私になるまで58

その時くらいから、よく、噎せるようになっていた。担当だったPTの先生が主治医に報告してしまった。

そのPTの先生は、今は退職し別の病院で働いている。

主治医の先生に、報告した後、病院を去り、PTの担当の先生が変わった。当時、29歳の爽やかなカワイイ系の先生。笑顔が爽やか君。

まだ通院リハビリが、続いていた。

ところが、もう私の体力は、限界に来ていた。嚥下機能の低下も著しい。

主治医の先生から通院リハビリを辞めて入院リハビリに切り替える提案があった。というか、そうしなさい的な雰囲気で迫られ、4月の末、初めての入院。
PT, OT STのフルコース。
それが朝から夕方まで続く。何がしんどかったか、と言えば、嚥下機能を高める訓練。毎日発声練習がつつく。それでご飯は、嚥下食。最初は、ドロドロで、中々食べられなかった。しかし、筋トレで、お腹が空く。
慣れというのは凄い!毎回完食するようになっていた。
少しずつ食材は大きくなった。が、やはりトロミをつけないと噎せる。

家でもトロミを付けられるようにお茶に、溶かす練習をした。

そうして、最初の、入院は、終わって家に帰る。

筋トレの成果はあり、しばらくは、しっかり歩けても、いつの間にかまた、転ぶようになる。
入院は、3ヶ月間を空けないといけない決まりだ。家にいる間に何度もひっくり返り、部屋でいる時間が増える。

そのうちに、電動車椅子を支給してもらった。
風をきって走るのはここちよい。しかし、使う範囲が限られて、中々活用出来ずにいる。そんな時、ゆずライブが大阪であって、友達と、初めて行くことになり、電動車椅子の出番が来た。特急列車に、1人で乗る。あまり運転に自信はなかったが、駅員の手助けもあり、待ち合わせ場所にスムーズに行けた。

その後、友達と、友達の彼氏と、友達の友達と4人で会場に向かった。田舎では、珍しい電動車椅子も、大阪ではごく普通に走っている。

道行く人達も、慣れている。やはり私ももっと自由に外へ出たいという思いを強くさせた。
席は車椅子席だったから、いつもより遠く感じたが、ゆずライブは、どこで見ても楽しい。
そして、栄光の架橋の大合唱に涙する。
その日は友達のうちに泊めてもらった。娘と息子、そして娘より若い彼と暮らす。まるで漫画のようだ。でも、しっかりヘルパーのサポートをうけながら、しっかり主婦をしていた。

自立した一人の女性像が眩しかった。

今年もまた行く予定だった。しかし、コロナの影響で、来年秋まで、延期になった。

非常事態宣言が解除された。

しかし、また感染者は増加傾向にある。毎回流行るインフルエンザのように、無くなることはないのかもしれない。

また、いつものようにライブを楽しめる日が来ることを祈っている。

ということで、再び、嚥下機能の低下が、酷くなり、楽しい日々は、終わって、夏に再び入院した。

今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。