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猫の日の幻影 / にほんしゅ・あさやん

2月22日は猫の日。そして今年は2022年2月22日という事で、スーパー猫の日と呼ばれているらしいです。
なんとなく、2022の『0』の部分はスルーしてえぇんやというご都合主義感を微笑ましく思える今日は、機嫌が良い日なんやと思います。

歳を重ねるにつれて、毎日を勝手に忙しなく感じてしまってイライラしてしまう日も増えました。

大抵のことは大した事じゃないのに、ほんまに勝手に時間に追われてイライラしてしまってる。

子供の頃は無限に感じた毎日やったはずやのに。という無邪気な幻影はとっくの昔になくなって、 "自分の情緒は自分で整える"というセルフメンタルケアと向き合う毎日を過ごしています。

大なり小なりあれど、ほとんどの大人はそないして過ごしてんねやろなぁと勝手に想像しながらなんの気無しに文字に起こしてみましたが、文字だけで見ると「おい、精神大丈夫か?」と思われてもおかしくない字面になってもうてますね。
"情緒"と"セルフメンタルケア"という言葉を並べてしまったのが、自分から見ても事を大きくさせてしまってます。
文字のみで話したい事を伝えるは難しい。これは僕の文章力の問題なんで、ニッコニコの笑顔でこれを書いてると想像して目を通してください。ニッコニコの笑顔で書いてる方がヤバいか。

話を戻しまして。ようよう考えれば、たぶん子供の頃からセルフメンタルケア的な考え方や行動はやってきてたはずやのに、歳を重ねれば重ねるほど自我が凝り固まって心にゆとりがなくなっていくんやろなと実感してます。

最近は特に、考え方が真逆と言っていい程に変わりつつあります。
それは子供の頃と比べてというより、もっと直近の10年程前、二十代中頃と比べても考え方は真逆の様に変わってます。
具体的にあげていくとキリがないので端的に説明すると、スケジュールはキッチリ決めたい人間になってきてます。

これまでの考え方が真逆という事は、その日暮らしが当たり前でした。
気持ちが乗れば行動を起こし、乗らなければ動かない。風に吹かれるがまま、その日の気分次第で毎日を過ごしてましたが今はその過ごし方が全く出来なくなってしまっています。

それが良いとか悪いとかの答えが無い話ではなく、ただ単に歳を重ねれば重ねるほどに人間というのは変化してしいくんやなぁと思ってる話でして、今はこんな性格やけどもまた違う考え方とかも生まれてくんねやろなぁと受け入れる準備はしています。

それでもやっぱり気持ちがイラついてしまったりするのは、まだまだ自分が自分と向き合えてない証拠です。性格が確立される事があるとしても、まだまだ先なんやろなと思います。

ただ一つ言えんのは、どんなけ気持ちが乱れていようが、お気に入りのたこ焼き屋さんのたこ焼きを食べれば気持ちが落ち着きます。
僕は今東京に住んでいるのですが、それでも「これは美味い!」と思えるたこ焼き屋さんがキッチンカーでの営業スタイルでして、気持ちが焦ってしまってる日にそのたこ焼き屋さんと巡り会えた日にはその軽トラ、いや、「たこ焼き」と書かれたテンプレートののぼりを見ただけでも気分が上がります。

粉もんの優しさ、ソースの香り、徒然草の様に過ごしていたあの無邪気な幻影。環境や心情に色んな変化があれど、性格の根本的にはまんまるホクホクのたこ焼きが一個ある位の気楽なもんかもしれません。

遊びたい時には遊べと叫び、甘えたい時には撫でろと叫び、お腹が空けばご飯はまだかと叫び散らす愛猫ひるねのように、行き着く先は気ままでありたい。そう思ってる僕の顔を今日も忘れる愛猫ひるねはとことん気ままです。

というこの投稿を2月22日中に行うつもりが、"スケジュールはキッチリ決めたい" "10年程前と性格が真逆の様に変わってる"と騒いでいたヤツとは思えないほどガッツリ過ぎてしまってる、僕の人間性ももぅ十分に気ままなんかもしれません。

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