森のコーヒー屋

「生を活かす」

日々の中で埋もれてしまった愛に

見て見ぬふりをする。

今やマスク生活が当たり前になり。顔の表情もあまり分からないまま、通り過ぎる人々。

こんなに天気がいいよ。

散歩に行こうよ。と彼が言う。

大好きな彼なら断れない。マスクで顔を隠し、深緑の並木道を手を繋いで歩く。

以前は、これが普通だった。

表情のわからないまま、会話する。

「君の笑顔が一番好き」って文句も、

「風が緑の香りがするね」っていう表現も、何だか嘘っぽくて。

ただ、ただ苦笑い。


散歩道の先に小さな森がある。

木々の合間にベンチがあって、いつもそこで一休み。森の中に異動販売の、カフェが来ている。

「何か飲む?」彼が言う。

メニューは、無さそう。

しかし、コーヒーのいい香りが森の空気に混ざりあっていた。

2人で異動販売のおじさんにコーヒーを注文する。おじさんは、アクリル板越しに、コーヒーを渡す。

何だかぬるいコーヒーだった。

マスクを外し、一口飲む。

ぬるいが、高級な香りがした。

緑の香りと混ざり会い、コーヒーの香りを楽しむ。

横を見ると、彼も目を閉じ、香りをたのしんでいる。と思ったが、さっさと飲み干した後だった。

「あのさぁ、」彼は言いにくそうに、何度か咳払いをした。「❓」私は、不思議そうに彼の澄んだ瞳を見た。

「俺仕事クビになった。俺の友達が、コロナにかかって、俺にも疑いの目が向けられたんだ。俺は検査は陰性だったのに。人員削減対象者になった。」

「酷い!」

「だよね。陰性だったのに。きっとクビにする理由を探してたんだよ。来週から、仕事探し。」

突然、異動販売から、出てきたおじさんが、ベンチの前に立つ。

「兄ちゃんの話、風に乗って俺の耳にはいって来た。兄ちゃん仕事探し。するんだろ?コーヒーは好きか?」

「香りは好きです。彼女のおかげで味もそこそこ好きかな。」

「兄ちゃん、コーヒー販売やらないか?」

とっ拍子のないことを言うおじさんに、返す言葉を探す。

「実は今日で、コーヒー屋辞めるんだ。

「何で?それに初対面の奴にそんな事頼むなんて普通に考えたらおかしいよ。」彼の言うことは正しい。しかし、このご時世、何が起こるか分からない。

「最近、ワシの息子が死んだ。コロナにかかってな。心臓が悪い息子は、あっという間にあちらにいきよった。ワシらは2人で異動販売していたんだ。コーヒー好きの息子と共にな。妻は10年近く前に、ワシらの前から姿を消した。ワシらは、捨てられたんだな。」おじさんは、フーっと溜息をつき、遠い目をして、空を見上げる。

「あの頃は街の中で小さなカフェをしていたんだ。あいつの作るパンケーキが、雑誌に掲載され、結構繁盛していたのに。ある時あいつはもうパンケーキを作るロボットになったみたいで、疲れたと言いよった。」

「わたし、そのカフェ行ったことあるかも、母に連れて行ってもらった。厚くてふんわりしてて、上に乗ったホイップクリームがまた美味しくて、ほっぺたが落ちそうだったのに又行ってみたら、店じまいした後だった。母も私もガックリしたよ。」

「そうか娘さんお母さんと、来てくれてたんだ。妻がらいなくなったら、パンケーキを焼くことが出来ない。焼けるがあんなフワトロに出来ない。カフェは、客が激減してな。家賃を払えなくなった。店じまいするしか無くなったんた」おじさんの瞳に映るものは遠い昔のカフェだったのかもしれない。

「しかし、息子が居て、働かない訳には行かない。ワシの息子が成人するまで、コーヒーを入れる以外なんの取り柄がなくて、色んなことしたよ。キャバレーの下働きから、土方まで、それで幾らか貯金が増えた。」

「貯金が二百円になるまで七年。ちょうど息子が20歳の時だった。」おじさんの瞳が一瞬輝く。

「息子が、異動販売でカフェをろうよ。オヤジのコーヒーは最高に美味い。だからきっと売れるぜ!」

それで今から10数年前に車を貯金をはたいて買ってコーヒー販売を始めたらしい。

息子は、コーヒー以外に、サンドイッチと、ホットドッグの販売を提案。作るのは、息子の役目だった。オフィス街に行けば、お昼時にはリーズナブルな価格がクチコミで行列が、できたそうだ。

しかし、息子は、爆弾を身体に抱えていた。いつもニトロを肌に離さず持っていた。

「ワシのせいだ。もう少し早く気づいていれば、手術もできただろう。息子は、爆弾を抱えながら、笑顔を絶やさなかった。俺のコーヒーが一番好きだといつも言っていた。」

ところが人混みの中で異動販売が良くない自体を引き起こす、コロナで感染者が増え出す少し前だった。マスクも消毒もうがいも欠かさなかったのに。

「『 俺ちょっと体だるい』熱を測ると38度の高熱。すぐ、かかりつけ医に連絡したら、保健所に行けと言われた。検査を受けたらコロナだった。ワシも受けたが陰性だった。すぐ大学病院に、息子は、搬送された。しかし、あっという間に、あの世にいきよった。遺体は骨になるまで返して貰えず、あいつの最期にも立ち会わせて貰えず、ワシは途方に暮れた。」

森の中に長い沈黙が流れた。

「ワシのコーヒーを愛してくれた息子は、もう居ない。実は今日この車をここに放置するつもりだった。この森は息子が小さい時よく散歩したところだ、」

「だからって、通りすがりの客に、そんな事言わないでしょ!」

彼女は、彼の方を見る。「こんな人に息子さんと築き上げたものをあげるのは、おじさんきっと後悔するよ。それよりこの人にコーヒーの美味しさ教えてあげてちょうだい。」そこで彼が割って入る。

「何それ?俺コーヒー好きだけど、入れ方がどうのこうのなんてどうでもいいよ。おい!もう帰ろうぜ!」

「会社クビになって、あんたこれからどうするの?」彼女は彼に食ってかかる。  

「これから仕事探し。」

「ここに仕事が転がってるんだよ!ピンチはチャンスってこともある。生を活かすチャンスかもしれないよ。」

「君には関係ないから。」かれはぶっきらぼうに言い放つと、

1人来た道を帰って行った。


「いいのかい?追いかけなくても。ワシがしょうもないこと口走ったばかりにあんたらの仲が壊れるのは困る。」おじさんは、気の毒そうに言った。彼女は、おじさんの目をまっすぐ見つめて、

「よかったの。彼とはもう冷めた関係だった。冷めたコーヒーのようなもの。おじさんお願いがあるの。おじさんの、取っておきのコーヒーを入れてちょうだい!さっきのは少しぬるかったけど香り高いものだった。もっと適温ならもっと美味しいはず。」おじさんは、彼女をまじまじと見た。

「娘さん、コーヒーの味分かるのかい!」

「うちの家族、全員コーヒー好きなんです。だから、うちにはミルまであるの。今は飾りになっちゃったけど。コーヒーは私達家族の絆なの。」

暗闇の中にキラッと光るようなおじさんの瞳。

「かしこまりました。いままでで一番美味しいコーヒーをご馳走しよう。」

そう言うと車の中にはいって30分.。

森の中にコーヒーの匂いが漂う。おじさん特製のブレンドコーヒー。

「紙コップで味気ないが、娘さんのことを考えてブレンドした。これからの、幸せを祈ってね!」おじさんは、笑顔でウインクして見せた。 

「ありがとうございます。わ〜フルーティーな酸味の中に少しの苦味。今の私のようだよ。」

おじさんは、コーヒーを飲み干した彼女に、満足気だった。

「さっき、娘さん生を活かすチャンスって言っていたね!あれ聞いて、ワシももう少し頑張ることにするよ。人気の少ない森のコーヒー屋さんてのも悪くない。息子もきっと応援してくれるよな?」

「はい!空の上からおじさんを見守ってくれてると思います。」

彼女は立ち上がり、「コーヒー好きが、きっと来ます。私もまた来ます。さっきのコーヒー代と合わせていくらですか?」おじさんは、手を振った。「お代はワシの話を聞いてくれた分で。また来てください。その時は、ちゃんと適温の美味しいコーヒーを用意して待ってます。」スっーと深緑の優しい風が通り抜けた。

「今度は、家族と一緒に来ます。」

そう言うと、踵を返して家路へとむかった。


森のコーヒー屋さん

もう二度と出会えないかもしれない。しかし、あのおじさんの瞳は本物だった。


今も、どこかの森で違うコーヒー屋さんが違う想いを秘め営業しているかもしれない。芳しいコーヒーがコーヒー好きを、引き寄せる。

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今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。