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グラデーション。


わたしはよく、ビデオ日記みたいなものを撮る。
なんとなく書く気分でもない、今考えていることをまとまってないまま、喋りながら残したい。
そんな気分の時がある。

わたしは小さい頃からメモ魔だった。夜寝る前に何か思いつくと自分の勉強机まで走ってメモを残してからじゃないと眠りにつけなかった。あれはなんだったんやろう。

大学生の時に初めて、PCが必要になり買ってもらった。
そこから何か行き詰まったり悩みがあると、時々カメラをオンにして自分の思いの丈を喋るというクセがついた。
今でもそれが続いている感じ。
自分の今感じていることを見過ごすことができない性格なのかもしれない。

たまに昔のそれらを見返しては、こんなこと言ってるわ、とか同じことでまだ悩んでるよ、とか思う。

その日のわたしは喋りながら泣いていた。
正直、なんてことない日の自分が見たら、どうしたどうした、と思う。
なんでそんな泣いてるんや、偉くドラマティックやん、とか。

しかし見続けていたら、わたしこいつのために頑張ろう!って気になってきた。
生きるの下手すぎるけど、毎日頑張ってサバイブしてるこいつのために、やれることやろう、って気になってくる。

自分が自分の味方で居る時ほど、心強い時はない。
今までで学んだことの一つ。

愛想が良くて、気配りができて、明るいニコニコ人間で居ることを周りに求められていると長らく信じてきた。
ただそれを信じていたってだけで、実際には上手くいってない。
めっちゃイライラして語気が強まる日もあるし、悔しくて涙ちょちょぎれの日もある。

ただそれを求められている、という前提があるせいで、そのイライラとか涙に対して情けないとか申し訳ない、とかが乗っかっていた。
そうすると、自分を責めることがすごく簡単になる。

気がついたら、怒る、泣く、いわゆるネガティブに分類される感情をものすごく悪いものとして取り扱うようになっていた。
怒ったり、泣いたりする自分を責めるようになっていた。

いや!!!!怒るし、泣きますよねえ!!!!
最近パカーンと何かが開いた感じにそう思った。
良いとか悪いとかねえよ、って。

泣いて腹を立てて、爆笑して、そういう喜怒哀楽が人間を面白くしてる。
お笑いとか、ドラマとか、ラジオとか、自分が好きな人たちは感情豊かだ。
そういうのを見て聞いてわたしは笑ってたし。

ポジティブかネガティブか、クールかクールじゃないか、
そうやって二者択一にするのはあまりにも分かりやすい。あまりにも安易だ。

もっと曖昧なグラデーションの部分があって、感情があって、
そういうのを味わいたい。楽しみたい。

すぐ解決できない問題はすぐ解決しなくていい。
ずっと解決しないかも。でもそこにあるグラデーションを味わう。

書きたいことを書き切ったら、何も浮かばなくなったので、失礼致します。
また来週。

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