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しあわせって何だっけ何だっけ

いわゆる学童でアルバイトをしているのですが、ハッとさせられることが多くて。そのうちの一つのお話です。


夏休みも学童に通う子供達の親御さん方が、朝から晩まで忙しいのは想像に容易いかと思います。

子供達のお弁当は、調理の簡単な冷凍食品が詰め込まれていることが多いです。
寝る間も惜しんで懸命にお仕事をされている親御さん達にとってはもちろん、ギリギリまで寝て爆速でお弁当を用意したいと考える怠惰極まりない私にとっても(同じ文脈に並べるな)、冷凍食品は“神”です。
前だと冷凍食品はあんま美味しくないみたいなイメージが浸透していた気もしますけど、今はむしろおいしさを求めて冷凍食品を買う時代に来てる気がします。この前、冷凍のメチャ美味しい台湾まぜそばをお勧めされたんだけど、まだ食べることができてません。早く買わなきゃ。

…本題はそこではないです。
これはとても幸せなことですが、「お弁当は手作りでなくては!」と言って、手作りしたおかずで敷き詰められた祖母お手製のお弁当を食べて私は育ちました。小さい頃、カップの底に占いの書いてあるグラタンに憧れながらも、やっぱり手作りが「幸せ」であるというのが社会通念なのだと思い込んでいた私は、冷凍食品多めのお弁当に「不満とかないのかな」とか思ってしまいました。

お弁当をぼーっとみていると、目の前に座っていた子が私に「星のポテト」の話をしてくれました。今日のお弁当には、大好物の「星のポテト」が入っていると。
星のポテトも冷凍食品のようでした。

いただきますをしたその子は、ポテトを食べて、それから、満面の笑みで「しあわせ〜!」と頬に手をあてたんです。

そうだった。この子の幸せを決めるのって、この子だ。

「美味しかったんだ!良かったね〜!」「お星様かわいいね」と言葉をかけるべきところで、私は完全に固まって、美味しそうにもぐもぐと食べる様子を見続けていました。
その子は私に目もくれず、夢中でお弁当を食べ続けていました。


他人の幸せは他人が決める。私の幸せは…私の幸せって誰が決めるんだっけ?ていうか、私にとっての幸せってなんだっけ?


6年しかまだこの世を生きていない小学生がしっかりと握っている大切なものを、私はいつのまにか、どこかに置いてきてしまったみたいです。

勝手に他人の幸せを決めつけて、押し付けて、自分が正しい気になるなんて、それこそが不幸せで、悲しい事なんじゃないか?

他人への想像力を持った人間でありたいです。

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