Bos Devos監督作品『Here』を観たりふだん通りの生活してんだな

 『Here』の主人公がスープ外交をしている。本人は外交とは思っていないと思うけど。そのスープが、冷蔵庫にある野菜をあるだけ入れたスープ。彼は家を空けるので冷蔵庫を空にするために作っていた。けど彼はいつもこんなスープを作っている気がする。

 近頃、自分にとって食べ物ってなんだろうと気づいたら考えている。「食事」と呼べるような時間は週に片手で数えるくらい。腹が減ったから作りながら食べる、そこにあるものを腹に入れる。味わってはいるつもりだが、ぺらっぺら〜な「味わい」。意識が向いてない。
そういう日々を過ごしている間、本能に刻まれているような確かさを持った無意識で、突然野菜だけをたくさん入れたスープを作る日が来る。自分から離れてくるとスープを作り始めると思っていたが、『Here』を観てなんか違うかもと思った。

 『Here』では名前を呼ばれるシーンがあまりなく、元々名前を覚えるのが苦手なので誰の名前も覚えていない。それが物語を自分に近づけて観ることが出来る要因なのかもしれない。
主人公は仕事が長期休みに入り、帰り道、休暇の話を同僚としている。部屋に戻り、冷蔵庫を開ける。床にぺったりと座り、冷蔵庫の中身を見つめる。そこにそれしか見えていないかのように。
そのぺったりと座る仕方を見て、自分を意識した。私は床にぺったりと座ることはめったにしない。余程安心している時か、愉快な気分の時だけ。けど、ぺったり床に座ると、とてもいい気分を感じる。しかし、また次にそれをするときまで、その気持ちと動作をまるっきり忘れている。

 『Here』を観た次の日、スープを作りたくなった、というか、冷蔵庫不在の家で、野菜が悪くならないか心配だった。その状況で『Here』を見て、「スープを作る」という手段があったことを思い出した。頭の中にあることは対して大切なことじゃない。忘れていること、なんで覚えていられる前提のようにいうのだろう?

 街を歩き回る主人公、歩みはゆったり、意図のない速度、彼自身の速さ。昨日の夜、ゴールデンで放送されているドラマを配信で観て、「この速度は自分の速さじゃないな」と感じた。深夜枠のドラマは落ち着いて観ていられる。どっちも、観ることはできるけれど観終わったあとで、落ち着かなくなることがあるか無いかってだけだけども。   てか、主人公って言葉、なんかやだな。
横道横道、自分の速度について。


2024 3/31作ったスープ
フェンネル(シード)・・・・・・・・・・・・・・・・てきとう
さつまいも・・・・・・・・・・・指3本幅の 1つ
じゃがいも・・・・・・・・小ぶりの細長いの 2つ
玉ねぎ・・・・・・・・・・・・・・・1/3玉くらい
キャベツ・・・・・・・・・・・・・・1/7玉くらい
舞茸・・・・・・・・・・・・・・・・・・・半株
セロリ・・・茎をあとで食べたいので葉っぱ中心にてきとう
野菜が浸るくらいの水を入れる。

いつもは塩だけで味付けするが、冷蔵庫不在から1週間経つので心配になってめんつゆも使った。おたま1杯くらい。 結構入れたな。

スープに味付けをする段になって、先日「自炊でなにを作るか」聞かれた時に、この野菜だけのスープの話をしたのを思い出した。味付けを聞かれて、「塩だけだよ」と言ったら「…塩だけ!」という感じの反応をしてたけど、その感じがなんか落ち着いた。「いろんな野菜入れるとこくがあるんだよ」とかどうでもいいことを言って、その空気をどっかにやってしまった。

五香粉をてきとうに振りかけて、胡椒をいっぱいかけて食べた。
あとで、玄米にスープをかけて、五香〜に加えてグレープシードオイルをかけたら、卵の黄身に似た味がした。なんのまろみだろう?めんつゆとこくと油の香りがあれば黄身になるのだろうか

今年度の終わり。

20240331

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