アフターに目を向ける
逆境の時に話したくなる人たちがいます。
情報リテラシーが高い、わからないことをわからないと言える、思いやりがある…など要素をあげるとキリがないけれど、結果としてリーダーになっている、でも柔らかいところがある。そんな人たちの声が無性に聞きたくなるのです。
恩師恩人に多いのですが、この月末月初で運良く?そういう方々とお話できる機会が重なりました。
どんな時でもやはり心も頭もお忙しい人たち。近況報告のあと2つ目にくるのは「さて、この後をどう描いていますか?」というお話でした。
今の状況を悲観的ではなく、でも楽観的でもなく真っ直ぐ見つめた上で
確実に世の中は変わる。せっかくならそれを良い変化に変えるために今なにかできないかな?
と前向きにとらえていて。
これは誰もができることでもないし、いつもできることではないかもしれない。だけれど何かできることをすることが、きっとその人の心を支えるのだ。
と、そういう人たちの話を聞くたび思うのです。
そしてそういう人たちはその中で、その先にわたしたちができることを作ってくれています。
例えば2ヶ月先、6ヶ月先、1年先、あるいはもっと先のこと。
昨日は恩師と電話をして、「アフターコロナ」とはっきり言語化して呼ぶ人もいるのだと教えていただきました。
新生活や毎日色々な考えが溢れやすい時。色々な言葉で色々な情報が飛び交う。
いまは、いまだから、情報から目を離したい人、離すべき心の状態の人もいるかもしれません。
ただそれとは別に、性格的に(重要性の高いと判断した場合は)問題からなかなか目を背けられない・(大切なことは)なるべく納得した選択をしたい私にはアフターコロナという言葉は現実を見ながら希望を作るという、今一番安心できる選択肢を与えてくれるなと感じました。
この世には絶対はないし、アクシデントはつきものだ。大切なのは日頃からなにもないことを願うことではなくそこでどうフォローしていくか。そこを面白いと思えれば全てが面白くなってくる。
▲これはいつか私の周りの名言シリーズ向けに書こうと思っていた言葉ですが、高校生の時マネージャーをしていたラグビー部の顧問がくれた言葉です。
スポーツにも、怪我や危険はあり、立場やバックグラウンドによっては「全てが面白くなってくる」という言葉を適切と思わない人もいるでしょう。
この言葉がゲームを楽しもうという状況で聞いたものだということを添えつつ、ここで大切なのは「なにかが起きた時にどうしていくかだ。」ということ。そしてできることなら心明るく穏やかに乗り越えられたらという願いからカットせずに載せることにしました。
イタリアで新型ウイルスがどうやら厄介らしい。と噂になってすぐ、有事の時モードに働き方を切り替えました。(2年前からうっすらと練っていたのでタイミングを合わせた)
でもそこからまた時を経て、あくまで個人的にですが、今度は先のことを練り、それに向けて動く段階にきたのだなと思います。
ちなみにこの恩師とは少し前にお酒を飲みにお付き合いいただくお約束をしていたのですが、状況を見た結果自粛に至りました。
楽しいことやお酒が大好きだけれど、当面多くの仕事がストップした上あそぶこともできず。
本当は「どうしたらいいんだーーー!」と笑い出したいところだけれども。それでもやるのだ。つまらない未来を迎えるのはもっと嫌だし、病気をやっつけたあとはみんなと笑い合いたいし、誰かを笑わせることができた時の嬉しさを、もう知ってしまったから。
なにができるか、考えろ自分。今日はそんなふうに考えています。
(そのためにももちろん身体だいじにが大前提。)
みなさんは、どんな未来を望んでいますか?
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