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思い掛けず

会社で評価シートの記入に追われていた。

年に3回はある憂鬱な作業。

自己評価が苦手。
作文も苦手。
自分の評価を語るって何?
上司が読むから、上司に向けて書く。

いくら良い様に書いたところで
上司の主観で評価は決まる。

気に入られているか否か。
そんなもんだ、と思っている。

でも最低限の文章は書かないと評価の仕様もない。
ここ半年の自分の仕事で評価できること...
記憶にない。

捻り出した3行で終わった。

その分、上半期の課題はてんこ盛りに書いた。

「これでいいわ」

メール送信。完了。

で、終わるはずだった。

3行捻り出す空白の時間に思い掛けないことが起きた。

隣で仕事をしている普段は滅多に話さない後輩に自分語りをしていた。
してしまっていた。

「え?この人に話す?」
自分でも予想のだいぶ外だった。

結構スレスレで私の闇を話してた。

私の言動と行動と態度の揺らぎとか矛盾点。

その人は普段から「?」と不思議に思っていたみたいで。

1時間半も一方的に話していたのに、結構ずっと聞き手に回ってくれていて、わたしは話し易くてそれに甘えて話し過ぎたのかもしれない。

話した結果、相手は「話してくれてよかったです。矛盾点がわかって、そういうことだったんだ!ってわかりました。」って言ってくれた。

人ってテレパシーが使えない限りはやはり言葉にして伝えないとわからないよね。

改めて実感した。

それに加えて「私にできることがあったら言ってくださいね。」と。

そんな言葉が返ってくるなんて....
それも予想の外側の外側だった。

プラスの要素で意思疎通ができるとは。
こういう言葉のキャッチボールは今までほとんどなかった。

私は今まで生きてきた中で批判されることが多かったし、一方的に責められたりもした。

だから自分を受け入れる体制というか助けてくれようとする人って滅多にいないから、その言葉に驚いた。

突然過ぎたので「どうしてほしいか」がわからなくて、

「今は思いつかないから気付いた時に言うね」と言っておいた。

その人に全て寄りかかる気はない。

けれど理解者が一人できるっていうのは自分の中では不安のかさが少し減るような気がした。

人間関係を拗らせて、不信になって、破壊して、構築してを繰り返して。

何度も人を遠ざけて、一人の殻に閉じこもり繭になろうとしても

どこかのタイミングで完全なる繭になる前にこじ開けて、破いて、殻を砕いてくれる人が現れたり、自分自身でそうするキッカケをくれる人が現れる。

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