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公務員の私が子どもの居場所から教えられたこと

学習支援の活動をしている
「エンむすびの会」の平島です。
本業は旭川市役所で公務員をやっています。

生活保護の担当になったときに
保護世帯の子どもたちの記録を読んだり
実際に会ったりしているうちに
こども達のために
なにかできることはないかと思い、
エンむすびの会を始めてから
もう8年目に入りました。

活動は毎週火曜日
午後6時から午後9時まで
買物公園と7条緑道が交差する
場所でやっています。
午後7時位に、
おむすびとお味噌汁をみんなで食べます。
最近は、勉強しない子が多いし
教える機会はほとんどないので
学習支援というより、
こども食堂という方が
しっくり来るかもしれません。

こども達と一緒に過ごすことで
いろんなことを経験し、学んだので
活動を始めた頃に考えていたことと
今、考えていることはだいぶ違います。
いろんなことを学ばせてもらっているのですが
その中で気付いた
「役所が苦手なこと」を5つ
並べてみたいと思います。

1「不公平な支援」


役所は公平、公正、平等が建前です。
でも平等な支援では公平ではないことが
世の中にはたくさんあります。
状態がだいぶ悪い子と少し悪い子、
そして何も問題がない子がいたとします。
この三人に平等な支援を行い
少し悪い子にはちょうどよかったとしたら
だいぶ状態の悪い子には足りません。
そして問題がない子には不要な支援です。

荀子の言葉にも
「これ斉しきは斉しきに非ず」
というのがありますが、
平等にすれば公平になるってほど
世の中は単純ではありません。
こどもの居場所の活動をやっていると
その子の状態に合わせて
不平等でも不公平でもいいから
必要なことをやらなければならない
ということを教えられました。

2「まるっと包み込む支援」


行政は縦割りです。
それは効率性を追求するためには
仕方ないことだと思います。
責任を明確にし、専門的な立場を得るにも
そうせざるを得ないでしょう。

縦割りに適合するものに対しては
すでに解決方法も確立されており
作業としてこなすシステムが成り立っています。
過去の課題に対しては縦割りで対応可能です。

しかし、現代の課題は縦割りでは対応できません。
縦割りの狭間に存在していたり、
いくつかの縦割りにまたがっていたりします。

例えばことも達を囲む課題は
児童福祉や母子保健や学校教育のうち
どれかに区分し、どれかだけで対応できる
そんな単純なものではありません。
しかし、行政は線を引き、区分して
「それはあちらで相談してください」
という対応をしがちです。

最近は包括とか一体化とか連携とか
縦割りを乗り越えようという言葉がでますが、
本能的に染み付いた縦割りの弊害が
どんな言葉で飾ってもそう簡単に
変わるものではありません。

こどもの居場所の活動は
そうした線引や区分を易易と越え、
まるっと対応しようとしています。
なので、行政区分のどこが担当と言われても
ぜんぜんしっくり来ません。

3「アウトリーチ」


こどもの居場所の活動をやっていると
課題を抱えているこども達と出会います。
でも、同時にこうした場所に来られるのは
課題を抱えているこども達のうち
ほんの一握りであることを実感します。
課題が大きくなればなるほど
人には相談できなくなるし
にぎやかな場所が辛くなるので
活動場所には来られない子がたくさんいます。

それでも、門戸を開き、
「だれでもおいで」という居場所には
意味があると感じています。
実際にここで元気を取り戻し
課題に向き合い、乗り越えている子も
何人も見てきていますので。

一方で行政はやっぱりハードルが高い。
課題を抱えている子やその家庭は
なかなか行政には相談できません。
行政は待つタイプなので、
いつまでもそうした家庭には支援が届きません。
行政がアウトリーチを伸ばし
そうした家庭に接触しようとしても
リーチを伸ばした分、
その家庭は引き下がり、相対距離は縮まらない。

行政と課題を抱えた家庭の間の媒体として
こどもの居場所の存在は大きいと
実感しています。

4「多様性」


行政は画一的に仕組みを広げるのは得意です。
マニュアルをつくり、システムを構築し、
条例や規則を制定し、箱物を建てる。

そうした画一的な支援が有効に機能する
という場面もあります。
むしろそのほうが多いかもしれません。

しかし、こどもの居場所の活動で出会う
課題を抱えたこども場合は、
画一的では対応できません。
ましてニーズが多様なのですから。

学習支援一つとっても
ガリガリ勉強したい子、
勉強のやる気スイッチを探すところの子、
勉強の意味を知りたい子、
勉強なんて興味もないけど人と話をしたい子、
ニーズはばらばらです。
そこにルールを決め、基準を設けると
その子たちは近づきもしないでしょう。

こどもの居場所の活動は本当に多様です。
同じものがありません。
私が行っている学習支援は2つありますが
こども達の表情はまったく違うし
私の教え方も全然違います。

5「継続性」


私の会は8年目に入りました。
最初の頃に来ていた小さな小学生が
素敵な女子高生になり、
高校生だった子が、
最近は子どもを抱えて来てくれます。

役所はそうはいきません。
役所には居ても、異動して別の部署。
人としてはつながっていても、
縦割りの弊害もあり手出しできません。

異動が悪いわけではないですが、
課題を抱えている子どもや家庭が
担当が変わるたびに
自分の状態を説明しなければなりません。

困難な状況にある方が
相談することは大変なことです。
まして自分の触れたくない過去を
知らない人に伝えるのは
本当に辛いことだと思います。
でも、役所は当たり前にそれをやります。
仕方ないことなのですが、
やっぱり役所には向いてないことなのでしょう。

役所の得手、不得手


役所には役所の得手、不得手があります。
だけど、役所は
自己完結的な思考回路が強く
役所は役所だけでなんとかしようとします。
かく言う私もその本能が抜けきれません。
でも、役所だけでは無理です。
そして、これからますます無理になります。

役所の公助だけでカバーできる範囲は
どんどん狭くなり、
住民や企業、社会資源、
そして当事者の方と
縦ではなく横に並んで
一緒に取り組まなければ
社会が成り立たなくなります。

私は役所の人間として、
役所の外で活動したことで、
こうしたことを体感することが出来ました。
この経験を役所にも、社会にも、
還元していきたいと思っています。

そして、こどもの居場所の活動などでも
役所と何かしようとする方は
役所の苦手なこと、ある意味本能的なものを
知っておいていただけると、
過剰に期待したり、相互理解が進まなかったり
そんなすれ違いを少し減らせるかもしれません。

そんな思いもありつらつら書きつづりましたが
長過ぎました。
いつも、「長い」って叱られているのに、、、

#学習支援 #旭川 #エンむすびの会 #公務員
#役所

みんなでつくって食べるおむすび
エンピツとおむすびで「エンむすびの会」
海外からお客さんが来ることも
いろんな人に出会える場所
毎回20合から30合くらい炊く
余ったら欲しい子が持って帰ります
最初に来たときは高校生、今はお母さん
2代に渡るエンむすびっ子

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