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自分なんかが

「自分なんかが」という言葉は
謙遜にも使えるし、言い訳にも使えるみたいな話。

去年はとても自己肯定感が下がってしまったなぁと思った年だった。

たとえば誰かのライブや芝居に行こうと思っても、
予約制だったり席に限りがあったりすると
自分なんかが1席埋めるくらいなら、他の人に行ってもらったほうがいいかなんて思ってしまって、結局行かずにチケット完売を見て、良かったなんて思ったり。

混み合った店でご飯をして、入り口で席が待ってる人がいるとなるべく早く出なきゃとご飯を急いで食べたり(これはいいことなのかもしれないけど)

誰かが苦しそうなことを発信している時に、何か行動しなきゃと思いつつ
自分なんかが声かけてもなぁなんて思って何もできないでいたりする。

「良かったら感想ください」なんて言ってくれてる人にも自分なんかが言っても別に何の影響もないよななんて口を紡いでします。
書いてて思ったけど、影響与えたいと思ってるのか自分は?傲慢だなぁ。困る。

元々こういう考え方じゃなかったはずなのにどうしちゃったんだろう自分は
なんて思って、人生ではじめて自分には縁遠いと思っていた心療内科に行った方がいいのかななんて思ったりもした。
これは必要だったらこの先行くかもしれない。
心も風邪ひくしね。

こんな思考になってより中島みゆきさんが沁みます。

ひとりでも私は生きられるけど
でもだれかとならば人生ははるかに違う
強気で強気で生きてる人ほど
些細な寂しさでつまずくものよ
誕生/中島みゆき

思えば昔に比べて、自信というものが年々なくなっていってしまったのだろうか。それか、自分は強い!と暗示をかけていただけなんだろうか。
自分のことは、やっぱり自分でもわからなかったりする。

そんな中で、自分がお店をはじめてこないだで9年経った。
新宿2丁目で2年。半年空いて高円寺で6年半。

2丁目でやってた2年はそれはもう負けちゃいけない!なんて気を張って
過ごしていたなんて、いまだに思うし、それが強さだったのかなぁなんて
思い返したりもする。それもあってか、気分の浮き沈みもそりゃあもう凄いものだった。ていうかあの頃の方が病んでたか。書いてて思い出した。
文章にするって大事。

40歳になって、自分が何者にもなれなかったと実感することが増えたなんて
思ったりもする。はじめたイベントも今年で15年経つ。最初のころは武道館でやりたいなんて大きなことを言ったりもして、それを無理、とは言いたくないけど、そんな目標が自分の中でなくなった事にがっかりしたりもする。

こんなことを書いているけど病んでるとかではなく、自分の気持ちを整理するのにやっぱり文章をかける場所があるのは有難い。

何者にもなれなかったと書いた、けども、自分がやらなきゃいけないことは見えてきた。去年は店を続けられるかとても悩んだ年でもあった。赤字の月も多かったし、なかなか年数を数えてもお客さんが来ない日は心がぐったりもするし、そもそも向いてるか?なんて思ったりもする。

そんな中で、いつか店に行くのが目標だとメッセージをくれる中学生や
店で働いてみたいんです。なんて言ってくれる人や、
足繁くきてくれてなんでもない話や好きな歌手の話
もうすぐ歳をとる不安、親がこの先ボケたらなんて、
いろんな話をしてくれたり、こちらも話したり、
何者にもなれなかったからこそできることもあるんだなと思う。

何者にもなれなくても、自分は自分だと気づけるのか。なんて思う。

自分の人生に、なれなさい。
ぼくんち/西原理恵子
(20年くらい前に読んだ漫画のこの台詞がいまだに突き刺さるくらい人って変わらないなと思う)

2023年になりました。
今年もよろしくお願いします。
2023年初noteもこんな感じになりました。また色々うじうじするでしょう。
その分なにかしらを伝えていけるようでいたいとも思います。

今年の目標は 脱「自分なんか」ってことで。

「色々拝見できるのを楽しみにしてます」なんて可愛い子に言ってもらって
とても舞いあがっちゃう私ですが、その辺も含めてよろしくお願いします🐇

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