今日は多様な性にYESの日なので・・・
今日5月17日は
「国際反ホモフォビア・トランスフォビア・バイフォビアの日」。
日本では「多様な性にYESの日」と呼ばれている。
僕はゲイなのでヘテロの人たちが何故そこまで同性愛に嫌悪感を示し、拒否するのかが分からない。そんなに同性愛って気持ち悪いのだろうか?
ちなみに僕自身はどのセクシュアリティに対しても嫌悪感を抱く事は無い。
それはもちろんヘテロに対してもだ。全てのセクシュアリティにそれぞれの良さがある。人間の数だけセクシュアリティはあってそれが自分らしさ、多様性だと思っているから。
でもヘテロの人たちからすればそうではないのだろう。
だからステレオタイプのあるべき姿から逸脱した、僕みたいな存在は子どもの頃から忌嫌われてきたのだろう。
大多数いるヘテロの中にゲイがいると、その「独特な何か」をヘテロは敏感に感じ取っているのだろうなと感じる。僕の場合、人見知りで人と上手にコミュニケーションが取れなかったのも問題があると思うが、似たような人は他にもたくさんいたのに特別色々言われたのは、その「独特な何か」を普段から隠せなかったからだろうなと今では思う。
仕草や言葉遣い、自分では分からない細かな癖なども周囲は自分たちと違う事に気付いていたのだろう。誰から教わった訳でもなく、身からにじみ出てしまう「それ」を周囲に茶化され嘲笑されていた僕。
自身のこうした経験を書くのはある意味僕の事を好き勝手に言い、嘲笑してきた人への復讐なのかもしれない。僕が黙っていれば僕とその人たち以外はその事実を知らない訳だから、一種の暴露と同じなのだろう。
5・6歳ぐらいですでにオカマみたいとかおネエみたいとかって子どもが話す事に正直ビックリしている。言葉もそうなのだが、どんな仕草や容姿をしているとその言葉の人物になるのかをその年ですでに知っているのだから。
しかもそれらの人物の事を「正しくない人」「嘲笑してもいい人」と認識しているからこそ、あれやこれやと言うのだろう。
僕は偶然にもゲイとして生まれ、
その周囲の人は偶然にもヘテロとして生まれた。
それは僕がどうにか出来る事じゃないから別にどうでも良い。
でも自分たちが偶々マジョリティであるヘテロに生まれてきたからといって、自分たちと違うセクシュアリティを持つ者を色々言うのはどうなのかなと思う。
嫌いなら嫌いでも別にいい。嫌なものを好きになれないのが人間だから。
嫌いだという気持ちを封殺しないのも多様性だから。
だけど、
自分がヘテロじゃなくゲイやレズビアンに生まれてきた時、同じような目に遭いたいかどうかを考えたら正しい答えは分かるのかなと思う。
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