連載 鳥になりたかった少年 第五話


『連載 鳥になりたかった少年 第五話』/浅野直人

「それはひどいな」

 自転車の座席の後ろの支柱に固定する三角翼を載せる骨組みを両手で支えながら翼が言った。

「だよね。僕もみんなも先生たちがそんなことするなんてすごくショックだった」

 僕は針金で骨組みと支柱をぐるぐる巻きにして固定する作業をしていた。話しているのは望月さんの家で聞かされた話だ。

「それで、これからどうするの?」

「もうみんなは学校に対する怒りが爆発しそうで、とにかく学校には望月さんの真相を明らかにさせるのと、うめぼしには望月さんに謝らせたいって言っている。でも問題はどうやってそうさせるかなんだけどそれが難しい。普通にやればこっちは小学生だと思って相手にしないだろうし、きっと、また僕らをだまして言いくるめようとするような気がする」

「まあ、そうかもな」

「よし、できた。じゃあ三角翼を取り付けようか」

「了解」

 僕たちは三角翼を持ち上げて骨組みの上に載せた。今度は二人で翼を骨組みに固定するために針金を巻きつける。

「うめぼしや学校に僕たちの要求を飲ませるにはどうしたらいいかな?」

「証拠というか証人は十分に揃っているからそこはいいんだけど、問題は相手が大人だということだよね?」

「そういうこと。きっと力ずくで僕らを抑え込もうとするに違いない」

「じゃあ、こっちも力ずくで行くしかないか」

「力ずくで?」

「そう。一人や数人だったら学校はすぐに抑え込めるかもしれない。でもクラス全員だったら?学校の生徒全員だったら?」

 翼の言葉が僕の中で広がっていく。

「そういうことか。できるだけたくさんの生徒が声を上げれば学校も無視できなくなるってことだよね?」

「そういうこと。あとはそれをどうやるかを考えればいい」

「分かった、やってみるよ。望月レジスタンスの仲間と相談してみる」

「空たちならやれる」

「うん、やるよ僕たち」

 僕たちはハイタッチをすると作業を再開した。しばらく作業を続け僕は最後の一箇所を固定すると額の汗を拭いた。

「よし、できた」

「おーいいじゃん。カッコいい」

 自転車の上に大きな三角翼がついた初号機が完成した。僕らの計算通りならこの三角翼で僕と自転車の重さを持ち上げることができるはずだ。

「よし、じゃあ試験飛行といきますか?」

「がってんだ」

 僕らは二人で河原の土手下の広いスペースに自転車を移動させた。翼が大きくて不安定なので移動はゆっくり慎重に進んだ。テスト飛行前に大事な翼を壊すわけにはいかない。何度も翼の載った自転車の状態を確認しながら慎重に移動し、僕たちは目的の場所にたどり着いた。二人はTシャツの袖で額の汗をぬぐい、大きく息を吸って吐き出した。スタート地点に立つと心臓の鼓動が早くなるのが分かった。空は曇りだけど気温は三十度を超えている。向かい風で時々髪の毛を揺らす風が吹く。

 僕たちは顔を見合わせて頷くと僕は自転車にまたがった。翼は後ろで自転車を支えている。僕はハンドルにかけていたヘルメットをかぶった。

「準備はいい?」

「オッケー」

「よし。じゃあ五秒前から。空の合図でカントダウンを始める」

「オッケー」

 僕は正面を見て深呼吸をした。一回、二回、三回。よし。

「行きます」

「了解。スタートまで五秒前、四、三、二、一、スタート」

 翼の合図で僕は自転車を漕ぎ出した。自転車はまっすぐ進んでいる。バサッという音がして翼が風を掴んだのが分かる。僕はペダルを踏み込む足に力を入れる。速度が早くなりペダルが軽くなる。ギアを上げる。スピードが上がる。まだいける。もう一段ギアを上げた。まだ飛ばない。よしここからが勝負、スピードマックス。心の中で叫んだ。僕はギアを最速に入れ渾身の力でペダルを回した。一瞬、前輪が浮いた気がした。しかしすぐに落ちた。くそー、だめか。僕は最後の力を絞り出すようにペダルを踏み込む。あー、上がらない。「飛べー」、そう叫んだ時だった。顔に風が当たったと思った瞬間に体がふわりと持ち上がった。おー、浮いてる。どれぐらい浮いているのかは分からない。でも確かに体が空中に浮き上がっているのを感じた。よっしゃー飛んでる。僕は空を飛んでいる。おーーー。

 その時バキっという音がして自転車が急に地面に落ちた。さっきまで上に見えていた翼が見えなくなっていた。後ろからズズズーと何かを引きづっている音がする。僕は異変に対応するためにブレーキをかけた。速度を失った自転車はさっきとは別の乗り物のようにぐらついた。そしてふらつきながらもなんとか自転車を止めた。すぐに後ろを振り返ると三角翼がひっくり返っているのが見えた。翼の固定部が折れたのだ。

「空ー、大丈夫か?」

 翼が走って追いかけてきた。

「うん。僕は大丈夫。でも翼がもげた」

 翼は僕のところに来ると満面の笑みを浮かべた。

「空、成功だよ。短かったけど飛んでた。空が空を飛んでた」

 僕は翼の言い方がおかしくて笑い出すと翼も笑い出した。そして二人はその場でぴょんぴょん飛び跳ねながらハイタッチを繰り返した。僕は嬉しくて仕方がなかった。僕は初めて自分の力で空を飛んだのだ。短い時間だったけど確実に空への一歩を踏み出した。

 はしゃいだあとの僕らは一転して脱力し、草むらに座り込んでいた。気がつくとトビが空を舞っていた。僕たちは黙ったままトビが空を舞う姿を見ていた。

「なあ、空は最近変わったよな」

「そうかな?自分では分からないけど」

「いや、空は強くなったと思う。きっとレジスタンスのことで強くならなきゃやっていられなかったんだと思う」

「確かにそうかもね。でも、そうだとしたら翼や望月さんが僕に勇気と力をくれたんだと思う」

「よく分からないけど俺、人間ってバランスだと思うんだよね。何かを得たとしたら知らない間に何かをなくしているのかもしれない」

「じゃあ、僕も何かを無くしているのかな?」

「今は分からない。でももう少し大人になったら、それが分かる時が来るのかもしれない」

「うん、そうかもね」

 僕は翼の言葉の意味を頭の中で考えていた。でも、それは暗闇の中にあるものを手探りで探すかのように、そこに存在することが分かっても、それがなんなのかは分からなかった。でも、今日の僕はそんな事より僕が初めて空を飛んだことが僕の真実であると感じていた。僕はきっとこの先も何かを得たり失いながら空を目指すのだと思った。鳥になるという夢さえ持ち続ければ僕は生きていけると思った。


 土曜日の午前中、学校に近い児童公園には二十六人のクラスメイトが集まっていた。うめぼしと学校に望月レジスタンスの独立宣言の要求を受け入れさせるための計画を話し合う集会だ。クラスでは望月さんの家での話が広まり、クラスのみんなの中で学校のやり方に対する怒りの声が上がっていた。そして、その怒りはみんなの心を独立宣言の要求の実現を目指すという団結に一気に向けさせた。

 残念ながら男女グループの頭の石井と篠崎さんの姿はないけど、望月さんの家で直接お父さんの話を聞いた大野や堀田さんははりきって参加している。それだけ二人は学校のやり方に強い怒りを感じていたようで、クラスの団結の機運をより高めたのはこの二人の沸騰しやすい性格のお陰かもしれない。

 集合時間を少し過ぎたところで僕が「望月レジスタンス独立宣言集会を開会します」と宣言するとみんなが拍手をした。それから僕は望月さんの家で聞いたお父さんの話をもう一度みんなに話し、この戦いがなんのために行われるのかをみんなの胸に思い起こさせた。そして戦術としてできるだけ多くの生徒に、嘘をつき人を騙す学校のやり方を知ってもらい、圧倒的な人数の生徒の支持を持って学校に独立宣言の要求を迫ることを提案した。これは翼からもらったアドバイス通りの戦略だ。みんなは僕の提案に頷いた。

「じゃあ、後は具体的な行動をどうするか。意見のある人?」

「これまでクラスだけでやってきたと同じように、他のクラスや学年にも望月レジスタンスの活動の話をして広めるのがいいと思います」、「あの独立宣言のチラシをたくさん作ろう」、「前にクラスが一緒だった子や他のクラスの友達にチラシを配る」、「朝の会の前に他のクラスに行ってチラシを配って話をする」

 様々なアイディアが出てみんながそれに賛成した。

「よし、じゃあひとまず望月レジスタンスが目指す独立宣言を広める活動を他のクラスまで広げていくことにしよう。それともう一つ僕たちは学校に対して僕たちの要求を突きつける機会が必要だと思います」

「署名を集めて職員室に持っていくとか?」

「それも一つのアイディアだけど、もっと僕たちの思いを直接ぶつけるようなのがいいかも」

 みんなが頭を傾げ考えを巡らせた。

「校内放送をジャックするとか?」

 この発言にウグイス野村(のむら)さんの大きさ瞳がさらに大きくなったように見えた。ウグイス野村さんは放送部副部長であり、校内放送をジャックするとなるとウグイス野村を期待する声が上がるのは間違いない。僕はその校内放送の声の美しさからマイク野村と呼んでいたのだけど高校野球のテレビを見ていた時、選手の名前を呼びあげるのがウグイス嬢だという話を聞きそれからウグイスに呼び名を変えた。僕は空を飛びたい鳥類だけど野村さんは美しい声をだす鳥類で僕らは親類のようなものかもしれない。

「いや、もっとみんなの目の前で行動を起こした方がインパクトあるよ」

 塚っちが言った。さすが漫画家だ。塚っちは人の心を動かすツボを知っている。

「生徒がたくさん集まるって言ったら・・・」

「終業式。一学期の終業式をジャックする?」

 大野のこの意見にみんなの表情が固くなるのが分かった。さすがに終業式をジャックするとなるとかなりの大ごとだ。

「いいじゃん。やろうよ。終業式に望月レジスタンスは正式に独立を宣言する」

 堀田さんがいつもの勢いで言い切った。女の子とは思えない肝の座りようだ。しかし、堀田さんから放たれた言葉はみんなの心の奥の大切なところに見事にささり勇気を与えたようだ。

「やろう」「賛成」「みんなで戦おうぜ」

 次々に声が上がり終業式のジャックはもはやみんなの心の中に望月レジスタンスの正式な独立宣言の場所であるのだと刻み込まれた。みんなの顔には高揚した気持ちがあふれ出るような表情が浮かんでいた。この興奮状態のみんなの中にいた僕はあることに気がついたのだった。それは望月さんが悪口を言われていた時に感じたものに似ていた。それはきっと集団の意思のようなものだ。人は集団でいる時、その集団が冷静さをなくしてある方向に動き始めると、みんながその動きについていこうとするのではないだろうか?まさに今それが目の前で起こっている。今回は僕らが学校に対して戦いを起こそうとしている。でも、それはクラスのみんなが望月さんに嫌がらせしていた時と同じようなことなのではないのだろうか?一瞬、僕は僕たちがやろうとしていることは本当に正しいことなのだろうかという思いが浮かんだ。しかし、僕はここまでみんなを引っ張り出しておいてそんなことは言い出せなかった。もうやるしかないのだ。僕は自分の心の中にある影を封印して前だけを見ることにした。

 この後、僕たちは終業式をジャックする方法を考え計画を作り上げた。計画はこうだ。僕らは普通に体育館で行われる終業式に参加する。そして終業式が終わった直後にマイクを乗っ取り望月レジスタンスが舞台に上がって独立宣言を行い学校に対する要求を言い渡す。このとき先生たちが演台に近寄れないようにレジスタンスの仲間が演台の周りをガードする。演台に登るのは僕だ。そしてウグイスに最初のアナウンスと放送機器のジャックを頼むと、ウグイス野村さんは緊張した表情でコクリと頷いた。

「みんな、この計画の話は絶対に秘密にしてください。他のクラスの生徒を仲間に誘ってもこの計画だけは言わないように。この計画は僕たちのクラスだけで実行します。そして僕たちが行動を起こした時に学校のみんなが僕たちについてきてくれることを期待しましょう」

「了解」

 みんなの声が重なった。

 計画の細かいところは残りの一週間で詰めることにして僕らは集会を終え解散した。終業式をジャックする。全校生徒の目の前で望月レジスタンスは独立を宣言し、その要求を学校に突きつける。考えただけでも身震いがする。しかし、その震えがこの計画が成功した時にもたらされる結果の大きさを証明しているような気がした。僕たちはすでに立ち上がっていた。もう何事もなかったかのように元の場所に戻ることはできない。


 その日、青い空はどこまでも高く朝から気温が上がり僕たちは今、確かに夏という季節にいた。僕は久しぶりに学校に行く準備をし、高ぶる気持ちを抑えるように大きく息を吸って吐き出すと、勢いよく家のドアから外に出た。

 教室に入るとほとんど全員のクラスメイトが僕と目を合わせ小さく頷いた。みんなの体からは隠すことのできない熱気が溢れ、教室がその熱で充満しているように感じた。いよいよだ。今日は各クラスでホームルームがあり、その後、体育館で終業式が行われて夏休みに突入する。そこで僕らは独立を宣言する。僕たちはこの一週間、他のクラスや学年の生徒たちに学校が嘘をついて生徒や親をだましていることをチラシを配りながら説明し、望月レジスタンスがそんな学校と戦おうとしていることを広めた。そして望月さんに対して行われたうめぼしや生徒の嫌がらせをまとめ、さらに望月さんの両親に対する学校の嘘を紙に書き起こしたものを証拠の資料として作り上げた。僕たちは同時に終業式ジャックに向けてその方法や役割分担を決め準備を整えた。その計画の実行が目の前に迫っている。

 始業のチャイムが鳴り、うめぼしが教室に入ってきた。うめぼしはいつも空いている僕の席が埋まっているのに気づき、ちらっと僕の方を見たけど全く気に留めないようにホームルームを進めさせた。ホームルームではうめぼしが夏休み中の予定、注意事項などを延々と説明している。僕の知っている教室はいつももっとざわつきがあったはずだけど、今日はうめぼしの声だけが教室の中に響いていた。きっと、みんなはこれから起こることに気が気ではないのだ。やがてホームルームが終わるとうめぼしが教室を出て行った。すると今までの静粛が嘘のように急にざわめきが教室を支配した。みんなは口々に緊張するとか気合いの言葉を言い合っていた。そして、とうとうその時が来た。

「体育館で終業式を行います。全校生徒の皆さんは体育館に集まってください」

 ウグイスの声が教室内に響いた。ウグイスの声が途切れたところで僕は勢いよく立ち上がった。

「よし、みんな行くぞ」

「おー」

 僕たちが教室の出入り口に向かったその時だった。うめぼしが教室に戻って来たのだ。クラスのみんなの顔に緊張が走る。しかし教室に入って来たのはうめぼしだけではなかった。四、五人の先生が後に続いていたのだ。先生たちは教室の前後の出入り口に立ち、僕たちが教室から出られないようにした。何が起こったのか?教室内が騒然とする。

「はい、みんな静かに」

 うめぼしがみんなの声を鎮めるように大きな声で言った。教室内は一瞬で沈黙した。

「このクラスで終業式の後によからぬことをしようとしている人がいます。先生たちはその話を聞いてこのクラスを終業式に参加させないことを決めました。みなさんはこの教室で座って終業式の様子をこのモニターで見てもらいます。いいですね」

 うめぼしの言葉に僕らは衝撃を受けた。秘密が漏れていたのだ。頑張って準備して来た計画が全て台無しになったということだ。クラスの全員が予想外の出来事に頭も体も固まって動くことができないようだった。まずい。このままではうめぼしの思うままだ。なんとかしなければ。僕は立ち上がった。

「話があります」

 うめぼし、そしてクラスの全員が僕を見た。

「もう終業式が始まります。座って黙ってなさい」

「いえ、黙りません」

 うめぼしの顔に怒りの色が湧き上がった。今までうめぼしにたてついた生徒は見たことがない。しかし今、僕はその初めての生徒になる覚悟だ。

「うるさい。黙れ」

 うめぼしがついに声を荒げた。

「岡崎先生、とうとう正体を現しましたね。先生はそうやって生徒を脅してこのクラスを自分の都合のいいように押さえつけようとしてきました。気に入らない生徒がいるときつい言葉で生徒を脅して自分の思い通りの生徒を作ろうとしてきたんです。その先生のやり方がこのクラスの生徒の心に影を作りました。そして、その影は生徒たちの心を少しずつ壊していき、ある生徒に嫌がらせをさせるようになりました。そして、その生徒はその嫌がらせの辛さに耐えられず自分の命を断つ選択をしました。分かりますよね。望月さんの心を壊したのはあなたです」

 うめぼしは僕の方を見たまま固まっていた。

「それだけではありません。学校は僕たちを心のケアと騙して望月さんへの嫌がらせのことを聞き出したのに、その事実を隠して望月さんの両親に学校では望月さんの自殺の原因となるようないじめはなかったと報告しました。それは全くの嘘っぱちです。僕たちはクラスのみんなから岡崎先生がクラスでやっていたことやクラスのみんなが嫌がらせをした事実を聞き取って証拠としてまとめています。僕たちはそんな先生や学校をこのまま放ってはおきません」

「青井、黙れ。これ以上喋ったら教室から放り出すぞ」

 うめぼしがそう吠えた時だった。教室の後ろでガタンと大きな音がした。みんなが後ろを振り返ると暴れん坊グループの頭の石井が立ち上がって教壇に向かって歩いていった。そしてうめぼしの目の前に立ちはだかった。石井・・・。

「岡崎先生、あなたはそれでも教師ですか?教師は生徒たちの個性を認めそれぞれの個性を伸ばしていくのが役目じゃないんですか?生徒たちの未来を応援するのが教師のつとめじゃないんですか?俺も黙りません。俺は何があっても青井を守ります」

 石井の言葉が終わったと同時にクラスの全員が立ち上がり石井の後ろに続き僕の周りにもガードができた。石井が僕の方を見て頷いた。僕は望月レジスタンスの独立宣言の紙を両手に持ち大声で読み上げ始めた。


「望月レジスタンス独立宣言。我々、望月レジスタンスは自由に生きること、そして、その権利を有する・・・」


 僕が全てを読み上げると教室内で拍手が巻き起こった。

「岡崎先生、そして学校は僕たちの要求に対する回答及び行動を二学期の始業式の日までに行うこと。さもなければ僕たちはさらなる行動を起こす。以上」

 僕が宣言を終えた時、教室の中に応援に駆けつけた先生たちがなだれ込んできた。先生たちは半ば力ずくで僕たちを座らせ終業式が終わるまで教室内に監禁した後、数人ずつ教室から出して下校させた。僕は最後まで教室に残され駆けつけた無印教頭が話を聞かせて欲しいと言ったが僕はそれを拒否した。僕を一人にして大人のずるい言い分を押し付ける。そんなやり方はもううんざりだった。


 児童公園にはクラスの全員が集まっていた。誰もそんな約束はしていなかったけどみんなの気持ちは同じだった。僕が最後に児童公園に入るとみんなが僕を迎えてくれた。みんなの顔には笑みがあり今日の計画の失敗を嘆く様子はなかった。そのみんなの顔を見て僕は安心した。確かに今日の僕たちの計画は潰された。でも僕たちは自分たちにできることを精一杯やり遂げた。そして僕たちはもう前を向いているのだという気持ちが嬉しかった。

「どうだった?」

「教頭に話を聞かせて欲しいと言われたけど拒否した」

「正解だな。あんなやつらにまともに話をしても誤魔化そうとするだけだ」

 みんなは賛成の言葉を連ねた。

「それより、石井、ありがとう。助かった」

 突然、僕に話を振られた石井は微妙に頬を上げた。

「いいよ、そんなの。それよりこれからどうするかだろ」

 みんなが頷く。僕は石井があの時立ち上がってくれて本当に助かったし、今ここに石井が来てくれているのがすごく嬉しかった。

「そうだね。前を見よう」

「待って。みんなおかしいと思わない?どうして秘密にしていた計画が先生にバレていたのか」

 突然声をあげたのはお嬢様グループの頭の篠崎さんだった。僕が篠崎さんの声を聞いたのはかなり久しぶりだし、ここにいて自ら発言したのに驚いた。

「篠崎さん・・・」

「私だってクラスの一員なんだけど。発言しちゃまずい?」

 僕が驚く顔を見て篠崎さんが言った。

「大丈夫です。続けてください」

「私はここに集まっているクラスメイトの中に望月レジスタンスの今日の計画を先生に漏らした人がいることを知っています」

「ほんとか、篠崎?」

 みんなから驚きの声が上がった。

「みんなを裏切った人は自ら名乗り出た方がいいんじゃない?これ以上みんなを裏切ったらタダじゃすまないわよ」

 篠崎さんの言葉はこの場所を一瞬にして音のない世界に引き込んだ。そして、みんながみんなの顔を無言で見回した。長い沈黙の後一人の女の子が俯いたまま足を一歩前に踏み出した。

「私です」

 小悪魔、伊藤さんはそう小さな声で言った。

「伊藤、お前ふざけるな」「伊藤、何してるんだよ」「伊藤、みんなに謝れ」

 みんなから伊藤さんに対する怒りの声が一斉に上がった。

「静かしにて」

 篠崎さんの言葉が再び場を静粛に引き戻す。

「伊藤さん、自分の気持ちを正直に言ったら?全部ぶちまけて楽になりなよ」

 伊藤さんは俯いたまま黙っていた。そして伊藤さんの胸が大きく膨らんでしぼむと伊藤さんは顔をあげた。

「私、青井くんが好き」

 僕は目を見開いたまま固まった。みんなも固まったまま動けないようだ。好きという言葉が僕の心に届いた時、僕の心臓は突如として暴れ始めた。

「それはどういう・・・」

「私、青井くんのことが好きなの。それなのに青井くんは放っておけばいいのに望月さんのこと助けて、望月さんが学校に来なくなっても望月さんのことばかり。私はそれが嫌だったの」

「もう一つ言うことがあるでしょ」

 この場は篠崎さんの独壇場だった。

「わ、私・・・、望月さんに女子トイレで水をかけました。ごめんなさい」

 僕は伊藤さんの言葉に愕然とした。僕が好きだと言う理由で他の女の子に嫌がらせをすることがあるのだろうか?僕のすることを邪魔するなんてことがあるのだろうか?僕には全く伊藤さんの行動が理解できなかった。

「そういうことだから。伊藤さんは正直に自分の気持ちを話したから。もうこの話はおしまい。伊藤さんももうみんなを裏切るようなことはしないでしょ?」

「みんな、ごめんなさい。もうこんなことは絶対にしません。ごめんなさい」

 篠崎さんの言葉を聞いて伊藤さんはみんなに謝った。謎だった。やっぱり女の子の世界は謎に満ちている。しかし篠崎さんは伊藤さんの気落ちや行動を完璧に知り尽くしているようだった。そして最後に伊藤さんを悪者にしなかった篠崎さんのやり方を僕は尊敬したし、この人は人の扱い方を誰よりも理解しているのだと思った。そんな篠崎さんのやり方に文句をいう人は誰もいなかった。石井にしても篠崎さんにしてもクラスに影響力を持つグループの頭をしているのにはそれなりの理由があったことが証明されたような気がした。

 この後、僕らは次の計画に向けての話をした。僕らは今日の僕たちの要求に対する学校側の回答や対応に期待をしていなかった。本当なら全校生徒の目の前で学校の嘘を突きつけるはずだったのに、今日はクラスの中だけの出来事として終わってしまったからだ。それに対する学校の対応は今日のやり方を見ても分かるように、僕たちのクラスさえ押さえ込めばなんとかなると考えていることは明らかだ。だから僕たちはもう一度、全校生徒の目の前で独立宣言することで意見がまとまり、夏休み中にその準備をすることになった。話し合いが終わり解散する時、僕はここに集まったクラス全員の顔を見て思わず胸が熱くなった。この場にどうして望月さんはいないのだろう?クラスの全員が初めて一つになったこの場にどうして望月さんが立っていないのだろう?僕は改めて望月さんが安心してこのクラスに戻ってこられるように、新しく生まれ変わったクラスに帰ってこられるようにすることを誓った。




 夏休みに入ったことで僕の自由は広がった。これまで午前中に行われていたお母さんとの勉強も夏休みとなり、僕は自分の好きな時間に宿題をすることが許された。それでも僕は特別な用事がある時以外は午前中に勉強することを自ら選んだ。午前中というのは勉強にとっていい時間だし、それはこれまで午前中に勉強をしてきた僕の習慣がそうさせたのかもしれない。それでも夏休みの初日だけは僕は気が気ではなく全く勉強が手につかなかった。どうしてかというと学校が終業式の事件を親に報告して注意するように言ってくるのではないかと思っていたからだ。僕たちは終業式の話を聞かずに教室でうめぼしたち先生を相手に独立宣言を実行したのだ。大切な学校の行事を無視した僕たちには厳罰がくだってもおかしくない。

 しかし、二日経っても学校からは何も連絡がなかった。僕はその理由をすぐに理解した。きっと学校は自分たちが嘘をついていることが分かってしまうのを恐れて何も言い出せないのだ。生徒たちの親に話をすれば今、学校がやっていることが親の間にも広まってしまうのを恐れているのだ。本当は僕は父さんと母さんに今、僕たちがやっていることを知ってもらいたい気持ちもあったのだけど、僕は二人には心配をかけたくなかったので言わないことに決めていた。僕が父さんと母さんの養子であることを聞かされてから、僕は二人にできるだけ迷惑をかけないようにしようという気持ちが強くなっていたからだ。もし父さんと母さんが僕がそんなことをしていると知ったら、きっと心配して僕を止めるかもしれない。でも僕は望月さんがクラスに戻ってくるまで絶対にこの戦いを止めるわけにはいかないのだ。いつか父さんと母さんは僕がしていることを知る時がくると思う。その時、僕は胸を張って僕は自分たちが考えた正義に誇りを持って戦っていますと言おうと思う。文学少女、彩っぺならもっとカッコいい言葉を考えてくれるかもしれないとふと思った。

 いずれにしても学校はきっと僕たちのクラスをどうやって黙らせるかを考えているのに違いない。僕たちは次の戦いに向けて準備を着実に進めるだけだ。とはいえ今は夏休みだ。僕はこの夏休みも思う存分に楽しむことも忘れるはずはない。

 僕は午前中に宿題をすませると、午後は毎日のように冒険に出かけた。ある時は翼と、またある時はクラスメイトと。望月レジスタンスの活動を始め、終業式の事件をきっかけにクラスのみんなの心は確実に変わったと思う。僕はみんなの気持ちがすごく近づいたように感じていた。だから僕たちは町で偶然会えば言葉を交わすし、お互いに遊びに誘う機会が増えていた。僕はそんなクラスの友達を僕が冒険で見つけたとっておきの遊び場に誘い、みんなも僕をいろいろな遊びに誘ってくれた。でも一人だけ僕は心の中で町で会いたくないと思っている人がいた。それは小悪魔、伊藤さんだ。もちろん僕は伊藤さんがしたことを今さら怒っているわけではない。伊藤さんが今度は僕に直接告白をしてくるのではないかと気が気ではないのだ。伊藤さんはみんなの目の前で僕を好きだと言ったのだから僕一人にもう一度それを言うのは簡単なことのように思えた。僕はそれを恐れていたのだ。僕は今までそんなことを言われたのは伊藤さんが初めてだったし、まだ僕はそんな時どうしたらいいのかが分からない。とにかく僕は伊藤さんにだけは会わないように気をつけていた。そして、また小悪魔の名前の通り伊藤さんの気持ちがこの夏休みで他の誰かに向かうことを密かに期待していた。

 ある日の午後、僕は翼と並んで自転車を走らせていた。今日の目的は新しい釣り場の開拓だ。今日は僕と翼が出会った山の麓の釣り場よりさらに先に行ってみようということになっていた。そして僕たちにはもう一つ大切な任務があった。それは二号機を製作するための三角翼の材料を探すことだ。初号機のテストで僕は少しだけ空を飛ぶことに成功した。しかし、その直後、翼が支柱から折れるという事態になった。それで僕たちは初号機で使った竹よりさらに強い材料を探す必要があった。そして、もう一つの問題は重量だ。あの日、確かに僕は空中に浮かぶことができたのだけどあれは風が吹いたお陰だった。もし風が吹かなければ僕がこぐ自転車のスピードだけでは浮上できなかったのだ。そこで僕たちは自転車に三角翼をつけることを止め、自転車にロープ繋いで三角翼を引っ張るという方法を考えた。これなら持ち上げる重量は僕の体重だけになりスピードも落ちることはない。このアイディアが生まれた時、僕と翼は嬉しさのあまりまた飛び跳ねたのだった。

 僕たちは町の外れを走っていた。遠くまで見渡せる畑には何かの野菜の葉の薄緑が広がっている。その先にある山が大きく見え、山が濃い緑の塊に見える。国道沿いを先に走っていた翼が急に自転車を止めた。

「空、あれ」

 翼が指差した先には畑があった。

「なに?」

「畑の横に積み上がっているやつ」

 僕がもう一度、翼が指差した方をよく見ると、そこには棒状のものが積み上がっているのが見えた。

「行ってみようぜ」

 僕たちは国道を外れ、畑の中のデコボコの道を自転車で走りその場所に向かった。

「これいいじゃん。金属だし絶対に折れないよ」

「うん、これ使えるね。長さもあるし翼の材料にぴったりかも」

「このカーブした形、すごくカッコいい翼になると思わない?」

「僕もそう思ってた」

 僕がそう言うと翼がにっこりと微笑んだ。

「あっ、見てこっちにシートもある。これビニールハウスの骨だよきっと」

「そうだね。ビニールハウスだ」

 そこには金属製のパイプが乱雑に積み上げられていて、その横には大量のビニールのシートが置かれていた。パイプはところどころが錆びついている。

「よし、これを分けてもらえるか聞いてみようぜ」

「うん」

 畑から少し離れた所に一軒だけ家がポツンと立っていた。僕たちはその家にいきチャイムを押して呼んでみたけど家には誰もいないようだった。家の玄関から離れると家の奥に畑があるのが見えた。そこには背の高い緑色の壁がいくつも立っている。

「裏の畑に誰かいるかもしれない。行ってみよう」

 僕がそう言うと翼は頷き二人は奥の畑に向かった。よく見ると緑の壁には赤い実がたくさんついていた。そして、さらに近づくとそれはトマトだった。

「トマト畑だ」

 トマトの緑の壁は奥の方までずっと続いている。僕たちは壁と壁の間の通路を一本ずつ見ていくと奥の方に人がいるのが見えた。

「人がいる。行ってみよう」

 僕たちは「こんにちは」と声をかけながらその人に近づいていった。そこにいたのはおじいちゃんだった。トマトを穫っているようで下に置いてあるカゴにはトマトがたくさん入っていた。僕たちが近づいてもおじいちゃんは反応せず、もう目と鼻の先の距離となったところでもう一度「こんにちは」と大声で言うと、やっとおじいちゃんは僕たちの方を見た。

「こんにちは」

「おーこんにちは。何かな?」

 おじいちゃんは腰を伸ばして手をグーにして腰を叩きながらこっちを見た。それから腰にぶら下げているタオルで顔の汗を拭った。

「あの、向こうの畑においてあるビニールハウスの骨組みなんですけど。あれ何本がもらってもいいですか?」

「あーあれか、構わんよ。ありゃ、台風の時にぶっ飛ばされてめちゃめちゃになったもんでどうにもならん。何かに使うんか?」

「空を飛ぶグライダーの骨組みに使いたいと思っています」

「ほう、空を飛ぶんかね?」

「はい、そうです」

「そりゃ、すごいな」

 そう言うとおじいちゃんは笑顔を見せた。笑顔を作るために顔のシワがいっそう深くなった。そして、おじいちゃんは緑の壁に手を伸ばし、真っ赤なトマトのヘタをハサミでチョキンと切ってこっちに投げた。

「食ってみ」

 僕たちは採りたてのトマトをかじった。口の中にぱあっーと甘みが広がりその後に酸っぱさが追いかけてきた。かじったところからトマトの汁があふれ出す。

「美味しいです。すごく甘い」

「そうか。よかった」

 おじいちゃんが笑顔を見せたので僕たちも笑顔になった。

「あのよかったら僕たちトマトを収穫するのを手伝います。その代わりあのビニールハウスの 骨組みとシートを分けてもらうのはどうですか?」

「ほっか?そりゃ助かるわ。俺はこの通り腰が弱くなってな。重いものを長く持てん。そんなら俺が収穫したトマトのカゴをあの納屋まで運んでくれるか?」

「がってんしょうち」

「江戸っ子だねー」

 僕が漫画で覚えた古そうな言葉で答えるとおじいちゃんはそう言った。僕は意味はわからなかったけどおじいちゃんの言い方が面白くて思わず笑ってしまった。そして僕と翼はいい材料を手に入れられた喜びでさらに笑顔を見せ合った。

 それから僕たちはおじいちゃんが収穫したトマトをせっせと納屋に運んだ。トマトがどっさり入ったカゴは重たくてすぐに汗が流れてきたけど動いている間は全く気にしなかった。途中からはおじいちゃんにトマトの獲り方を習い、おじいちゃんが指差したトマトを僕らが収穫し始めると一気に作業が進んだ。今日、本当は僕たちは新しい釣りのポイントを探す予定だったけど、僕たちはすっかりトマトの収穫作業に夢中になっていた。釣りはいつでもできるし、僕たちには時間がたっぷりある。最初は三角翼の材料をもらうのが目的だったけど、今は二人ともトマトの収穫という仕事が楽しかったし、何か少しだけ大人の世界に混ぜてもらっているような気がして気持ちが盛り上がったのだと思う。作業をしているうちにおじいちゃんと僕たちはすっかり仲良しになり、収穫作業が終わるとおじいちゃんの家で麦茶とお菓子をご馳走になった。

 家には買い物から帰ってきたおばあちゃんがいて、今は二人でトマトや他の野菜を作っていると教えてくれた。忙しい時には近所の畑仲間やおじいちゃんの子供達が手伝いにきてくれるらしい。それでもこの歳になると毎日の畑作業は体にこたえるとおじいちゃんが言っていたし、僕たちは今日の手伝いでそれを実感した。それで僕たちはおじいちゃんをもう少し手伝うことをすぐに決めた。次の日の作業は昨日一度やっていたのでスピードが上がり、おじいちゃんが驚くほど短い時間で作業を終えた。おじいちゃんとおばあちゃんが喜んでくれる姿を見ると僕たちはいくらでも頑張ることができるような気がした。作業が終わると汗だくだったけど、そのあとにおばあちゃんが出してくれる麦茶と冷やしトマトは最高に美味しかった。こうして僕たちは三日間おじいちゃんのトマトの収穫を手伝い、帰りにビニールハウスの骨組みとシートを持ち帰った。最後の日にはトマトをたくさん持たせてくれて、正直持って帰るのが大変だったんだけど帰ってから食べたトマトはやっぱり甘くて美味しかった。

 夏休みに入って一週間ほど経った日に両親宛に学校から手紙が届いた。手紙を読んで心配した母さんが僕にその手紙を見せてくれた。その手紙には僕のクラスで流れている、ある生徒がいじめられていたと言う噂は事実無根で、その話を信用しないようにと書かれていて、学校では小競り合いや喧嘩、ちょっとしたいたずらは毎日のようにあって今回の噂もそんな日常の出来事の一つに過ぎないと、望月さんのお父さんが言っていたと同じことが書かれていた。

 僕は手紙を読んだ瞬間に嘘だと思った。学校はこの手紙をクラスの生徒の親に送りつけて嘘を隠そうとしている。僕は迷ったのだけど父さんと母さんにはこの手紙の裏にある真相で僕が知っていることを全て話した。父さんと母さんはすごく驚いていたけど、もし望月さんのご両親が何か手伝って欲しいことがあったら二人は喜んで手伝うと言ってくれた。僕は学校より僕を信じてくれた父さんと母さんの言葉がすごく嬉しかった。でも僕は望月レジスタンスの活動のことは黙っていた。もし僕が学校と戦おうとしていると知ったら、きっと父さんと母さんは僕を止めるだろう。もちろん親が学校と話し合うのは一つの方法かもしれない。でも僕はこれは僕たちの戦いなのだと思っていた。僕たちが通うクラスや学校は僕たちが自分たちの意見を言って変えなければきっとまた大人が考えたおかしなルールが作られてしまうだけだ。だから僕は父さんと母さんには申し訳ないと思いながらも、僕たちが望月レジスタンスの独立を勝ち取るまでは黙っておくつもりだ。

 手紙が届いた次の日、クラスのみんなは児童公園に集まっていた。まだ夏休みに入って一週間しか経っていないのに中にはすっかり日焼けした子がいたり、夏色のTシャツや短パンといった学校とは違った服装のクラスメイトは学校で見るのとは別人に見えた。そういう僕も畑の作業で日焼けしていて、みんなから見たら別人に見えているのかもしれない。決めていた集合時間になるとクラスのほぼ全員が集まった。みんなは学校からの手紙を読んで怒りの感情を持ってここに集まってきたように見えた。そして僕たちは話し合いを始めてすぐに終業式の僕たちの独立宣言を学校が無視したと判断した。これで僕らが思っていた通り、学校は僕らを押さえ込んで嘘を隠し通そうとしていることが明らかになった。みんなは口々に怒りの言葉を叫んでいたけど、彩っぺが「みんなお願い。こころを助けて」と言ったのをきっかけに、独立宣言の第二計画の話し合いが始まり役割分担をして準備をしていくことになった。

 話し合いで一番盛り上がったのが悪知恵の働く大野が考えた作戦で、その内容はもう一度小悪魔、伊藤さんにスパイ活動をしてもらうということだった。もちろん今度は伊藤さんはこちらの味方だ。つまり伊藤さんは学校に嘘の計画を伝え僕らはその裏をかいて本当の計画を実行する。伊藤さんは名誉を挽回するチャンスを与えられ、張り切って「私、やります」とみんなに宣言した。石井を頭とする暴れん坊グループ、そして篠崎さんを頭とするお嬢様グループは自然にみんなを引っ張る役目をしてくれていた。でも、これまでと違うのは今まで二つのグループと関わることのなかった子たちがその輪の中で一緒に活動したり話をしていたことだった。僕はその様子を見ていて何か心の中に熱いものがこみ上げ、望月レジスタンスをやって本当によかったと思った。

 僕たちは第一計画の内容をベースに第二計画を作り上げた。ただ今回は先生たちに絶対に阻止されないようにすることを第一に考えて計画を練った。そして、この日の最後に僕からのとっておきのサプライズをみんなに公表することにした。

「みんな、聞いてください」

 役割分担ごとに話をしていたみんなが僕の方を見た。

「昨日、僕は望月さんの家に行ってきました。そこでみんなが望月さんのお見舞いに行ってもいいかと聞いたら、望月さんのお母さんがこころはきっと喜んでくれると言って僕たちがお見舞いに行くことを許してくれました」

「青井、本当か?それいいじゃん」

「でも大勢で押しかけるのは病院の迷惑になるので、数人ずつに分けてお見舞いに行きたいと思いますがどうですか?」

「賛成ー」

 みんなが賛成の声を上げた。

「僕は一度だけ望月さんのお見舞いに行ったことがあります。その時、望月さんはとても綺麗な寝顔で静かに寝ていました。もちろん望月さんは僕に何も言ってくれませんでした。でも僕はその時の望月さんの姿を見て絶対に望月さんにクラスに帰ってきて欲しいと思いました。そして、その時までに僕はクラスや学校を変えると約束しました。だから。みんなも望月さんに何か言いたいことがあれば言ってあげてください。そして僕たちはみんな望月さんのことを待っていると伝えてください。よろしくお願いします」

 みんなは僕の話を聞いて無言で頷いていた。僕は望月さんに今のクラスのみんなを見て欲しかった。望月さんがきっかけで変わったクラスのみんなを見て欲しかった。そして、みんなには今の望月さんの姿を見て僕たちのクラスで何が起こっていたのかをもう一度考えて欲しいと思った。そして望月レジスタンスが目指すものがなんであるのかをしっかりと自分の目で見て欲しいと思った。きっと望月さんはみんなにも勇気と力を与えてくれるに違いない。そして僕たちはその望月さんに恩返しをする。

 みんなが解散したあと、僕と塚っちと彩っぺがまず望月さんのお見舞いに行くことになった。僕は二回目だったけど二人は初めてのお見舞いですごく緊張しているようだった。僕たちは白くて大きい病院に入り、入院病棟に向かった。エレベーターで七階まで上がり望月さんのいる病室に進んだ。病室の前で僕が二人の顔を見ると二人はコクリと頷き僕たちは病室の中に入った。カーテンをそっと開けると、そこには前と同じように望月さんが眠っていた。望月さんの寝顔はやっぱりとても綺麗だった。肌が透き通るように白く触れてはいけないもののように思えた。鼻と口を覆うマスクから伸びるチューブや腕から伸びるコードも前と同じだった。望月さんの枕元には僕が望月さんにあげた赤いお守りが置かれていた。僕はそのお守りを見た瞬間に胸がつまり涙が出そうになったけどなんとか我慢した。その代わりに涙をボロボロこぼしていたのは彩っぺだった。

「こころ・・・」

 彩っぺは望月さんの側に駆け寄り、掛け布団の上に出ていた望月さんの手を握ってしばらく泣いていた。

「こころ、ごめんね。私、逃げた。怖くて逃げたの。一人にしてごめんね。でも今は青井くんたちと一緒に逃げないで頑張ってる。だから、こころ絶対に戻ってきて。戻ってきてまた私の友達でいてください」

 彩っぺの言葉に僕と塚っちも涙を止めることができなかった。僕はきっと彩っぺの言葉は望月さんに届いていると思った。そして望月さんは彩っぺを許しているはずだ。

「望月さん。僕たちは今、望月さんを苦しめた嫌がらせが起きないようにクラスや学校を変えようとしているんだ。だから望月さんも僕らが変えた学校に絶対に戻ってきて欲しい。僕はみんなの活動を漫画にする。僕たちがどうやって戦ったのか望月さんにも漫画で読んで欲しいんだ。だから必ず戻ってきて」

 塚っちはそう言うと盛大に鼻をすすった。それを見ていた僕と彩っぺはようやく笑みをもらした。この後しばらく僕たちは望月さんの前で望月レジスタンスの活動や夏休みのことでいろいろな話をした。きっと望月さんも僕たちの話を聞いてくれていると僕たちは思っていたし、ふいに望月さんが笑ってくれるのではないかという気がしていた。そして僕たちは最後にもう一度望月レジスタンスの独立宣言の成功を望月さんに誓い病室を後にした。僕はまた望月さんに勇気をもらった。それは塚っちも彩っぺも同じだったはずだ。そして、これからここを訪れるクラスのみんなが望月さんから勇気や力そして何かを受け取るに違いない。僕はふと望月さんはこうなることを知っていて自殺をしようとしたのだろうか?と思った。自分が犠牲になることでクラスや学校が変わればいいなと思っていたとしたら・・・。そんなわけないか。僕はふと最後に望月さんの家の前で別れた時に見た望月さんの笑顔を思い出した。僕はあんな望月さんの笑顔を見たのは初めてだった。もう一度あの笑顔を見たい。僕はそう思った。


 僕たちは大きな石の上に並んで座っていた。手には釣り竿があり目は水面に浮んだ浮きを飽きもせずに眺めている。さっきまで大量にフナを釣っていた僕たちは釣り糸を垂らしたまま休憩していた。この場所はほとんど流れがなく竿を振って仕掛けの場所を移動する必要がない。今日、僕たちは山の麓で最高の釣り場の発見に成功した。ほんの少し前まで僕たちは大興奮の中でフナを釣り上げては逃すことを何度も繰り返し、今はその余韻の中で今日の成果を噛みしめている。本当ならこの場所を見つけられたのは一週間以上も前だったはずだけど、その前に僕たちは新しい三角翼作りに没頭していたのだ。畑のおじいちゃんにもらったビニールハウスの骨組みは最高の材料だった。僕たちは三日をかけて金属製のパイプを使った三角翼を作り上げ、すでに試験飛行を成功させている。今回は重量を減らすために自転車をなくし、その形はほぼハンググライダーそのものだった。自転車を無くした効果は絶大で僕の体重と同じおもりを乗せた試験飛行では自転車にロープで繋げた三角翼は軽々と空中に浮上した。さらに左右の骨組みも慎重に重さを測りながら組み立てたのでバランスも良く空中で左右にぶれることもなかった。あとはもう少し各部の強度を補強して色を塗って綺麗に仕上げれば完璧だ。僕の体の中にはまだ二号機の試験飛行の成功の喜びの余韻が残っている。僕はまた一歩自分が空に近づいた気がしていた。

 突然、浮きが水の中に引き込まれた。竿を引き上げると小ぶりのフナが食いついていた。僕はフナを引き寄せ仕掛けから外すとすぐに川に放り投げた。すると翼が竿を置いて靴を脱いで水際まで歩いて行った。そして裸足のまま水に足を入れた。

「おー、冷たくて気持ちいいぞ。空も来いよ」

 僕も靴を脱いで翼のところに歩いて行った。大きな石の上を選んで歩いていくと太陽の陽の光に焼かれた石が熱くて足の裏が焼けるかと思った。僕は熱い石の上を踊るように急いで動き、ようやくたどり着いた川の水に足を入れた。その瞬間、石で焼かれた僕の足からジュッっと音がした気がした。翼の言う通りだった。川の水は冷たくてすごく気持ちが良かった。

「ほんとだ。気持ちがいい」

 すると翼はその場にかがんで手で水をすくい取り、僕に向かって水を飛ばした。僕の顔は水の直撃を受け顎から水が滴った。僕も負けじと水をすくい翼に反撃する。僕たちは大声で笑いながら水を掛け合った。すぐに二人ともずぶ濡れになり、それでも何かに取り憑かれたように水を掛け合った。なんだろう?僕はこんな単純なことがすごく楽しかった。翼と一緒にいる時間は僕にとって特別なもののように思えた。僕はいつまでもこの時間が続けばいいと思った。僕たちはまた並んで石の上に座っていた。

 雲の切れ間からのぞいた太陽が川を照らし、水面のうねりが光を反射していた。キラキラと光っては消えるその光は永遠に続く水のダンスのように思えた。いやダンスを踊っているのは僕だ。僕は光の中で永遠を手に入れようとしていた。僕はそのダンスを懐かしい思いでじっと見ていた。

「楽しかったな」

「うん、楽しかった」

「夏だな」

「うん、夏だね」

「でも空、季節は巡るんだよな」

「そうだね」

「いつかこの夏も終わりがくる」

「うん」

 翼は空を見上げて遠くを見ていた。僕も翼と並んで空を見上げた。

「きっと空は空を飛べる」

 翼の言葉が僕の心の中でこだまし続けていた。僕は空を飛べる。



最終話の公開は2022年10月16日(日)で終了しました全編収録の電子書籍版はAmazonでご利用いただけます

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