プレイアブルキャラクターの「アスタリオン」がこの手先の早業とペテンに長じているので、彼にイベント進行を任せるのも手だが、オリジナルキャラクターをメインに据えている場合、逐一操作キャラクターを変更するのは手間であるから、キャラクター作成におけるひとつの判断基準として覚えておいて損はないはずである。

聞き耳のチェックオン

このチェックをつけることによって、別のプレイヤーがなんらかのイベントをすすめた場合、そのイベントシーンに自身も転移する。
バルダーズゲート3は、探索範囲が常に自由であるために、個人行動が過ぎると友人間でのプレイにおける協力関係に齟齬が生じやすい。
極端にいってしまえば、単独で別の地方にすすむことも可能だからだ。
ただ、各屯所で随意に行動することは時短にもなるし、人海戦術的なローラー作戦も有効でないことはないので、ただ他方イベントシーンを見逃してしまうとシナリオへの没入感が欠けていくから、重要シーンを常に共用するために、このチェックはオンにすることをおすすめしたい。

カルマダイスについて

デフォルトでは「オン」になっている。
カルマとは、ヒンディー語でいうところの因果応報のことで、原因と結果の関係性を善悪で判断する諺であるが、物語の進行具合によってこのダイスの出目が変わる、というわけではないらしい。
わるい出目がでれば、次はいい出目がでる――可能性が高くなる、という意味の公平性をきした調整のようだ。
確率論としては最悪の出目が続くことは十分に有り得ることだが、そういったことは有り得ないと大多数が感情論として断ずる現象を先んじて防ぐ役目を負っている。故に、オンにすれば公平性が維持され、オフにすれば出目は現実的になる。

水薬の使い方

水薬とは、主に回復剤の癒やしの水薬のことを指す。
バルダーズゲートのコマンドのひとつに「投げる」というものがある。
通常、薬は飲むものだとは思うが、このゲームに関しては、水薬は投げて使うのが主流だ。そうすれば遠くにいる戦闘不能状態の味方も救援できるし、
複数の対象を回復することも可能である。飛距離は投げるものの重量とプレイヤーの筋力に依存するが、物は基本的になんでも投げられる反面、どうしても薬剤は先に「使う(飲む)」という選択肢をとってしまうために、本来すべき投げるという選択肢に気づきづらい。
ただ、それらを教示するイベントが、恐らく序盤に用意されてはいる。その当該アクションをNPCが実演して見せてくれるのだ。実際はショーでもなんでもない切羽つまったシーンではあるから、こと状況によってはその行動を取らないことも有り得るので、敢えてここで記しておく。

大休憩と物資、及び時限イベント

大休憩は、バルダーズゲートにおける最高の回復手段である。
それらを行うには「一日」という時間と、「野営物資」を必要とする。
大休憩を行うことで、得られるものは以下である。
・HPと呪文特技スロットなどの全回復
・小憩階数の回復
・なんらかのイベントの進行トリガー
さて、バルダーズゲート3の直近の目的は、「自身が化け物になることを防ぐ」ことであり、道中を急がないといけないという気分が濃厚であるから、どうしても大休憩を節約したい気分が生じるのは、無理ないことかと思われる。が、恐らくはそれは演出の一環であり、休みすぎて化け物になるような時限バッドエンドは存在しない。(はず)
であるから、必要に迫られれば、大休憩は率先してとるほうがいい。
大休憩後でしか発生しないイベントを逐次消化する必要もある。
むしろ、大休憩を節約することで内部にイベントが蓄積してしまい、意味不明(?)なイベント内容になることは防ぐべきだ。(我々はそうなった)

ただ、妙な方向へながれる時限イベントもいくつか存在する。
プレイアブルキャラクターのカーラックの心臓加熱と、ゲイルの魔力暴走、またジャーナルで明日を待つなどという指示がされている形のものなどがそれだ。
活動しているとキャラクターたちが「そろそろ休んだほうがいい」などといいだすが、それらは基本無視してかまわないと思われるが、あまり悠長なのもよろしくない。
回復したいだけであれば、シナビでクラスチェンジを繰り返していれば数値上は健全を保てるし、シナビはスリになぜかたいへん寛容なので、クラスチェンジにおけるゴールドはあってないようなものだから、どんどん利用したい。

余談だが、野営物資はほかのアイテムと同様、主に「商人からの購入」か「フィールドでの取得」になるが、このゲームのひとつの特徴としてアイテムのリポップがないために、フィールドでの再取得は望めない。
しかしながら、商人の在庫は一日経過すると野営物資だけにかぎらず全量補充されるし、べつに野営物資を使用しなくとも大休憩はできるので、一日という時間を消費したいだけのときなどは、物資を使わずに時間だけすすめるのも可能ではある。

完全敵対と一時的敵対の違い

最高難易度に挑むにあたって一番枢要なのは、「無理だと思ったら逃げること」であるが、別段クリア後の実績に頓着がないのであれば、逃亡せずに敗北してトライ&エラーでも何ら問題ない。
其の場合、表記上はカスタムになるが、難易度は最高仕様が維持される。

このゲームは、敵からおおきく距離を離せば(25mだったか)、野営地へ逃げることができる。また、基本的にマップ移動を挟めば敵は追ってこない。野営地に飛ぶことが出来る区域であれば、自由に仕切りなおすことができる。
加えて、このゲームのNPCたちは、先のダイスロールによる――イベントジャーナルの更新が起きるような大きなイベントの進行結果によってのみ、完全敵対するという特性をもっている。
だからいきなりプレイヤーが剣で町人を斬りつけたとしても、さすがに喧嘩にはなるし、以後なかなか口を聞いてくれなくはなるが、完全敵対勢力とはならない。これを、ゲーム内では一時的敵対と呼ぶ。
この一時的敵対を穏便に収めたいと考えたのであれば、先の逃走か、
或いは非致死性攻撃(スイッチ式)を行う必要がある。
彼らはどれだけ凄惨な一撃をもらって血まみれになろうが、寝て一夜たてば同じ場所で平気な顔をして動き回っているので、関係の修復は十分可能である。其の辺で拾ったロープとかはさみなどをたくさん渡そう。

このゲームはNPCはともかく使用キャラは命が軽いので、
とにかく、なにがなんでも全滅を避ける。これが一番大事だ。

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