水曜日の憂鬱

私は運転が嫌いだ。

というより、臨機応変と即断即決が苦手だ。
ついでに、ビビリで方向音痴ときている。
さらに、法定速度はキッチリ守るタイプである。

つまり、運転適性がない。

自分を信用していないので、初めて行く場所はそもそも行きたくないし、どうしても行かねばならない場合は入念にGoogleストリートビューで確認する。

ありがとう文明。

ペーパードライバー、からの脱出

免許を取ったのはハタチの頃。

以降は、サークルの合宿で買い出しのために短く単純な道を運転したくらいで、完全なるペーパードライバーとして過ごした。

履歴書の資格保有欄をひとつ埋めることと身分証明以外に使い道のなかった運転免許が本来の効力を発揮したのは、実に7年後のことである。

新婚時の住まいは駅から離れた社宅で、不便だからと義実家のお下がりの車を買い取った。せっかくだからと社宅の敷地内だけ運転してみたら、ゴミ集積所に

コッ

とやらかした。

ふだん温厚で平静な夫も、心配と焦りと妻のフォローで大変そうだった。その節は申し訳ない。

その後しばらくして、いろいろあって仕事を辞めた。
1年ほどしたら海外に行かねばならなくなったのも大きい。

残業バリバリの生活から一転して専業主婦になり、いい加減観念してペーパードライバー講習に通うことにした。

5回で5万くらいだったか。最初と最後に当たった教官がやたらチャラついた人で、始めのうちこそ緊張をほぐそうとしてるのだろうと好意的な解釈をしていたが、最終的にただのナンパ野郎で憤慨した苦い記憶がある。

ともあれ、なんとか公道を走れるようにはなった。

週末の外出で、たまに運転を担当するようになったものの、ガッチガチの私vs逆に助手席慣れしてない夫で車内が険悪になることが続いた。

運転できるようになったからと言って、好きになるとは限らない。むしろ嫌悪感は増すばかりだった。

海外生活と車

転機は海外生活。

最初の1年は、暮らすには困らないが、たいへんにのどかな土地だった。住んでる間に起こったのは、強盗事件が1件くらい。銃を使って脅したものだったあたりは、さすがという感じだったが。

そんな土地なので、アパートの周りも車通りは少なく、うっかり左車線に出てしまっても、おっと危ない、とUターンすれば問題ないくらいだった。

車線、家出るところが一番間違えがち。

徒歩圏内にはスーパーくらいしかなかったし、そのスーパーも、いちいちモノがでかいので歩いて持ち帰るのは難しかった。

ゆえに、必然的に移動手段が車になった。
それでも毎回ビクビクはしていたけれど。

なんせ、トラブルがあったとて、日常会話もままならないのに対応できるとは思えない。

それに、近所にフリーウェイが通っていて、ごく普通の脇道に見える場所からするりと乗れてしまうのだ。うっかりGO WESTしそうになったことが何度もある。

現地の免許

海外での運転、国際免許の有効期間は短いので、渡米してわりと早い段階で免許を取りに行かされた。

筆記試験は日本語可。アンチョコ(死語)が出回っているので、そんなに難しくはない。DMVと呼ばれる免許センターのすみっこ、選挙のように1人づつ区切られたコーナーで立って受ける。

実技試験はいきなり公道だった。試験で覚えてるのは、30mくらいずっとバックさせられたことと、右折の時に後方を確認したくても、助手席の教官がかなりの巨体で全然見えなくて途方に暮れたこと。

左ハンドルには意外とすぐ慣れたけど、赤信号を右折する違和感にはなかなか慣れなかった。

それより何より、一番苦労したのはウインカーとワイパーが逆なこと。曲がり角に差し掛かるたびに窓がきれいになった。

見かける風景の違い

あちらの道路には、とにかくいろんなものが落ちていた。一番多いのはタイヤ。破裂したやつ。ほんとによく落ちてる。

あと、車、みんなベッコベコ。日本だと、ちょっと擦っただけでも治すよね。それが、全然。ガムテ貼ってある車も結構いる。

ガムテって。いいのかそれで。いいんだそれで。

2年目に居たところは近所に高級住宅街があったので、ピッカピカのごっつい車がいっぱいあったけど。それはそれでめちゃめちゃ走りづらかったけど。

近所のフリーウェイはせいぜい3車線くらいだったが、大都市につながるハイウェイに入ると5車線とかザラである。しかも、あちらの方々はウィンカーを出さないし、3車線一気に横切る人も結構いる。

そんなゆるさがある一方で、スクールバス停車中は対向車も停止必須だったり、住宅街がスピードバンプだらけだったり、日本より厳しいなと思うところもあった。

スクールバス本体に、停止の標識が付いているのもいい。乗降中は、パカッと翼を広げるように掲げられる。

なんというか、他者の命を奪いかねないことには、良心に訴えるのではなく物理的に対策を講じているイメージ。

落ちたら間違いなく死ぬ崖や坂道でも、柵があることは稀なので(実際に死者が出た直後であっても)、自分のことは徹底的に自己責任。落差がすごい。

帰国、出産、育児と車

そんなこんなで、そこそこ運転には慣れて帰国。

当時妊娠中だったので、出産後に備えて中古のファミリーカーを購入。緊張しながらも、近所のショッピングモールにくらいは気軽に行けるようになっていった。

長女は、どうにもチャイルドシートが嫌なときがあって、1時間でも平気で泣き続けて困り果てたこともある。

が、それも次第に落ち着き、2人ともさして車酔いもすることなく来ている。ありがたい。

車があって良かったなぁと思うのは、休日や深夜に子どもがひどく体調を崩した時、救急に連れて行けること。ギリギリ都内なのに、ギリギリ都内だからか、タクシーが全然捕まらないのだ。

夫は帰りが遅い上にだいたい飲んでいて、こういう時には運転で頼れない。仕方がないので奮起して運転するが、初めて、もしくは滅多に行かない場所に、具合の悪い子どもを心配しながら運転するのは、控えめに言っても地獄だ。よく事故らなかったと毎回自分を褒めまくるようにしている。

三人乗りできなくなった自転車

運転しやすい決まった場所に行くのにやっと抵抗がなくなった頃、長女が小学生になった。体格的に、電動アシスト自転車の前後に子どもたちを乗せる限界が来たのだ。

自転車で行った方が便利な場所も、まだまだ危なっかしい長女の自転車に、マラソンコーチのごとく指示を出しながら出かけるのはしんどい。
雨の日などもってのほかである。

仕方がないので、今まで自転車で行っていた習い事にも車で行くようになった。

それが水曜日。

憂鬱な水曜日

距離はないが、狭くて人通りが多い道・広いが路駐が多い道・狭い駐車場が控えていて、本当に嫌だ。
いつでも、自分が運転を誤って事故る画が浮かぶ。

それでも、長女が楽しそうに行くから嫌とは言えない。

それに、コロナで控え室のソファが撤去されてしまったので、休憩しながらの見学もままならず、次女のためにもお迎え直前まで車で過ごす方が良い。

どう考えても車が適当だ。

でも嫌だ。

でも頑張る。

でも憂鬱だ。

今日も、そんな水曜日。
習い事待ちの、憂鬱な車の中で書いている。






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