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晴れ男の願い

朝からずっと雨が降り続いて夜8時に予定の花火は駄目だろうと、病院にいる誰もが諦めムードだった。

片田舎の海辺の街、私は、高校生まで育った街。父親は、漁協につとめ、母は専業主婦。何も無い街を早く出ていきたくて、しかし父は役場にコネがあって
私を役場に入れようと目論んでいたようだ。しかし、私はその目論みをすり抜けて上京した。今思えば、喧嘩でも何でもして自分の思いをぶつければよかった……後の祭りだが。
就職先は、輸入業者、小さいながらもうかっていたらしく。給料明細を最初見た時は驚く程に良かった。いまから、30年前のことである。



それから3年後私は同じ同じ会社で勤めていた今の旦那とゴールイン!一人息子はすくすく育って、うちを出て勝手に結婚して、海外の教会でライスシャワーを浴びるハガキ1枚送って来ただけだ。旦那は激怒していたがよくもわるくも私も結婚の報告をハガキ1枚で実家とは疎遠だった。
  
師走間近の秋のことである。
地元の町立病院から電話がかかってきた。
「お母様に話が通じないので、お父様には口止めされてましたが、後悔させたくないので、浜野みさこ、ですよね。私高校生の時同じクラスだった広田信子、のんちゃんです。」私の海馬の引き出しを混ぜくり返してあっ!ちょっとぽっちゃりの彼女が出てきた。
三分の沈黙の後、
「デブのん?」しばらく返事がない。
が、「ふふふっそうそう。しかし、よう覚えてましたね」少しの間2人は沈黙した。高校時代彼女とはほとんど話したことがなく返答に困った。「お元気でしたか?浜野さんは、ずっと地元に戻られていないようですね。」
ふたたび沈黙。
「父の思い通りになりたくない一心でそれでも何度か連絡とりましたが元気だと言うだけだった広田さんは、ずっと地元に居られるの?
「はい!地元です。今は町立病院でケアマネージャーしてます。ところでその分だと最近のお父様お母様の状況をご存知ないようですね。」

もうかなり高齢な2人のはす。私も50代。何かあってもおかしくない。
「うちの両親に何かあったんですね?」
「実は、三年前胃がんの手術されて一時は元気になられたんですが、また昨年再発。お母様は、8年前に認知症の症状が出て、今は何も分からない状況で。特養に入所しておられます。」言葉が出なかった。
「大丈夫かい?みっちゃん」久しぶりに聞く私の通称。
涙が溢れ出た。
「大丈夫です。2人とも生きてい。」 今ならまだ会える。

こころに言い聞かせて、広田さんに尋ねる。
「父は何時までもちますか?」
「何でわかったん?お父様は、危篤です。出来たらすぐ来て欲しい‼️後悔させたくないので……」

すぐ荷物をまとめて家を出る。
生きてても昏睡状態だと言われた。

しかし、眠っていても生きてる父に会いたかった。病院まで半日はかかる。
『父ちゃん!私が行くまで待って!』


病院に着いたのは、夜8時前だった。裏口から、通れるように広田さんは、事情を警備員に話してくれていた。世はコロナ鍋の真っ只中。患者はよっぽどのことがない限り面会も、外出も出来ない。


まるでおりのない刑務所だった。そんな中、患者さん達は病棟のデイルームに集まっていた。しきりに窓の外をみている。そこを素通りし、私は父のいる病室に向かった。


4人部屋の窓際。父らしき老人は、すやすや眠っていた。昔の厳格な面影はもうない。
そこに看護師が入ってきた。
「ご家族の方ですね?主治医はもう帰宅していませんが、まだこうして安定して眠っています。到着したばかりですが、今晩今から20分間湾の方から花火が上がります。浜野さんは、ずっと前から楽しみにしてました。昔娘さんと行った花火大会の話を懐かしそうに何度もしてましたよ。ここにいてもいいんですが、浜野さんの代わりに見てきたらどうですか?様態が急変したらすぐお知らせしますので。」

デイルームは少ないながらも、窓際に人が集まっていた。私は小さい頃。毎年浴衣を着せてもらい、父と母の手を握り、港に出かけた事を回想する。今思えば、家族にとってあの時が一番幸せだったのかもしれない。そんなことを考えていると窓から見える景色が一変した。
最初の1発目が上がり、静かな歓声があがった。
師走間近の空気は澄んでいて次々に上がる花火は一際美しく見えた。色とりどりの花は20分後に散った。


ふたたび、病室に戻ってみると、相変わらず父は、すやすや眠っていた。
「父ちゃん、ごめんね。」返事なき父に呟いた。


3日後、父は天に召された。私もいつか同じところにいくだろう。その時は腹を割って話そう。ところで余談ではあるが父は晴れ男だった。

今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。