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猫との出会い方

猫と出会いたいと考えたとき、まっさきに想起したのは、家を探している猫の里親になるという選択肢です。
近隣の保護猫カフェや譲渡会の情報を検索して、TwitterやInstagramのアカウントをフォロー。里親募集サイトの猫の写真を拝見しています。

で、そこから先には、まだ進めないでいます。
理由は、どうやって猫と出会えばいいのか、その方法が腹落ちしていないからです。

いろんなところで、たくさんの猫が「ずっとの家」を求めています。
どの猫もみんなかわいくてかわいくて、うちがあらゆる要素で余裕のある家ならば、どの猫にも「うちでよければ、うちにおいでよ」と声をかけたい。
でも現実には、「うちにおいでよ」と言えるのはごくごくごくごくほんのわずかの命です。私は、どの子に声をかけさせてもらうのかを決めないといけない。どうやって?

何回か行ったことがある保護猫カフェ。たとえばそこから猫を1匹連れていくとする。
以前に駅のターミナルで見かけた、保護団体の方々による猫の里親募集活動。たとえばあの場で、並んだケージのなかから1匹の猫を連れて帰るとする。
そのとき、私の背中にいるたくさんの猫の幸せと、私の手のなかにいる1匹の猫の幸せを、どう考えたらいいのだろう。
そこで思考停止してしまいます。

岸政彦さんがWebで連載なさっている「にがにが日記―人生はにがいのだ。―」のある日の日記に、「道で捨てられた子猫と目があってしまうという、どうしようもなくどうしようもない出会い」という記述がありました。

猫と目があって、その子を幸せにできるのかという現実的な計算や理論武装、私が考えをこねくりまわしている「私でいいのか」という逡巡を瞬時に行い、あるいはすっとばして、「おいで」と迎えるその強さ。出会ったことがすべてで、ほんとどうしようもないのだろうと思います。「思います」としているのは、猫と目があうその瞬間自体を、私は経験していないからです。

でも、「どうしようもなくどうしようもない出会い」をした猫たちがどれだけ愛情を受けたか、猫を迎えた側がどれだけ幸せな思いをさせてもらったかということは、私は知っています。

私の頭のなかでは、「どうしようもなくどうしようもない出会い」は木の上にいる猫に手の平を向けて「ここにおりておいで」と言っている感じ、空からふってくるシータを両手で受け止めるパズーです。
そんな勇敢なパズーたちは偶然そうなったわけではなく、強さがある人が猫に選ばれて、なるべくしてパズーになったのではなかろうか。
かたや、私がそういう出会いに直面していないのは、猫に選ばれる資格を満たしていないからなのではなかろうか。

甚だ非科学的ではあるけれども、いろんな猫を拾ってきた妹を見ていると、そのように思うことがあるのです。そんな私が、万が一にも猫にとって必要・必然じゃない出会いをして猫に不幸な思いをさせてしまったらと思うと、こわくてたまらないのです。

けれども、そうして立ち止まっていても、1匹どころかどの猫をも幸せにできず、私はさびしいだけです。なので、自分でちゃんと腹の落としどころをみつけて、能動的に出会いを探すための行動をしよう。それから、もし帰るところがほしいと思う猫がいてうちがそれになれるならば、天然のパズーではないかもしれないけど、それに近づくべく努力しよう。今はそう思っています。

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