1/9 サイキッカーになりたい話

テレパシーでも使ってんのか?
とたまに勘違いするくらい脳内で自分自身との会話が増えた。
集中しているときは特に頭の中で自分と会話している。
「これ、なんでこんな読みにくいん?」
「フォントが合ってないからとちゃう?」
「鼻くそが詰まって息がしにくい」
「ほじったらええやん」

本当に独り言をブツブツ口に出して言っていないか心配になるけど
周りのみんなは結構無反応なので大丈夫ってことなんだと思う。

なんだか、最近書きたいことがなくなってきた。
普段の日記でも言いたいことは特にないけど、
適当に言葉を吐き出していたら軽く1,000文字を超える量がかける時もある。
内容が面白いか面白くないかは別としてだ。


『散文調の文章』というワードのカッコよさに惹かれて憧れている。
散文調の文章を書いてみたい。

そのためには。
散文調の詩とかを読んでみたらいいのか?
いやでも詩と日記とでは書きたいものの分野が違う。
難しい。
散文調の日記なんて読んだことがない。

エッセイを読むのが好きだ。
エッセイはオードリー若林の本2冊と、ハライチ岩井の1冊。
他にも東海林さだおのエッセイはたくさん読んだ。

どれも視点が面白くて、著者の体験や感想は特に物珍しいものではないんだけれど
ものの見方によって独特の意見だったりが書かれていて面白い。

そんな日記にしたい。散文はどこ行った。

僕の物の見方は面白いのだろうか。
「自分はおもしろい感性を持っている」
と思っている人はあんまりいないと思う。
自分の感性なんて客観的に見れることは難しいからだ。

何年か後に自分の文集とかを読んでみて「面白い!」
となることはあるかもしれない。

この日記もそうなったらいいなと思って書いている。
でも、書いた直後から面白い物が書けたなと思うような文章を書きたい。

それも勉強内容に追加してみようと思う。
そう思ってある本を買った。

田中泰延さんの
『読みたいことを、書けばいい。』
という本だ。

読了後もしかしたら僕の日記がとてつもなく面白くなっているかもしれない。
インプットするって結構楽しいことですね。

サポートしてくれる物好きにはいつかハイボールを一杯奢ります。