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困っている人に声をかけられる心

朝起きて、久しぶりにコーヒーをお伴にゆっくりと新聞を読んでみた。
みなさんは、新聞のお気に入りのコーナーはあるだろうか?
私は、どの新聞にも1面にある記者のコラム、新聞によっては違うけど「今日の言葉」みたいなものが好きです。時間の余裕があれば、読者の投稿も読みます。

今日は時間があるので、読者の声まで目を向けてみました。
そこで心に留まったのが、88歳の方の投稿でした。

お孫さんがバスを乗り間違え、その後バスを3台乗り継ぎ、予定より2時間遅れて目的地に着いたというお話。その間、お孫さんは誰かに聞こうとしたのですが、迷惑そうに避けられた。コロナ禍の時代だからと、さ迷い歩きながらたどり着いたと書かれていた。

投稿のタイトルは
「道で他人に話し掛けられますか?」
でした。

この投稿を読んで思い出した自分の体験がありました。
関東・関西の都会に学びに行くことが多かった10年ほど前のこと、地図を読むことや方向感覚に強いと感じている私でも、迷いキョロキョロすることがありました。

誰かに聞こうと思っても忙しそう。勇気を出して声をかけても、スルーされることが多々あった。結局、尋ねることを仕事にしている駅の案内所や交番を探し歩き、そこで聞いて探している所にたどり着くという「ダブルに探す」ことすることとなり、たどり着くまでにへとへとになっていました。

でも、さ迷う体験すべてがそうではなく、
タイトルをみて、浮かんだの出来事は
・大阪での「どこをお探しですか?」と声かけられたこと
・横浜で階段をキャリーバックをもって昇っていたら、さりげに「お持ちしますね」と運んでくれた青年のこと
という素敵な話だったのです。

この声掛けに、涙がでるくらい嬉しかった。
見知らぬ土地で、困っているときって涙は出ていないけど、心の中では涙が流れている。

このお孫さんも不安だったろう。疲れただろう。
コロナ禍と書かれているが、そんな心の状態があるのに淋しさを感じた。

タイトルが私に問うてくる
「あなたは声がかけられますか?」

どうだろう。。。
「かけられる」と言い切りたいがいいきれない。
う~ん 弱い。。。
でも、「声を掛けられる自分でありたい」と思った。

そうあるためにはどうしたらいいのかと考えてみる。

声を掛けられるためには
・周りを見られる余裕
・自分がしたいと思うことを「迷惑なのでは?」と思うのではなく
 決めるのは相手と思うこと
・笑顔を持つ

では、その状態でいられるには?と考えた。

出てきたのが
「心に空間を持つ」
ということでした。

自分の心の中がいっぱいいっぱいになっていたら、そこしか見えなくなり、周りにどんなことが起きているのか気づくことも出来ない。
心に余裕を持つというのも同じことだと思うのですが、ここはあえてイメージがしやすい空間という言葉が出てきたんだと思います。

何かが入ってくることができる空の状態がある心

投稿に「コロナ禍の時代だから」とあきらめのような言葉が書かれていましたが、そんな時だからしかたがないとなるのは、いたし方が無いのかもしれないけど、そんな納得で終わらせるのは淋しいなと感じました。

どんな時でも心に空の部分が作れるよう意識する
「いつでも心の空間を」と思う。

「声を掛けられるには」のところに「笑顔を持つ」と書いたのですが、
声を掛けることができない時、その人に笑顔を見せるだけでも、その人の不安が少し和らぎ、その人から声を掛けやすくなるのではと思うからです。また自分の心も和らぎ、声がかけやすくなると感じます。

今日は25日で「ニコ」と呼べます。
笑顔の日と思っているので、笑顔も取り入れてみたいという考えもあったのですがね。。。(笑)

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今日も笑顔のある1日を!

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