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「見守り」と「監視されること」

コロナは随分感染者が減り、少しずつ取り戻しつつある。

そんな中国会で妙な法案が通ってしまったんですよね。スーパーシティ法案!

なんじゃそれと私もびっくり仰天しました。なんだかよく分からんけど国民が国に監視される法律らしいです。

戦時中、「治安維持法」って言う法律がありました。それは国の考えに反する人を牢屋にぶち込んで、考えを改めさせる恐ろしい法律でした。

言論の自由を奪われ、欲しがりません勝つまでは!でどんだけの尊い命が犠牲になったことか!

コロナが蔓延する最中、感染防止のために感染元を明らかにし、日本から感染者は出なくしたい。それはわかるけれど、ちょっと無理がある。インフルエンザは、

毎年流行し、毎年2000人近くの人が犠牲になる。

数年経てば、コロナも同じようになるのでは。監視されるって気持ちのいいものでは無い。

あなたは今日○○にいきましたね!と知らないうちに他の誰かにみられるなんてプライバシーの侵害では無いか!

GPSが発達し何でも出来る世の中。

感染者減ってきてるが、ふっと気を抜けば、また第二波が襲う。

いつの世も病はある。ただ通りを歩くだけで新型肺炎に感染する今。だから仕方ないって諦めは、人の心を狭くする。

病との共存。

そして予防対策。

監視されることが、本当に正しいのか?政治家の先生方はもっと深く議論すべきだ。

「見守る」余地のない世界にだけはなって欲しくない。

今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。