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「淀君」と「紫式部」で人生決まった話

前職がSEだ、などと言うと、ちょっと理系的な印象を持たれることがある。

しかし、その実、中身はバリバリの文系だ。

もともとの資質も大いにあろうが、方向性を決定づけたのは「淀君」と「紫式部」である、と言っても過言ではない。

出会いは小5、児童館。

小学生の頃、ごくたまに行く児童館があった。

基本的に、放課後は近所の神社の境内か友達の家で遊んでいた。よって、学校よりさらに遠いその児童館に行っていたのは本当に限られた時期だけだったと思う。

そこには、あまり広くはない図書室があった。
教室の四方を囲む腰高の本棚を埋める本がすべて。
それでも、学校と少し異なるラインナップは興味深く、雰囲気の違いにつられて普段手に取らない本を読んでみたりしていた。

そんな中で手にしたのが、平安時代と安土桃山時代を生きた2人の女性の伝記。

なぜこの2人だったのかと言えば、単純に画が少女漫画的で可愛かったからだ。どちらも、さかぐち直美さんという方がまんがを担当されている。
だから読んだ。きっかけはそれだけ。

だったのだが。

三姉妹の数奇な運命

気づけば結構な歴史好きに育っていた。

といっても、知識はかなり偏っている。
「淀君」を含む浅井三姉妹にやたら詳しくなった後は坂本龍馬にハマり、のちに新選組にハマった。
ちなみに前者は「おーい!竜馬」、後者は「風光る」がきっかけで、とかくマンガの影響が大きい人生。

浅井三姉妹とは

浅井三姉妹というのは、北近江の戦国大名・浅井長政とお市の方の娘たちのことで、茶々(ちゃちゃ)・初(はつ)・江(ごう)の3人を指す。
ちなみに「あさい」ではなく「あざい」。

お市の方は戦国一の美女と名高い、織田信長の妹。なので、姉妹は揃って信長の姪ということになる。それだけでもすごい血筋なのだが、


  • 長女:茶々→のちの淀君、豊臣秀吉の側室で後継・秀頼の母。

  • 次女:初→のちの常高院、小浜藩主・京極高次の正室。

  • 三女:江→江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の正室(継室)で3代将軍・家光の母。


…と、嫁ぎ先や経歴もとんでもない。
戦国時代の終焉にがっつり関わっているどころか、茶々に至っては思いっきり当事者だ。

上と下が目立ちすぎるせいで影が薄い印象の初だって、嫁ぎ先の京極家はもともと浅井家の主君の家柄だし、高次の妹・竜子は秀吉の側室として知られる。
主君筋の竜子と跡継ぎを生んだ茶々との間で、秀吉の正室・ねねに次ぐ側室No.1の地位を争った醍醐の花見のエピソードもあるくらいだ。

醍醐の花見エピで、「では年長者かつ客人でもある私が」と場を収めたのが、賢妻と名高い前田利家室・まつなのもまたたまらないよね(早口)

話を戻すと、関ヶ原の合戦を経てもなお燻り続け、大阪の陣として勃発した豊臣vs徳川、つまりは姉とその息子vs妹の舅の争いに一旦は和議がもたらされたとき、使者として立ったのは他でもない初だったりする。

そんなわけで、この姉妹を理解すれば織田・豊臣・徳川が一気につながり、大変効率も良いと思うんですよ。(鼻息)

知識の有無で物語の深みは変わる

2011年の大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」は三女・江(ごう)の物語だった。めちゃくちゃな演出で鼻白むことも多かったが、結局最後まで観た。

北村有起哉演じる豊臣秀次と、太賀演じる豊臣秀頼が良かったな…(真田丸の秀次=新納慎也と秀頼=中川大志も良かったけど)

そんな「江」の放送中、とても印象に残ることがあった。

水川あさみ演じる初のセリフに、「私も早うお子を作らねば、高次さまとのお子をな」(うろ覚え)というものがあったのだ。
「子を作る」といった直接的な表現と勝気そうな表情とが相まって、いろんな意味での「やる気」がTwitter上でちょっと楽しく話題になった。

でも笑えなかった。
私は、初が生涯子を為せなかったことを知っていた。

別に知らなくたって物語は楽しめるし理解できるし進んでいく。
でも、知っていたら、このシーンがコミカルであればあるほど、切なさや儚さもまた色濃くなる。
それは知っている人だけのお楽しみなのだと、30過ぎていまさら思い知った出来事だった。

華やかな王朝絵巻(と権謀術数)

他方、「紫式部」。
伝記といっても、半分くらいは源氏物語だった。

桐壺の更衣と帝の愛情、藤壺と源氏の淡い恋、美しく高貴な男に見いだされる若紫のシンデレラストーリー。

に、見えたよね、当時は。

知性ゆえの幸不幸

父・為時が和歌の才能を認められて出世したとか、源氏物語がきっかけで時の中宮・彰子の女房に望まれたとか、式部が才能でのし上がる感じは小気味良い。

一方で、是非にと望まれて嫁いだ年上の夫は早々に夜離れ。
その時の侍女のこの!セリフ!!

「おく様は頭がよすぎるんですわ。」
「女は一という字も読めないふりをしたほうが、かわいげがあって幸せになれるというものです。」

「紫式部ーはなやかな源氏絵巻」(学研まんが人物日本史)

思い出してもいま見ても腹立たしい…w
おこがましいことなれど、女のくせにとか言われ続けてた小学生的にもめちゃくちゃイラっとしたのを覚えている。

さらにこの伝記では、式部の賢しさは表裏一体、都合が悪くなれば脅威と見なされ、道長によって宮中を追い出されたことになっている。

不条理。けど、それは強く心に残った。

百人一首から教わった古典の楽しみ

興味は物語そのものから、式部も選出されている百人一首へと移り、これもマンガの百人一首辞典をよく読んでいた。

6年生の時はクラスで百人一首大会がよく催されていたので、この頃に8割くらい覚えていたと思う。
そしてそれは高校・大学でも大いに役立った。

百人一首から学んだのは、ごくごく当たり前の話。
古典や歴史は、結局”ひとの物語”だ、ということだ。

だって、真面目な授業で、権謀術数のみならず、愛だの恋だの浮気だの不貞だのロリコンだのを大っぴらにやるのだ。焦がれ、酔い、移ろい、恨み、憂う。たまに駆け引きをバッサリと。
改めて考えてみると可笑しいよね。

ちなみに、百人一首で好きなのは「恋すてふ」と「しのぶれど」です。
「忍ぶ恋」がテーマの歌合の名勝負2首は、いずれも恋ってそんな感じだよねーー!と現代でも共感できまくりの名歌。

源氏をやりたくて大学に行った

とはいえ、好きなだけでは立ち行かない。
古典が教科として得意になったのは、高2から古典の担当になった先生が、1年の時から担当している生徒ばかりを当てるのが悔しくて勉強したからだ。

結果として、漢詩やら有名な和歌やら作品やらがモリモリ詰め込まれた平安文学の奥深さに感動することになり、いまこそ紫式部に、源氏物語に挑むとき!と沸き立って大学受験に突入。
進路は文学部、それも源氏物語を専攻するところまで決意しての大学進学だった。

思う存分没頭した結果の「宇治十帖」

惹かれたのは、華やかで煌びやかで泥沼な光源氏の物語のはず、だった。

いまだって、夕顔が苦手で空蝉や朧月夜が好きだ。

でも、専門として読み込んでいくなかでたどり着いたのは宇治十帖。
それも全54帖の第53帖「手習」。
なんでこんな地味ところに来ちゃったんだろう…と自分でも散々思ったが、結局のところ、幼いころに読んだ紫式部の物語で感じた、不条理とか女の生きづらさみたいなものが詰まってる気がして抗えなかった。

そういう意味では紫の上も良かったけど、研究してたら心情的に引きずられてしんどかっただろうなぁ…浮舟はむしろ嫌いだったから考察がはかどったところある。

結局、女性を追う物語が好き

自分が女だから、というのは大きい。
でもそれだけじゃない。
歴史の表舞台に立っている男の影で女たちがどう生きたか、その方が当時を生きた人たちを知った気になれるから。

大河ドラマもたまに見るけど、「八重の桜」と「江」は積極的に観た。「おんな城主 直虎」に至っては、どハマりして未だに柴咲コウを「殿」と呼んでしまう。篤姫はタイミングが悪くて観られなかったけど、いつか見返したい。

かくして英才教育が始まってしまった

さて、そんな母に育てられている娘たち。

愛読書は「戦国姫」シリーズである。

読み始めたのはお友達の影響であって、私がそそのかしたわけではけっしてないのだが、母の解説がやけに熱心で詳しいことの影響は否めない。

長女は、織田信長を「濃姫のダンナさんでお市のお兄さん」、徳川家康を「あー、瀬名のダンナさんか」と言う。

そして、引っ越し先の新天地は、土地柄もあって歴史教育にめちゃくちゃ熱心である。

新入学から1ヶ月、次女は橋本左内を「先生」と呼び、百人一首を唱え始めている。

この子達は一体どこに行きつくのか、楽しみで仕方のない母である。


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