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ゴディバは本物だった。

よく言われること。
本物は違う。本物を見ろ。本物を聴け。本物を味わえ。

最近そういう体験をした。

子どもの頃、ものすごくチョコレートを制限された。

チョコに限らないのだが、我が家は選択肢が「あるようで実はない」家だったのだ。

「お誕生日ケーキ、どれがいい?」と親の決めたケーキ屋さんに連れて行かれる。
デパ地下なのだから、ケーキ屋さんなどいくつもあるにも関わらず。

思い切って普段食べられないチョコのケーキを指す。
「チョコはダメ」
他のを指しても「えぇ?ホントにそれがいいの?」と言われる。
結局、いつもの定番のイチゴのケーキになるのだ。

このようなことはすべての場面で繰り返されたので、「結局選ばせてくれないなら、どれがいいって聞かないで!」と言ったことがある。
それに対する返事はなかった。

もちろん自分が子育てするときは気をつけた。
選択させる気がないなら聞かない。
選択して欲しくないものがあるなら、2択や3択などにする。
フリーで選択させる時もある。

とにかく、両親は子どもにチョコを食べさせようとしなかった。

子どもの頃に制限(あるいは禁止)されたものは、大人になってから反動がくるのが当然の理というもの。

私もそのとおり大人になってからすっかりチョコづいてしまった。

きのこの山やたけのこの里などのチョコ菓子も好き。
アイスやパフェなどのチョコも好き。
甘いパンならチョココロネも好き。
ハイカカオのチョコも好き。
バレンタインには当然のように自分用も買う。

頻繁に食べるわけでもないが、けっこうなチョコ好きになっている。

そんな私だが、いわゆる高級チョコには手を出さない。
一粒数百円もするものの味を覚えたら、きのこやたけのこに戻れなくなるかもしれない。
それはまぁいいとしても、高級チョコを(チョコだけに?)ちょこちょこ買っていたらお金がいくらあっても足りない。

しかし最近、高級チョコをいただいてしまったのだ。

あの、ゴディバである。

小さめの箱にコロコロと入ったチョコは黒光りしてアピールしてくる。
「アタシはゴディバよぉ!」

制限しているわけでもないのにどういうわけかチョコが苦手な息子も、一粒数百円のゴディバにはさすがに興味をそそられたらしい。

全員で厳かに粛々と一粒ずつ口に運んだ。

しばし無言の時がながれる。

口の中の甘い芳香の余韻を楽しんでいると、息子が言った。
「ゴディバ、美味しくね?」

日頃、チョコは好きじゃないと言ってろくに食べない息子ですらも認める、その美味しさよ。

12粒入りの箱だったので、3人の我が家ではひとり4粒食べられる。
今朝、3人で3回目を食べたので、残すのは各人ひとつだけとなった。

息子は今朝も食べ終わってから「ゴディバ、美味しいね」と言った。

私も食べるたびに毎回「この粒、食べて良かった~」としみじみ思う。

正直言って、ゴディバみたいな見た目のチョコはいくらでも売ってるが、段違いだ。
異次元の美味しさである。

本物は、やはり美味しいのであった。


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