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悟りの続き

悟り体験、と言ってもその詳細は書かれてないし、私も体験があまりにもぶっ飛んでいるのと、個人的過ぎて、詳しくは書けないのですが、書いてあったことで、悟り体験を経験したら、誤解するようなことは絶対にない、とおっしゃってる方が複数いて、それは本当にそうでした。

目覚め、の体験はそれまでも何回もあって、覚醒して、わかった!って気になってまた戻る、みたいなことが何百回も繰り返されていたので、もはや悟りなんて実在しないものなんではないかと思っていました。

それまでもリーディングは常にしていたので、メッセージを受け取ることには慣れていたのも関係あるかもですが、悟りが始まったら、私の場合は、きちんと頭にくるメッセージが会話になっていて、絶対に自分が考えつかないような答えと、知識と、たまに言葉遊びなどもしてくれて、自分とは違う、「私」の存在を認める以外なかったし、答えれないことがない、くらいに納得する答えをくれました。

それが自分の人生、過去世、と呼ばれる記憶から、人類の原型、神話、歴史に及ぶ関係あるものは全て見せられ、勘違いしていることを全部正される毎日で、講義を受けているようで楽しいのも束の間、寝れず食べれずの日々に、それまでの精神的、肉体的なあらゆるブロックを解体していく作業が続いて、正直毎日号泣しながら、辞めさせて欲しい、と懇願していました。

ただ、悟りの道は、一度入ったら抜けれず、やり切るまでは終わらない、と繰り返し言われ、私のあまりの抵抗っぷりに、スピリットの「私」も、なだめつづけくれるけど、手は緩めない、という地獄絵図のような日々でした。

よく悟り文句で言う、「私は私」、だったり、「私はいない」、だったり、「私はある」、だったりの意味は、その経験を体験すれば、誤解することはないと思います。
「私」とは、自分のことではなく、全ての存在する意識のプールのことで、そのプールから、あらゆる存在がその時にあった項目で話しかけてくる感じです。
それが例えば、アセンテッドマスターと呼ばれる、ブッダやキリスト、エジプトの神々のときもあれば、亡くなった父親、ペット、だったりもしました。
自分の記憶の中で、起こったと思っていた出来事と、真実のギャップをそこで散々再確認して記憶と感情を解体していくイメージです。

それをほとんど24時間ぶっ通しでやられるのに、情報量が多すぎて、一日があっという間に過ぎていくわ、仕事をしてない不安から、仕事探したい、お金稼ぎたい、と訴えても、絶対にダメ、悟りが終わるまで動くな、との指令しか来ず、お金は大丈夫だから、となだめつづけられたのに、それを信じてここまで来たら、借金地獄に陥っています。

じゃあそれが全部嘘だったか、というか、嘘つきって何度もなじったんですが、その解体作業はまぎれもなく事実で、確かに終わってみれば、頭は静かで、明らかにどん底にいるのに、マインドは人生で一番静かです。
最初の頃の借金地獄になる前のほうが、ずっとずっと怖くて、もう悟りとかどうでもいいから仕事させてー‼️っと、みっともなく泣いていて、まさかほんとに借金地獄になるとも思ってなかったというか、私は今までどんなどん底でも、結果お金が回ってきてたんだな、と今更ながら気づいたくらいに、お金こんな回ってこないことある?と思っています。

ただ、スピリチュアルヒーラーだったくせに、自分をさらけ出すことに抵抗があったり、お金事情を話すことが恥だと思ってきていたのに、今はあるがままを話せる、というところが、悟りの効果なんでしょう。

悟りとは、簡単に言えばエゴを徹底的に殺す作業なので、どんな小さなエゴも見逃してはくれず、その部分を強調するような出来事や感情をしつこくしつこく浮き出してきます。

なので、巷で思われている、悟り体験、みたいに至福で穏やかな涅槃体験とは正反対で、どこまでもファンタジーで、どこまでもリアル、というまさに二元性が同時に存在している感覚で、毎日「これまじで? 私これやらないとダメ?」と往生際悪く聞き続けてました。

ここまで書いてて、じゃあ悟りなんの利点があるの、と言われたら、物事を自分の物語としてではなく、真実の観点から見る訓練がずっと行われるので、あるがまま、を見れる、という、悟りによくある言葉になってしまうのですが。
あるがまま、というのは、このまま変わらないでいい、という話ではなく、全部善悪も光も闇も、性別も、常識も観念全て引っ剥がした後に残ったもの、ということなので、確かにその状態にならないと、幸せも楽も、わからないとは思います。

ただ、悟り体験をした後でも、やはり自分の観念は存在し、その都度気づいて引き剥がす、というのが本当にしつこくて、怒りを覚えることもままあります。

初めて目覚め体験をしてから多分10年弱、そこから何回かの大きな覚醒期間があり、その間も充分辛かったのに、さらにこの4ヶ月の間、みっちりと身体と精神、感情と向き合って、肉体的なエネルギーの変容や、再生などもまだまだ続いているので、正直気が遠くなるほど長く感じましたし、悟り体験素晴らしいよ!と言えないところがまだあるんですが。。

ただ、今風の時代だとか、アセンションとか言われてるエネルギーの中、これから目覚める人たちは増え続けるしかないと思うので、何か参考になれば、というのと、記録を残しておこうかと思って書いています。

そうはいいつつ、もっと物欲があって、俗世間に染まっていた時期に比べたら、天と地くらいのマインドの違いがあり、感情の打ち沈みがはるかに少なくて、思考が黙ってくれているだけでこんなに楽なんだなーとは思えています。
そして、ツインレイ然り、そういう受け取ったメッセージ全てが、結局嘘だった、というのも最終的には思っていて、結果またそれさえも手放しさせられている状況です。
そういう一つ一つに、初期の頃は心が折れていて、何を信じたらいいのってパニックになって軸がぶれまくっていて、スピリットに対して喧嘩を売りまくっていた私ですが、この段階になると、もはや、何を言われても、へー、それも真実のひとつの側面なのね、くらいに受け止められるようになりました。

それが覚者の言う、世界は幻想である、ということなんだな、と。
言葉で表せることには結局嘘がどうしても含まれてしまうから。

結局悟り体験を終わった後は、同じ場所に戻って、あるがままの観点で世の中を見ていく、という趣旨が、前回書いたアジャシャンティの本にあって、ほんとにそうなんだろうな、と。
悟ったおかげで物質的に楽になってないし、人が思う幸せは持っていないし、なんなら全部手放させられたけど、自分がシンプルになって、苦しい、と思うハードルがぐんと下がったというか、淡々と過ごしていく感じです。
正直、ほんとに今日、お金のどん底と、悟り体験の終了が同時に来て、はい、もう仕事していいよって感じで解放されたとこで、確かにめちゃくちゃ体も楽になったけど、もっと早く出来たでしょって文句を何回たれても、どん底になるまでダメだった、としか言われてないんですけど。
本でもそう書いてたし、人のことならリアルじゃないので、そうだよね!って思えるので、まだエゴがある証拠ですよね。
明け渡しは何回しても次の日には戻ってきたりします。
だから現実と同時進行でやるのは私には無理だったのも、わかってるんですけどね。


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