見出し画像

私になるまで35

翌日、朝食後リハビリテーション科のPTの先生がきて、ちょっとお話お聞きしたいので、リハビリ室まで来てください

と言われ、戸惑いながらついていく。リハビリ室は、長い廊下を通り、リハビリ病棟の階下にあった。初めてのリハビリ室は、とてつもなく広く感じた。私が中に入って行くとみんなの目が一斉に向けられる。身体が少し固くなったが、とりあえず力の入れ具合やら、腕の上がり具合やら計測したあと、いつから痛みがあるか、買い物など移動手段はどうしてるか?など質問された。その後手術の日は決まってますか?と言う。まだ分かりません。と私。午後からミエログラフィ造影検査の前に、そんな話?と思いつつ、病室へ戻る途中、「首の痛み早く先生に治して貰わないとね。」と言われた。手術は決定事項なのだろうと、確信する。

病室に戻ると、造影検査のための薬の点滴が待っていた。看護師に「血管細いね。」と言われ針が入る血管を見つけるのに、少し時間がかかる。ようやく点滴が始まる。またまたトイレに行く時はナースコール押してください。と念を押す。【うぜ〜⠀】と心の中で思うも顔は笑顔のまま頷く。

しばらくすると、検査着に着替えさせられる。その後ベッドに寝かされた状態のまま検査室に移動する。

ミエログラフィ造影検査は、脊椎の中の神経の状態を診る検査だ。レントゲン台の何倍もある大きな検査台の上に乗せられ、「身体をまるめて。」という指示があり、その後腰椎から、造影剤を注射され、身体がビリッと痺れる。思わず、うっ!と言葉にならない声を出してしまった。「ちょっと眠らせたろ。」

先生が点滴から薬を入れる。意識は薄れる中、何人かの人が私の体を仰向けにしたり、横向きにしたり、台の上でドタンバタンやってる。私パンツ一丁なんや。恥ずかしい。ふわふわした意識の中で思う。そのうち終わったよ。と言われ、ベッドに戻されいたたた!看護師に「どこ痛い?」と、訊ねられるが、混乱した意識の中、「首」としか答えられない。

病室に戻ると、両親と上の子が待っていた。とりあえず夕方まで安静にしておくように言われる。検査の結果は、また今度知らせると言うことだった。久しぶりに会う上の娘だったが、何も話せないままだった。昨年の夏は、京都の美術館にフェルメールの絵を見に行き、その後とても美味しいフルーツパフェを一緒に食べて至福のひとときだったのが夢のようだ。しかし、あの時既に首の痛みというか違和感を感じていた。暑い街中をあるき、電車やバスに乗ってよく今までなんともなく居られたものだ。娘と過ごした時間は、かけがえのないものだ。

次の日は先生は居なくて、そのまま退院し家路に着いた。

こうして、また神経内科でもらつた薬を飲んでぼんやりしながら、連絡を待つ。

病院から連絡が来たのは3月の初旬だった。結果と手術内容の説明をするので天王寺にある病院にくるようにと、言われる。そこは北摂の病院と同じ系列の病院で以前、先生がいた病院だった。

指定された日にまた、父の車に揺られていく。

今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。