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管理から働きかけへ

日々の活動の中で思う事      安保満貴

管理と働きかけ。仕事として実際にやる作業としては、似ている部分があることは否めない。しかし意味意義目的をよく意識することで、体の動きは似たような作業でもそこから得られる経験、気づきはだいぶ変わってくる。
私が思うに、管理を基本とした日常は基本的には相手の反応を見ることなく一方的に毎日同じことをしよう、同じ状態に収めようとするであろう。一方、働きかけは相手の反応を見て、次はさらに良い状態にするべく探求する。アサザプロジェクトにおいてその相手とは、単にひとつの対象(例えばアサザやホタルなど)だけではなく、そのすみかとなる場所、それを見て喜ぶ人、生きものまでも含めた相手であると思う。

昨年アサザプロジェクトに2頭の馬が加わった。馬は1頭1日、干し草なら10kgも食べる。(容積にしてぎゅうぎゅうと詰め込んで300ℓぐらい)馬たちが来てからは、餌を確保するため、採草できる場所を探すようになった。
いつも車で通る景色への見方が変わった瞬間である。目にすることの多い耕作放棄地へのこれまでのアプローチは、大豆、小麦、ソバなど有用な作物をつくることが大変な再生作業のための必須条件と思い込んでいたが、耕作放棄地でも春先はイネ科の草が優占していることが結構あり、あえて作物をつくらなくても馬のエサを確保できる場、そのままでも活かすことのできる場へと見方が変わってきた。
今では採草をしながら、耕作放棄地をどうすれば昔ながらの草地へと再生できるか。いつ刈るのか、刈る高さは、冬青い草型のイネ科の草の穂が落ちる梅雨時期以降はイチビやアオビユなどの外来種に覆いつくされやすいのでどうすればそれを防げるのかなどを考えるようになった。
馬たちが加わった当初、誰も何も経験がない中、遮二無二エサの確保にばかり目が向いていたが、半年以上が経過し、今は少しずつ周りへと目が向くようになってきた。

餌の確保だけを達成すればよいのであれば、単位面積当たりの収穫量が多い牧草を育てればよい話だ。しかし、アサザプロジェクトが目指す、人も自然もありがとうでつながる持続的かつ循環型の社会は、ある単一の目標を達成することを繰り返していても、到達できない。
アサザプロジェクトの進展を図るには、ありがとうのつながりの多さ、大きさが達成度の指標となる。里山を資源として活用していた頃、今よりもかなり多くのありがとうのつながりがあったであろう。
そのころは、アサザプロジェクトで迎えた山羊や鶏、馬などの動物たちも欠かすことのできない大事な一員であったであろう。動物たちが生きていくことによる直接的な効果(耕作放棄地のえさ場としての利用など)だけでなく、それが周りへもたらしていたであろう様々な効果を見よう、気づこう、広げようと日々の行動を続けることで、一歩ずつ前進していくことができるのではないだろうか。

          

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