新たなる芸術運動

最近、何故だか芸術史に興味がありまして。
特に『芸術運動』と呼ばれる過去に起こったアート・ムーブメントを調べていると、なんだか現在の状況と似ているなあと思うわけです。



1910年代・第一次世界大戦の前後、戦争と言う混迷を極めた社会の中で芸術家達はそれぞれの葛藤や自己矛盾を抱え、新しい世界観を伴った芸術活動を目指して行く。
ダダイスムから始まり、そのあとを追うようにシュルレアリスムが発生。ロシアではロシア革命に影響されてロシア・アバンギャルドが隆盛。

そして、現代。

世界がウイルスの脅威に怯える中、気がつかないうちに芸術運動が働いているように見える。コロナ禍で舞台上演や演奏会、さらには展覧会も中止や延期・縮小が強いられ、芸術は厳しい抑圧を受けた。

今でこそ聞かなくなったが、『芸術なんかより命が大切』なんて言葉を耳にするような時期もあった。
自己表現の方法や場が限られる中、アーティスト達はそれでも自分の人生と向き合うために、生きるために出来ることを模索し続けている。

世界中がそんな風潮の中、自然とコロナを意識した作品や意識せざるを得なくなった作品も数多作られてきただろう。これらを過去の芸術運動になぞらえて、『結束なき芸術運動』と捉えることも可能なのではないかと思う。個々が共同するわけではないが、現状に適合するように、或いは反抗するように作品を生み出しているように思う。

リサーチは少ないが、インターネットを活用したオンラインでの上演システムの構築や今や素人でも始められる3DCGの製作に加え、バーチャルリアリティ(VR)を用いた仮想空間での表現など、以前から活発だったアートの電子化の発達が著しいのも特徴的である。

過去の芸術運動と比較すると明確に違うのは、運動の起点が対政府や対社会等の『思想』を中心とした抑圧への反発現象に対して、対コロナと言う生活の抑圧への反発現象である。起点が異なるとは言えそこから芸術が発露するプロセスは非常に近いものを感じている。



と…まあそんな感覚を抱きながら最近は過ごしておりまして、自分も演劇を作っている身なので、例に漏れずいかにリスクを排した公演をするか、何をもって演劇か、この現状に適した表現方法は何か…など常々考えております。


そんな中、11月と12月に公演をやることに決まりました。




『不要不急でない私たち』と言うオブラートに包む気のない対コロナ丸出しのタイトルなのですが、自分が作・演出した『そして、あくる日もフーガ。』は、上記の考えを一旦集約させた作品となっております。
賛否で言うところの否が多いに類するものかもしれませんが、まだまだ開拓の余地ある『結束なき芸術運動』の一端としてその潮流を感じて頂ければと思います。

ちなみにチラシはメンバーと相談して自分が製作したのですが、前述のダダイスムやロシア・アバンギャルドをそれとなく意識して作った…つもりです。

リスクを負った表現でなく、革新的なアイデアに満ちた豊かな芸術の再生を祈って。

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