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流れる時を愛しい、と思えることは美しい生き方なのかもしれない話

昨日は天気がよかったので少し遠出をした。

七里ヶ浜の高台にある、イタリアンレストランのテラス席で海と江ノ島を眺めながらワインを飲んで、たわいもない話をしていたら、つい長居をしてしまったのだけど

会話が途切れる合間合間に、空を見上げると

日が傾くにつれ陽の光が微かになり、空の青が深さを増して、世界がだんだんと夜の空気感を纏っていくことに気づく。

時間が過ぎていくこと。刻々と変わる世界の様子を、ただ自然と楽しめること。楽しめる自分であること。

それを、とても嬉しく感じた。

ど田舎で育ったこともあって、自然に対する親しみを子供の頃から感じていたけれど、ある時から純粋に自然に身を任せる、という感覚を失っていたような気がする。

それは、わかりやすく言うならきっと「生産性」のような価値観にとらわれてしまったから。

勉強だったり、ピアノのコンクールだったり、仕事だったり、恋愛だったこともあるかもしれない。

何かを生み出すために、何かを感じようとしていた。

何かを感じていても、そこから何かを生み出さなければ、何かを得なければという焦りに何故かどこかで囚われていた。

そこにあるもの、流れる時間そのものを感じる、ということがいつの間にかできなくなっていたと思う。

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ここ数年で、急に心を惹かれるようになったのが、いわゆる「印象派」の芸術、とくに絵画なのだけどそれは

「自然の中に、もうすでに存在する美しさを自分のフィルターを通して伝えよう」という画家たちの想いを、感じられる気がするからだと思う。

何かを産み出そうという「生産」よりは

そこにあるものを、自分自身の中に持っている素材を丁寧に選びとっていくことを通じて、表現していくこと

のように感じた。

例えば媒介でありシャーマンのような。

抗うことはしない。すでにある美しさに、何か無理に付け足すこともしない。

ただ、そこにある美しさを目一杯自分の中に吸い込んで、焼き付けて

その感動を自分の持てるものを使って、丁寧に選び取ってキャンバスに写し描いていく

そんな風に感じたし、それをとても素敵だと思った。

流れる時間を愛おしみ、移り変わる風景や色彩に自分自身を投げ出して。

そこから何かを産み出そうと焦り抗うよりは、その感覚にとことん素直になる。降参して、感じきる。

そういう生き方ができるのなら、それはとても美しいことだ。

そんな風に思った。

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先日印象派展で観た中で特に心に残った絵の紹介を最後に。

クロード・モネの「秋の効果(Autumn effect)、アルジャントゥイユ」

タイトルの通り、秋の空気感が街に、セーヌ河にその時その時間だけの色彩をもたらしてる。モネの目に映し出されていただろう風景にも思いを馳せたくなるな。


読んでいただきありがとうございます。「自分の個性」に気づき表現していける女性が世の中に増えるように、アウトプットをしていきます!