今は亡きお父さんとおじいちゃんへ

今日5月7日は私の父の命日になります。
私が中学生になったばかりだったので…何年前だろう?

・・・もう20年前の話になります。随分月日は流れていたようです。
私の祖父は父が亡くなってから1年が経つ1週間前の4月30日に亡くなったので、1週間前が命日でした。

以前もこの話をしましたが、改めて書きたい想いがあったので書く事にしました。

ここからは父をお父さんと、祖父をおじいちゃんと書いて想いを書こうと思います。

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私のお父さんは出稼ぎ者(単身赴任ともいうのかな?)だったので家に帰ってくるのは正月、GW、お盆ぐらいでした。ですのでお父さんと一緒に過ごした記憶というのは本当に僅かしかありません。
お父さんという存在があったにも関わらず殆ど目の前にいることが無かったので、私からすれば存在していないのではというぐらいその存在は遠いものでした。

人の世ですので必ず両親がいるとは限らず、いたとしても共に過ごせているかといえばそうではない人もいるので、私だけ特別という訳ではありませんが、お父さんと一緒に暮らせて日常を共に出来る子どもたちが羨ましく想います。

何が羨ましいのかと言われると言葉にして表現出来ないのですが、でも羨ましいなと思うのです。悪い父親ならいなくてもいいやって思うのかもしれないですけど、そうではなかったので。

おじいちゃんもお父さんと同じでしたので、私の家に男親は普段からいないのが当たり前でした。だからお父さんとおじいちゃん、両者の事を殆ど何も知らないというのが本当の所なのです。短い時間でしたが幸せな時間もあったけど、嫌な記憶の方が幸せな記憶よりも深く心に残っていて、今でも心の整理が出来ずにいます。

以前も話しましたが、おじいちゃんと同年代の男性やその面影が何処かにある男性の事が異常に嫌いで、関わりたくないと想う事が多々あります。
私だってその年齢に達するまで生きている事が出来れば、同じような感じになってしまうかもしれないのに、随分酷い事を言っていますよね。。。

何処で自分の心に整理を付けるのか、その答えは今でも分かっていません。
もう昔の話ですし今更何をどう話そうがどう想おうが、その現実は変わらないですし過去が戻ってくる訳でもありません。
これからもおじいちゃんの事は嫌な想いをさせられたからと一生恨み続けるのかもしれないですし、何処かで許す時が来るのかもしれません。
私が知らない所で苦労していたとしても私は何も知らないので、1番酷い事を思っていて惨いことをしているのは私なのかもしれません。

自分の人生にあった出来事をちゃんと受け入れられるようになって、
過去の出来事を許せるような日が来ればいいなと思っています。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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