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何者かにならなきゃいけない人と何者かになりたい人

ヒグチアイとリーガルリリーのライブ、最高だった。(1個前のnoteの続き)

リーガルリリーのボーカルのほのかちゃん(可愛かった)がMCで
高校生の時にヒグチアイのライブに行ったという話をしていて
高校で見に行ってた歌手と将来対バンするって、しかもその場所は
大箱の川崎CLUB CITTA'。凄い事だなぁなんて思って勝手にしみじみした。
その後ヒグチアイがMCで「ほのかちゃんがライブに来て色々話してくれた時に『自分が何者かにならなきゃ』と思って凄い恥ずかしい事言ってたらどうしようと思った」というような事を話しててちょっと笑いながら、後になって色々考えさせられる言葉だなと思った。ヒグチアイという人はとても生々しくて本当に好きだな、なんて思った。

最後、ヒグチアイとほのかちゃんがコラボするとなってMCをしていて、
ヒグチアイが「音楽やめたいなと思った事ある?」と聞いたら
ほのかちゃんは即答で「ない」と答えた。「始めた、という感覚がないから終わるという感覚がない。まだはじまってもないのかも?」というような事を言ってこれもめちゃめちゃ沁みた。肝座ってるなぁなんて思ったりした。

2人が歌う くるりの「ばらの花」のカバーがとてもとても良かった。
音源化して欲しい。お願い。
(リーガルリリーがカバーしてるは見つけました。嬉し。)


翌日に浴槽で聞いたオーバーザサン(ハマりすぎ)で
パーソナリティーの元TBSアナウンサー「堀井美香」さんが
自分と会って泣いて下さる人がいたという話をしていて、
私と会って泣くのは絶対違うと言った堀井さんに対して
もう1人のパーソナリティー「ジェーン・スー」さんが
「そんな事は私達が言うことではない。私だってマドンナと会ったら泣いちゃう。」「でもマドンナはそんな事山ほど経験してると思うけど、よく背負えてるよね。」なんて話をしていた。

何者かを決めるのは自分よりも周りなのかもしれくて、
それに自分がどう向き合うか、みたいな話なのかもなぁ
なんて思い知らされる2つの出来事だった。

自分が何者でもないと思いつつ、誰かの為に何者かになると決める人と、
自分が何者かになりたいと、主人公でありたいと思う人がいるんだと思う。

若い頃の自分は後者だったんだろうなと思い返す。

ちょっと前「自分は何者にもなれなかった」というようなnoteを書いた。

自分が後者の気持ちを持っていたからこそこういう思考があるんだろうな。

noteを書いたあと、26歳年下の方から連絡をもらった。
「あんま僕が素敵だなーって好きなとらさんの人生を卑下しないでください!」なんて言ってもらって嬉し恥ずかしな気分だった。

そう思ってくれる人もいるという事はちゃんと受け止めないとなぁなんて思ったりできた。ありがとうね。

最近、昔からの友達が明らかに大きなプロジェクトを達成したみたいな事を見る機会が増えた。自分が知らない世界の事なのにそれがわかるくらい大きな事をやってるって、本当に凄い事だと思う。努力の賜物なんだろうなぁ。

そして、自分を客観視するとずっと好きだと言ってた街でバーを経営して
たまに好きな歌手を呼んでライブやってもらったり、自分の写真を展示して
たまに写真の仕事が入って、カメラマンという肩書きも残せているのかな
なんて思うと、それはそれで充実してるんだななんて思う。客観的に。
満ち足りてないと思うのは自分の問題なんだと思う。

「好きな事だけ仕事にできていいよね」なんて言ってもらえるのも有り難いし、それでも同業者とは、好きな事仕事にするって色々大変だよねぇなんて愚痴ったりする事が有り難かったりする。

隣の芝生は青く見える、なんてよく言ったものだ。

そういえば「とらんぽりん来たかったけど敷居が高くて来れなかった」
というような事をたまに言われるけど、これの上手い返しがいつも思い付かない。何が正解ですかねぇ?

こんな事を書いてしまう自分はたいがい面倒くさい人間だとも思う。
そんな自分と付き合っていきましょうね、これからも。

最後になりますが、前回の「自分の好きなものを布教する事」でこれは逆効果だなという事は人と話して気づきました。「相手がまだ興味をもってない状態で自分の好きなものを熱量高く勧める」です。気をつけます。

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