食育に対する想いと恨みつらみを(D)
偶然ツイッターを見ていたらこの記事を見つけた。
以前も少しだけ私の給食話を書いたのだが、改めて書こうと思った。
※後半は酷い言葉が並んでいますので、不快になるかもしれません。
私は保育園児の頃から給食を全部食べる事が出来ず、昼休み時間になっても放っておかれて給食と睨めっこする事が多くあった。
時々保育士に色々嫌味を言われる事もあり、言われる度に嫌な気持ちになっていた。
今でも1番覚えているのは、年長組のみんなが学習のような事をしている時に私だけ給食を全部食べられないからと目の前に給食を置いたままにして、私を放置していた事。残して片付けようとすると酷く怒られ、片付ける事も許されず時間だけが過ぎ去っていた。
どのくらいそのままにされていたか覚えていないが、その時間はとても長く感じた。少し涙ぐんでいた私を見て、周囲の人は私を馬鹿にしていた。
それを見かねてか保育士は片付けても良いと言ったが、残した事を謝って来なさいと言われ、泣きながら給食室まで残した給食を持って行った。
給食室の向こうに給食を作ってくれた人がいたが中に入る事は出来ない。給食が入った食器を片付ける時は給食室の外に置く保育園だったので、ガラス越しに見える給食を作ってくれただろう人に、誰も聞き取れないぐらいの小さな声で「残してごめんなさい」といって食器を置き、みんながいた所に戻っていった。
もう20年以上前の事で5・6歳の頃の話だが、今でもその嫌な記憶は頭から離れない。小・中学生になればなったで教師に加えて同級生からも小食の事に関して嫌味を言われ、教師からは保育園時代と同様かそれ以上の事をされてきた。
その事が原因なのか、元々私はこうなのか分からないが、
私は食べる事に対して今でも良い感情は持っていない。
食べなくても生きていけるのなら、食事などしたくもないと想う程。
みんなの前で食事をする事は特に嫌。
みんなと同じように何でも食べる事が出来ず、好き嫌いが多く小食なので、また何か言われるだろうという気持ちが今でも心の中にある。
だから心の中でずっと
学校や保育園などの給食は全て無くなってしまえばいい、
嫌味を言ってきた人たちは食べ物で罰が当たってしまえばいい、
そんな事をずっと想いながら生きてきた。
悪いのは食べ物ではないし、誰かという存在でもないのに。。。
給食が楽しいと思っている人、
全部食べられる人が素直に羨ましかった。
私もそうでありたかった。
私の場合はもう過去の話なので、どうにもならない。
恨みつらみが有り余っているのは今でも変わらないけど、
だからといってその気持ちをどうする?
その時、散々嫌味を言ってきた保育士や教師に復讐や仕返しをしたいという気持ちだって全く無いわけじゃない。
でも何らかの復讐をしたところで私の人生が変わる訳でもない。
そんな嫌な想いを忘れる事が出来れば1番良いがそれも出来ない。
ずっと抱えて生きていかなければいけない。
私はこの想いをどう昇華すれば良いのだろう。。。
この時代になっても私と同じような目に遭っている子どもがいると思うと、いてもたってもいられないぐらい嫌な気持ちになる。
偶々自分たちは好き嫌いが無く、人並みに量を食べられるからと天狗になっているのだろう。
そんな奴らはいつか食べ物で嫌な想いをすればいい。
そうでもしなければ食べ物で苦しい想いをした人の気持ちなんて分かるはずがない。
せいぜいこれからの人生、食べ物が嫌いになったり食べられなくなるような事が起きない事を祈りながら生きてくれ。
好きなものを食べられなくなったり、思い通りに食べられなくなった時は
ざまあみろって心の中で言ってやるからな。
・・・もういい年をした大人なのだから、もっと冷静な言葉遣いや表現を使わなければいけないのに、今まで誰にも言えず我慢してきた想いが溢れてしまい随分酷い記事になってしまった。
酷い事を書いているが、書いた事は後悔していない。
これが私の素直な気持ちだから。
だけど・・・
記事を読んで嫌な気持ちになってしまった人にはお詫びします。
本当にごめんなさい。。
私と同じような嫌な想いを
今の子どもたちやこれからの子どもたちには体験して欲しくない。
いつもそう思っている。
食事は素敵なもので毎日の活力になる楽しいものであって欲しい。
食育というものを今一度、みんなで考えて欲しい。
食事で泣く人がいない世界になって欲しい。
それが私の願いです。
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